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臨済宗大本山 円覚寺

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2024.07.26
今日の言葉

仏通寺の素晴らしさ

仏通寺の開山愚中周及禅師こと大通禅師には尊敬の思いをずっと抱いてきました。

それだけに大通禅師開山の仏通寺を訪ねるのは楽しみでありました。

いつかお参りしたいと思っていると、必ずご縁がみのるものです。

先日は仏通寺の夏季講座にお招きいただいて話をさせてもらいました。

なかなかよその本山でお話することは滅多にありません。

妙心寺様では、ただいま花園大学の総長でもありますので、何度かお話させてもらったことはあります。

本山で話をするというのは緊張するものであります。

前日の夕方に広島に入って、仏通寺の和尚様方と食事をさせていただきました。

仏通寺派には約五十ヶ寺ほどの末寺があります。

前の日には宗務総長や宗会議長、大衆禅堂長や本山にお勤めの和尚様方十人ほどとご一緒に歓談しながら食事をいただきました。

驚いたことは、その日にお集まりいただいた仏通寺の和尚様10名ほどの中に、お寺でお生れになった和尚はいらっしゃらないというのです。

皆それぞれ発心して出家し、修行して僧になった方ばかりなのでした。

お寺で生まれようと、在家から出家しようと、人間には何も違いはないのですが、やはり出家しようと志した方というのは、どこか違うものがあるものです。

それぞれの思いを持ってお寺の世界に入って今仏通寺でお勤めになっていらっしゃるのです。

それだけに有り難かったのは、私が今修行道場で取り組んでいることについて皆さんよくご存じで、そしてとてもよく理解し賛同してくださっていることでした。

やはり伝統を重んじるのが私たちの世界でありますから、円覚寺派にいても私の行っていることには批判的な方も多いのが現状であります。

むしろ小さくなって遠慮しながらやっているというのが実情であります。

それがこんなにも多くの和尚様が私のことを理解してくださって感動しました。

人生は時によいことがあると思っていますが、改めてそう思いました。

一泊して次の日の午前中に仏通寺にお参りしました。

はじめに巨蟒橋という屋根のついたなんとも趣のある橋のところから入ってゆきます。

和尚様方がお出迎えくださっています。

寺の前に川が流れています。

今地図などには佛通寺川と記されていますが、この渓流は「活龍水」と呼ばれ、佛通寺本寺の結界であります。

この橋を渡る者は一切の俗塵を捨て去ることが必要で、不心得者が渡ろうとすると、どこからともなく蟒蛇が現れて威嚇したというのです。

私などはだいじょうぶかと心配で渡りましたが、幸いに蟒はでませんでした。

仏殿にお参りして、大玄関から入って、雪庭の間でお茶をいただきました。

それから本堂でお経をあげました。

開山さまにご回向させてもらいました。

そして禅堂などをご案内してもらいました。

たくさんの建物があるのですが、どれもが廻廊でつながれていてとても便利になっています。

お昼はお寺の方が用意してくださった仏通寺うどんをいただきました。

そして、午後1時から九十分お話をさせてもらいました。

その日の演題を決めたのが、今年の二月インド仏跡をお参りして帰って来た頃でしたので、「仏陀を慕いて」と題して話をしました。

はじめに自己紹介を兼ねて、私が今まで歩んできたこと、その間にめぐりあった素晴らしい人生の師について話をしました。

小学生時代に出会った和歌山県由良町興国寺の目黒絶海老師、それから中学生時代にであった松原泰道先生、高校時代に出会った山田無文老師などのことを話しました。

それから直接出会うことはありませんでしたが、円覚寺の朝比奈宗源老師とのご縁などもお話しました。

そんなすぐれた方々にめぐり会ってどうにか仏弟子として六十歳になって、ようやくお釈迦様の国をお参りしたことに触れました。

お釈迦様のご生涯を話しながら仏教の教えについてお話しました。

そして終わりにはお釈迦様にまつわる禅の公案について話をしたのでした。

『無門関』にある、拈華微笑の話を取り上げました。

お釈迦様が、ある時のお説法で何も話さずに、ただ一輪の花を取り上げて皆に示したのでした。

皆は何の事やら分からずにいましたが、お弟子の迦葉尊者だけがにっこり微笑んだのでした。

そこでお釈迦様は、正しい教えは、迦葉尊者に伝わったと仰せになったのでした。

お釈迦様のご生涯を拝見しますと、その要所要所に花がございます。

お生れになった折には、無憂樹という花が咲いていました。

お釈迦様のお母様である摩耶夫人は、その花に手を差し伸べた時に、お釈迦さをお産みになったのでした。

悟りをお開きになったところには菩提樹という木がありました。

そしてお説法をしようと決意した時には、蓮の花をご覧になっていたのでした。

それから最期をお迎えの時には、沙羅双樹の花が咲いていたのでした。

花は与えられた場所で、その命を精いっぱい咲いています。

もろくはかない命でありますが、そのひとときを精いっぱい咲くのであります。

もろくはかないからこそ、命は尊く大事にしないといけません。

この花を愛する如く、命あるものを慈しむ心を花に見られたのだと思います。

最後にお釈迦様と帝釈天の話をしました。

お釈迦様が町を歩いていて、ここにお寺を建てるとよいと仰せになりました。

すると帝釈天が、草を取り上げて、その大地にすっと指しました。

それでお寺ができあがったというのです。

今の世の中は、なかなか戦争がやみません。

殺生をもっともお嫌いになったのがお釈迦様でありますが、この二十一世紀になっても世界のどこかで争いが起ってやまないのであります。

どうすればこの世を平和で皆が幸せになれるようにできるのか、大地に一本の草を植えたように、一人一人がこの命を愛おしむ心をもってこの世を生きるよりほかないのであります。

お互いの心がこれからの世の中をきりひらいてゆくのですとお話をしたのでした。

そうして帰途につきました。

仏通寺はその境致が素晴らしいのはいうまでもありません。

控え室にいても、川のせせらぎがなんとも言えないのであります。

話を終えて、つくづく思ったのは、私の話など聞くよりも、この川のせせらぎを聞いていた方がよほど良かったのではないかということです。

山のみどりに、川のせせらぎにお互いの心が浄められます。

実にきよらかなお寺であります。

そしてそこにいらっしゃる和尚様たちがまた素晴らしい方々でありました。

仏教や禅は決して滅びるものではない、ますます世に輝くと実感したのでした。

 
横田南嶺

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