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臨済宗大本山 円覚寺

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2024.07.20
今日の言葉

まず知ってほしい

七月の日曜説教は、栄西禅師について話をしました。

いつもであれば、九時から十時まで法話をして、そのあと方丈では坐禅会、大書院では写経会を行っています。

先日の日曜説教では、坐禅会も写経会もお休みにして、法話のあと、「能登半島炊き出し支援チャリティー」という、能登の大地震への復興支援の催しを行っていました。

三十分ほど能登の話を、輪島市で日本料理店を営んでいる富成寿明さんにしてもらい、そのあとお弁当や能登の素材を使った飲食物の販売を行いました。

販売は午後からも、円覚寺の総門下で行っていました。

能登の復興がなかなか進んでいないということを耳にしています。

何かできることはないかと、いろんな方と相談して行ったものであります。

法話では、復興支援にもつながるような話にしようと思っていました。

それと栄西禅師の話とどうつなげるのか、考えていました。

栄西禅師というと、日本にはじめて禅を伝えた方として知られています。

しかし、実際には、栄西禅師以前にも禅が日本に伝わったとも言われています。

いろんな説がありますが、平安時代、嵯峨天皇の后である檀林皇后(七八六~八五〇)が、唐の禅僧義空を来日させて檀林寺を創建して禅に参じたと言われています。

「唐土(もろこし)の 山のあなたに 立つ雲は ここに焚く火の 煙なりけり」という和歌は、皇后の悟りの心境を詠ったものです。

しかし義空はわずか数年にして唐の国に帰ってしまいました。

唐土(もろこし)の 山のあなたに 立つ雲は ここに焚く火の 煙なりけり、この和歌がどう悟りの心を表しているのか、法話のなかで示そうと思いました。

遠く中国の山で浮かんでいる雲と、ここで火を燃している煙とどうつながるのか、不思議に思います。

覚阿という僧が、宋に行って禅を学んで帰ってきていましたが、この方は禅を日本に伝え弘めることはなされなかったようです。

大日房能忍という、日本達磨宗と称する一派もありましたが、その教えは根付きませんでした。

それから栄西禅師が鎌倉時代のはじめに日本に禅を伝えたのでした。

しかし、帰国してわずか三年で、大日房能忍と共に布教の停止を命じられてしまったのでした。

それにもめげずに、栄西禅師は博多に聖福寺を開きました。

聖福寺は山門には後鳥羽天皇の宸筆と伝わる「扶桑最初禅窟」の額が懸かっている日本最初の禅寺であります。
 
栄西禅師は、その後鎌倉幕府と縁ができます。

五九歳の時、鎌倉幕府から招かれて源頼朝一周忌法要の導師を勤めています。

更に北条政子の帰依を受けて鎌倉に寿福寺を開きました。

そんなことから縁が結ばれて鎌倉幕府二代将軍源頼家の帰依を受けて京都に建仁寺を開きました。

建仁寺は天台と密教と禅と、三つの教えを学ぶ道場となったのでした。

やはりまだ禅だけを学ぶというようにはゆかなかったのでした。

比叡山への配慮もあったということです。

大日房能忍と共に布教の停止を言い渡された栄西禅師が、比叡山からの論難に答えるべく、自ら禅の立場の正当性を主張しようと著わしたのが『興禅護国論』という書物です。

その序文には、

「大いなる哉、心(しん)や、天の高きは極むべからず、しかも心は天の上に出づ。
地の厚きは測る可からず、しかも心は地の下に出づ。日月の光はこゆべからず、しかも心は日月光明の表に出づ。大千沙界は窮むべからず、しかも心は大千沙界の外に出づ。」

という有名な言葉があります。

「広大なるかな人間の心よ、天は空高くして極限がないが、それにしてもその心はその高さを超えて出でるものがあり、地は層が厚くして測ることができないが、それにしてもその心はその厚さの下をそれ以上にひろがり出でるものがある。太陽や月の光も心の光に較べたら、その光を超え得るものでなく、したがって心の光は日月の光明の上にさらに超出している。」(『日本の禅語録1 栄西』柳田聖山訳)という意味です。

心というとどれくらいの大きさを考えるでしょうか。

体のどこかにおさまっていると思う方が多いように感じます。

しかし、心は広いのです。

体の中に収っているようなものではありません。

大空よりも広いのです。

地面よりも深いのです。

それくらい広いので、そこには自分と他人との境も区別もありません、

生と死の境目もまたありません。

何の区別も差別もないから「空」ともいいます。 

そして「空」なるが故に、一切のものを覆い包むことができます。

この広い天地も覆い尽くすのです。

それだから自分だけのことでなく、他人のことも思いやることができます。

現地にゆくことはかなわずとも、被災地のことを思いやることもできるのです。

何か自分にできることはないかと思うこともできます。

できる範囲で支援も可能なのです。

更に遠く海の向こうのことまでも思いやることもできます。

檀林皇后は、唐土(もろこし)の 山のあなたに 立つ雲は ここに焚く火の 煙なりけりと詠いましたが、遠くで起きてることが、自分のところのように感じることができるのです。

遠くとこちらとの隔てがないのであります。

今の時代であれば、報道によって遠くウクライナやイスラエル、パレスチナのことまで思うこともできます。

心には特定の姿形はなく、広く広く広がっているからなのです。

心とはこんな広大なのです。

自他を区別せずに思いやることのできる慈悲の心なのです。

そんな話をして、どうか本日は遠くの能登の方のことを思って少しでもご支援をいただければ幸いでありますと、話を終えたのでした。

輪島の富成さんをはじめスタッフの方々が準備してくださいました。

修行道場の者も手伝ってお弁当の支度をしていました。

たくさんのお弁当を用意している様子が目に入りましたので、残らなければいいなと思っていましたが、さすがに暑い中を日曜説教にお越しくださる方は皆慈悲の心が厚くて、用意した百五十箇のお弁当を完売することができたのでした。

能登の話のなかで、今能登の方に対して私たちに何ができるのか、何をしてほしいのかという問いに対して、富成さんは、まず能登のことを知ってほしいと仰っていました。

慈悲は知ることから始まります。

もっと言えば知ることが慈悲であります。

何も知らないのは困ります。

知ってほしい、それから能登の物を少しでも買ってほしいと仰っていました。

そしてできれば能登に足を運んでほしいというお話でありました。

まず知ることから始まるのであります。

 
横田南嶺

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