最善と思って生きる
毎月有志の方々と勉強会をなされていて、その講演をまとめて掲載されています。
毎月講師を招いて勉強会をするだけでも大変ですが、それをまとめて講演録を作って、印刷して送るというのは、たいへんな労力です。
いつも頭の下がる思いで拝読しています。
8月号には、実践人の家の理事長である兼氏敏幸先生の講演録が掲載されていました。
実践人の家は、森信三先生の教えを実践して社会に貢献しようという団体であります。
理事長の兼氏先生にはお目にかかって挨拶させてもらったこともあります。
今回の講演録は、短い中に、森先生の大事な教えが凝縮されていると感じ入りました。
まずはじめに、兼氏先生は、
「森先生に救われたという人は非常にたくさんいます。
その教えの中でももっともよく聞かれるのが「最善観」の教えです。
これは、世の中に起こることはすなわち必然であり最善である、ということです。
森先生はそれに絶対をつけて、「絶対必然即絶対最善」と言われています。
生きていれば、辛いことや苦しいことをみんな経験していきます。
けれども、それが実はそのときに起こったべストのことであり、「天意と心得べし」と森先生は言っているのです。」
と説かれています。
森信三先生の『修身教授録』にも「最善観」について詳しく書かれています。
「最善観」は森先生自身「私自身の人生に対する根本信念の一面と言ってよいのです。」と仰せになっています。
そこで森先生は、
「現在の自分にとって、一見いかにためにならないように見える事柄が起こっても、それは必ずや神が私にとって、それを絶対に必要と思召されるが故に、かくは与え給うたのであると信ずるのであります。」というのです。
「すなわち、いやしくもわが身の上に起こる事柄は、そのすべてが、この私にとって絶対必然であると共に、またこの私にとっては、最善なはずだというわけです。」と説かれているのです。
兼氏先生の講演録で
「そうですよね。辛いことや一見不幸だと思えることがあっても、「これが今の自分にとってベストであり、後々必ず役に立つんだ」と信じることができれば怖くないですね。」
と説かれています。
しかし、兼氏先生にしても「実際に辛い経験をしている真っ只中にあるときには、簡単にはそうは思えなかったですね。」というのです。
それはどういうことかというと、「三十六年ぐらい前でしょうか。森先生の高弟であられた寺田 一清先生にこんな質問をしたことがあります。
「寺田先生、この絶対必然即絶対最善の意味は言葉ではわかるのですが、事故などで亡くなった人、そしてその親族にとっても絶対必然即絶対最善と言えるのでしょうか」と。」
森先生のご高弟である寺田一清先生に尋ねたそうなのです。
日航機墜落事故があった頃だそうです。
坂本九さんはじめ五百人以上の方々が亡くなった事故でした。
そのとき「寺田先生はしばらく考えた後、「そうですよ」と答えられました。
その後、「だって、そう思う方が楽でしょ」と言われたのです。」
というのです。
そこで兼氏先生も「たしかに、世の中で起こったことはもうどうしようもありません。
亡くなった方が生まれ変わることもないし、一度起こったことが時間を逆戻りして元に戻ることはありません。
となれば、「それは今後、何かの役に立つんだ。そしてその意味を考える方がいいんだな」というふうに思いました。」
と説いてくださっています。
しかし、そのあとに兼氏先生は、
「ところが実際に不幸に遭われた方や、肉親を亡くされた方に対しては、「絶対必然即絶対最善ですよ」なんて言えないですよね。
言っても、「何を言ってるんだ」というふうになると思います。
そういうときには、やはり一緒にそばにいて一緒に泣いてあげるしかないんじゃないかなと思います。」
と仰せになっています。
これはありがたい言葉だと思いました。
まさにその通りで、最善観というのは、やはりある程度の時間や、ご縁がみのってそのように受け止められるようになるものであって、いままさにたいへんな目に遭っている人には、兼氏先生の仰せの通り、「そばにいて一緒に泣いてあげるしかない」ものであります。
そこで兼氏先生は「私は中学校の教師をしていましたが、一人の生徒が事件に巻き込まれて亡くなったことがありました。
そのとき、残された保護者といろいろ話しました。
ただただ一緒に泣くしかなかったです。」
と書かれていて、兼氏先生のお人柄がよく伝わってまいりました。
日航機の墜落事故は、私も夏が来るたびごとに思い出すものです。
私が僧侶として初めて携わった葬儀が、あの事故で亡くなった方だったのでした。
そのご家族の悲しみをまのあたりにしてきたものです。
その頃、師匠のおそばにいて、わかったのは、師匠はなにも説教らしいことは言わずに、ただご遺族の話を聞くことに徹しておられたということでした。
森先生にしてもそのご生涯にはご苦労が多かったのでした。
幼くして養子に出されたことも、何度か死にかけるような体験をされたこともあったようです。
そして晩年にご長男を亡くされたのも悲痛の極みであったと察します。
思うに任せぬ苦労をなされて、そんな体験を通して、幾たびも涙を流された末に、
「いやしくもわが身の上に起こる事柄は、そのすべてが、この私にとって絶対必然であると共に、またこの私にとっては、最善なはずだ」と受け止められるようになったのであります。
「自己に与えられた全運命を感謝して受け取って、天を恨まず人を咎めず、否、恨んだり咎めないばかりか、楽天知命、すなわち天命を信ずるが故に、天命を楽しむという境涯です。」という心境にまで達したのです。
容易なことではありません。
横田南嶺