夢窓国師の悟り
問答をして、自分は本当に大安心の心境に達しなければ、再び仏国国師に見えることはしないと心に誓いました。
そして鎌倉を離れて奥州の白鳥に向かいます。
道友の誘いによるものでありました。
三十歳になって白鳥を離れて、内草山に入ります。
ここに一年ほど留まっています。
ある日の夕方、夢窓国師が炉端に坐っていると、突然火焰が薪から離れ、空中に燃えて、その光が稲妻のきらめくように光ったのを見て、胸中がからりと晴れ渡ったという経験をされました。
更に翌日、日の光が窓の前の竹を照らし、その影が風に従ってゆらゆらと揺れ動くのを見て、日用いろんなことをしていても何も滞るものはなくなったという体験をしました。
しかし夢窓国師は自ら嘆いて「勇猛に精進すれば、必ず本分の田地(本来の自己)に相応するだろうと思って、ひたすら参究してきたが、仏道を求める思いは、情念に勝てない。ややもすれば外の世界のために心が動いてしまう。
これからは外の世界を自己と対立したものとして見ないようにしよう。
仏さまの醒めるのも眠るのも同じ、憶えるも忘れるもひとつと言っている」と思ったのでした。
三十一歳のとき、夢窓国師は常陸国の臼庭(現在の茨城県北茨城市)に到ります。
ここで比佐居士という在家の人の接待を受けます。
比佐居士という人は仏教に対する信仰の非常に篤い人であって、夢窓国師の評判を聞いていました。
夢窓国師はまだ修行中であったにもかかわらず、いろんな方から慕われていました。
臼庭というところは、夢窓国師がお亡くなりになった後も、ご縁がありました。
のちには臨川寺の荘園として、更に夢窓国師のご遷化のあとは、円覚寺の正続院に寄進されたのでした。
正続院は、今の円覚寺僧堂のあるところです。
この比佐居士のはからいではないかと柳田聖山先生は、考察されています。
比佐居士は夢窓国師のお世話をしていました。
比佐居士は、夢窓国師に「どちらに行かれるのですか。
私のところに小さな庵があります。
静かなところですから、どうかここに留まってください。
身の回りのことは私がお世話いたしますから」と出迎えるのです。
しかし夢窓国師は、「いや、私はまだ修行の途中でこれから再び仏国国師について参禅して自らの疑問を明らかにしたいのです。ですからここにずっといようという気はないのです」と言って、一度は比佐居士の申し出を断ります。
ところが、その日の夕方、夢窓国師は仏国国師が前回別れるときに言った言葉を思い出すのです。
「学道の人、世出世に於いて毫釐も挟む所有らば悟入すること能わず。」
という言葉です。
出世というのは、仏教の言葉で第一義としては出世間ということ、即ち世間を離れて仏道に入るという意味です。
仏道を求めようという思いがまた悟りへのさまたげとなることもあるのです。
この言葉を思い出して、自分の修行を省みた夢窓国師は、
「一向に仏法の中に於て頭を膠盆に刺す。所以に大解脱を得ざるのみ」と自戒しています。
まだ仏法についてはっきりしていない、まだ自分の悟りは十分ではない、というのです。
「頭を膠盆に刺す」というのは、頭を膠の中に入れたようなもので何も見えていない、という意味です。
このように思い至った夢窓国師は、「先ほど仏国国師のところへ行くと言いましたが、あなたのお勧めに従って、しばらくここに留まります」と告げます。
すると比佐居士は非常に喜んで世話をしてくれ、比佐居士の提供してくれた庵に暮らして、坐禅修行に励みました。
二月から比佐居士の庵に滞在し三か月、五月末に一日庭前の樹下に涼んでいました。
いつの間にか夜更けになって、疲れて庵の中に入りました。
おそらく、いつも横にはならないで壁にもたれかかって坐ったまま休んでいたのでしょう。
壁があるつもりで体を寄せかけたら、そこに壁はなくてひっくり返り、思わず失笑しました。
そのときにはっと気がつきました。
このとき夢窓国師は一篇の詩を詠みます。
多年地を堀って晴天を覓む
添い得たり、重々礙膺の物
一夜暗中に碌甎を颺げ
等間に撃碎す、虚空の骨
長い間、青空を求めながら地面を掘り続けていた。
「礙膺」とは自分の胸につっかえるもののこと。
今までいくつもいくつも自分の胸に引っかかるもの、とらわれるものばかりが増えていった。
しかし、それがぱっと抜け落ちた。
夜の暗闇に瓦のかけらを投げた。
大宇宙、広い空間に骨のような実体のあるものはないのですが、それまでは実体があると思っていたものが撃砕されてしまった。
という意味です。
青空は初めからずっとそこにあるのですが、それに気がつかずに今までは深い迷いの中で穴ばかり掘っていた。
でも、とらわれが消えてようやく青空が広がっていることに気がついたというのです。
これが三十一歳のときの体験です。
その後、仏国国師が鎌倉の浄智寺に出てくるという噂を聞いて、夢窓国師は仏国国師を訪ねます。
そこで問答をして自分の悟りを認めてもらいます。
すなわち印可を受けるのです。
ここで修行の一区切りができたのです。
横田南嶺