はじめ塾 夏の合宿 其の二
午前中の作業を終えてお昼ご飯をいただきました。
お昼ご飯は畑で作った野菜を主にした精進料理でした。
はじめ塾では食事を大切にしているとうかがっていましたが、前回訪ねたときにはコロナ禍で食事はできなかったので、今回楽しみにしていました。
いただくと、これがまた実においしいのであります
はじめ塾では「人は台所で育つ」という言葉を大事にされていて、毎日の生活の中で、旬のもの、地のものを自分で料理して食べるというあたりまえのことの大切さを学んでおられるのです。
台所という限られた空間で、仲間と一緒に時間通りに食事の支度をすることを通して、多様な関係性を学ぶというのも尊いことであります。
ひとつひとつのお料理に心が込められているのがよく感じられました。
それから食事中は正座なのです。
正座するという以外には規則はなく、和気藹々と楽しく会話しながらいただきました。
私も皆と一緒にいただくので、いろんな事を聞かれました。
お昼ご飯のあと、後片付けの人を各テーブルごとにじゃんけんで決めるのです。
私もじゃんけんに加わりましたが、残念ながら外れてしまいました。
休憩の間、縁側に坐っていると、いろんな子たちが、入れ替わり立ち替わり隣に来て、いろんなことを聞かれました。
中には相談事もありました。
縁側に坐って話を聞くというのはいいものです。
堅くならずに打ち解けて話ができるものです。
高校生になると、これからの進路についてもいろいろ考え悩むことがあるようです。
はじめ塾で自然に育っていても、現実の管理化された社会で生きてゆくのはまたたいへんなことであります。
それでも自分でやりたいことを見つけて努力している姿は尊いものであります。
子供だけでなく、大人の方にもいろいろと聞かれたりしました。
そうして午後から曹洞宗の尼僧さんの舞があるというので待っていました。
待っている間に、なんとはじめ塾のお子さんたちが習っているというお能を披露してくださいました。
これは準備していたのではなく、塾長さんが急にやってみよと言ってくださったのでした。
何の道具もないのですが、子どもたちは謡も暗唱していて、見事に舞と謡を披露してくださいました。
お能を教えてくださっている先生もお越しくださっていました。
それから尼僧さんの舞を皆で拝見しました。
この舞も素晴らしいもので、そしてまた舞を見た感想を述べる子どもたちにも感心しました。
自分の感じたことを的確に表現して感謝を述べているのです。
修行僧達は子どもたちとバスケットボールをしたり、ゲームをしたりして遊んでいます。
私は縁側に坐っていろんな方と話をしていました。
最後に皆でやったのは銭回しというゲームでした。
これは初めてでした。
二つのチームに分かれて、片方のチームが手の中の10円玉をチーム内で手から手に渡してゆきます。
両手で受けて、外からは見えないように次の人にも両手で見えないように渡してゆくのです。
渡し終わると、両手を握っておきます。
相手チームはよく話し合って誰が十円玉を持っているかよく観察して、持っていない人を指してゆきます。
十円玉を持っている人に当たると終わりです。
なるだけ、十円玉を持っている人に当てないようにして競うのです。
このあたりがはじめ塾のオリジナルゲームというところです。
はじめ塾ではこのゼニ回しをして、勘を鍛えているのだそうです。
相手の表情や仕草をよく観察して、その観察力も鍛えるのです。
観察して捉えた情報の上の最後の判断は勘がモノをいうのだそうです。
子どもたちに混じって行うのは楽しいものです。
はじめ塾では、子どもの成長発達に応じて「三つのカン」を育てることを大事にしているのです。
一つ目は、感じる「感」です。
五感を通して情報を感得する能力です。
二つ目は、危険予知能力とも言われる「勘」です。
「自由に歩いて広い範囲で行動することができるようになると全身を使った体験を通して、危険予知能力と言われる「勘」が開発(=体感)されます。
この「勘」は決断力の基で生きる力の原動力とも言える能力だ」というのです。
三つ目は「観察」の「観」です。
「観」は、先を読み、行きづまらない生き方を実現するものだというのです。
はじめ塾に関わる高校生までは、この三つの「勘」と「感」と「観」が育つ時期と重なりますので、合宿での遊びや勉強、農作業、薪でご飯を炊く炊事、掃除などを通して、これからの能力を生きる力として育てているのです。
そうこうするうちに時間となって終わりの挨拶だけしました。
お能も披露してもらっていたので、何かお礼をしようにも、歌も芸もないので、やはりお経だと思って修行僧と共に、みんなの幸せを祈って般若心経を一巻おとなえしてお別れしました。
たくさんのお土産を頂戴して車が出ると、なんと子どもたちが、車を追いかけて走ってくれています。
車の窓からもういいよと合図するのですが、全力で駆けてくれています。
こんな光景を見るのは今の時代にはありません。
自然の中で元気ではつらつなはじめ塾のお子さんたちでした。
畑を耕し、薪でご飯を炊いてというのは、修行道場の暮らしにも通じるのですが、こちらではみんなが楽しんでいるのです。
一緒に行った修行僧にもよい刺激になったようであります。
自分も寺に帰ったら、こんなことをやってみたいと言ってくれていました。
そんな夢をもって修行するのもいいことであります。
朝の八時半から五時まで子どもたちと過ごしてきたのですが、なんともいえぬすがすがしい、そして心地よい思いでありました。
横田南嶺