そこそこ
こういう冊子類はたくさん送ってもらうのですが、やはり仏教関係のものは、何か参考になることはないかと拝読しています。
目を通していたら、ホトカミの吉田亮さんの文章がありました。
「インターネットで「100年後に神社お寺を残す」」というタイトルで書かれていました。
「ああ、吉田さんだ」と思って拝読していました。
吉田さんは「ホトカミ」を立ち上げた方であります。
「ホトカミ」については、神奈川県仏教青年会布教紙「おぼん」に次のように書かれています。
引用させてもらいます。
「毎月100万人が利用する神社お寺の検索サイト「ホトカミ」
「2040年、神社寺院の3割が消滅する!」。
専門家によるそんな予測があります。
神社寺院の消滅とともに、その地域で受け継がれてきた文化や歴史も失われてしまいます。
原因は、人口減少と過疎化、信仰の変化など社会の変化による、檀家制度の限界。
必要とされているのは、「個人」との新しい繋がりです。
しかし、インターネットで情報を発信している神社寺院は全体のわずか5%程度。
そこで私たちは、神社寺院の検索サイト「ホトカミ」を運営しています。
毎月100万人の方がホトカミを通じて神社寺院を検索し、ご縁を結ばれています。
御朱印・坐禅・写経などの体験や、病気平癒・厄除けなどのご祈祷の情報も全国で一番充実しています。
ぜひ、「ホトカミ」とインターネットで検索してみてください。
ホトカミは簡単にいうと、飲食店を検索するサイト「食べログ」の神社お寺版です。
食べログでは、「美味しかった」「まずかった」などの評価をしますが、ホトカミでは、「お参りしたら桜がキレイだった」「今年も家族でお盆にお墓参りできました」などと、良かった思い出を書き込みます。」
と書かれています。
私は、龍雲寺の細川晋輔さんのご紹介で数年前にお目にかかって以来のご縁であります。
今年の三月にも円覚寺で講演してもらったのでした。
そんな吉田さんが先日訪ねて来てくれました。
以前お目にかかった折に、後継者不足の問題についていろいろ考えてみたと仰るので、一度お話をうかがいましょうということで、お願いしたのでした。
三時間ほど、あれこれとお話をうかがいました。
お若い方のお話を聞くのは楽しいものです。
いろんな物の見方を学ぶことができます。
神社お寺のお参りに熱心な方で、ホトカミに既に七〇〇〇もの投稿をなされている方もいらっしゃるとうかがいました。
六五〇〇ものお寺を電車やバスなどを利用してあとは歩いて廻っているのだそうです。
現役ではたらきながらお休みを利用して神社お寺をお参りしているという、そんな熱心な方もいらっしゃると知って驚きました。
それがまだお若いの方なのだそうです。
そんな話題から話が始まりました。
後継者不足の問題は、我々の世界では深刻な問題であります。
修行道場の修行僧が激減しているので、これはそのまま次世代の後継者の不足を表しています。
吉田さんの提案では、仏教界にスターのような存在が欲しいということでした。
野球でもイチローさんや大谷翔平さんのような方が出ると多くの方が野球に関心を持つというものです。
仏教界にもそんなスターがあれば、仏教の世界に入ってみよという若者も増えるのではないかというのです。
かつて高田好胤和上などは、その時代に大きな影響を与えた僧でありました。
しかし、長い仏教の歴史をみても、そんなスターのような方は数多いわけではありません。
映画になったような僧では、やはり空海弘法大師や日蓮聖人でありましょう。
まず臨済では映画になるような僧はいないのであります。
やはり地味な宗旨であります。
吉田さんは、私にスターのようになって欲しいと言ってくださったのですが、それは無理というものです。
須磨寺の小池陽人さんのような方は、そうなりそうに思って応援しています。
「一片の月海に生ずれば、幾家の人か樓に上る」という禅語があります。
お月さまが海から現われてくると、たくさんの家の人たちが、お月様をみようと高い建物に上るという意味です。
素晴らしい存在があれば、多くの人が心惹かれて、少しでも近づこうとするようなものなのです。
有り難いお言葉ですが、もう私などは六十を迎える老僧なのであります。
とてもではありませんがそんな存在になれそうにはないのであります。
恥をさらすだけでありましょう。
今円覚寺のYouTubeチャンネルの登録者が三万人を超えています。
これだけで十分有り難いと思っているのですが、吉田さんは十万人を目指そうと、あれこれといろんな提案をしていただきました。
これもまた有り難いことだと拝聴していました。
しかしながら、これが困ったことに、登録者を増やそうとか、発展させようという気が、私には無いのであります。
だいたい増えれば良い、発展すれば良いという考えが人間を苦しめるのだと思っているのであります。
今も既にこれだけ多くの方が毎日聞いてくださって、時にお手紙でも下さるとそれで十分だと満足なのであります。
私は中学生の時に松原泰道先生に出会って
花が咲いている
精いっぱい咲いている
わたくしたちも
精いっぱい生きよう
という言葉をいただきました。
それ以来この言葉を人生の杖言葉にしています。
自分の場所に小さな花でも咲かせればそれでいいのです。
ときに誰かが足をとどめてくれたならばそれだけで十分過ぎるものです。
今のところ、こんなに多くの方が聞いてくださって、もう十分だと感謝しています。
毎回のタイトルも私が自分でつけています。
もっと再生回数が多くなるタイトルの付け方があると教えてくださったのですが、どうもあまりそんな気がないものです。
まあ、こんなものでいいや、そこそこでいいやと思っているから、毎日続けることができているのだと思っています。
欲を持つと疲弊してしまいます。
そんなことを考えていました。
そこでせっかく吉田さんからいろんなことを教わっていながら、今日のタイトルは「そこそこ」にしたのでした。
まあこんなものです。
横田南嶺