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臨済宗大本山 円覚寺

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2024.07.07
今日の言葉

ふと出家

江戸時代に鈴木正三という禅僧がいました。

この方のことは『広辞苑』にも載っています。

「江戸前期の仮名草子作者。

名は重三、のち正三(しょうぞう)・昌三・聖三。

三河の人。もと幕臣、出家後、正三(しょうさん)と称する。

武士道精神を加味した禅をとなえ、二王禅と名付けた。

作「盲安杖」「二人比丘尼」「驢鞍橋」「破吉利支丹」など。(1579~1655)」

と書かれています。

岩波書店の『仏教辞典』でもう少し詳しく調べてみましょう。

「1579(天正7)-1655(明暦1) 

江戸時代初期の曹洞宗の僧、仮名草子作者。

俗名重三、通称九大夫。玄々軒・石平道人などと号す。

三河(愛知県)出身の武士で、徳川家に仕え、関ヶ原や大坂の陣にも出陣したが、1620年(元和6)出家。

曹洞宗に属するが、既成の教学にとらわれず、世俗の職業生活に即した仏法を説き、仮名草子をもって布教し、またキリシタン批判の書もある。

その職分論や仏教の政治的活用など、幕藩体制形成期におけるイデオロギー的役割が注目される。

著作に『驢鞍橋』『盲安杖』『二人比丘尼』『破吉利支丹』『因果物語』『万民徳用』など。」

というのであります。

『広辞苑』には江戸時代の仮名草子作者として書かれているのがおもしろいところです。

『仏教辞典』では江戸時代初期の曹洞宗の禅僧となっています。

愛知県加茂郡足助の生まれです。

父は武士でありました。

正三もまた関ヶ原の合戦、大阪冬の陣、夏の陣にも参戦している武士でありました。

それが数え年42歳で出家しているのです。

もともと人間の生死の問題について考えていたようなのであります。

四歳の時に同じ年の子が死んでしまい、子どもながらに、死とはいったい何か、あの子は死んでどこにいってしまったのかという疑問が湧いて、それが永く続いたというのです。

こういう三歳か四歳ころの原体験というのはその人の生涯に大きな影響を与えると思います。

私もまた同じ体験を持つだけに親しみを覚えたものでした。

私が鈴木正三のことを知ったのはまだ中学生の頃でした。

月刊誌『大法輪』に、大森曹玄老師がこの鈴木正三の『驢鞍橋』という書物の講話を連載されていてずっと愛読していたのでした。

鈴木正三は十七歳の時に、『宝物集』という書物を読んで、その中にある雪山童子の話を読んで感激して真理を求めるには、自らの身命を惜しんではならないという気持ちを起したのでした。

雪山童子の話というのは、お釈迦様の前世の物語です。

昔、お釈迦様が雪山童子であったという話です。

雪山童子が道を歩いていると、谷の底から「諸行無常、是生滅法」という声が聞こえてきました。

驚いて降りていってみると、痩せ衰えた鬼神がいました。

童子が、「いまの言葉を唱えたのはあなたか」と尋ねると、鬼神は「そうだ」と答えました。

そこで雪山童子は、「この偈文にはまだ後半の言葉があるはずだ。どうか教えて欲しい」と頼みますが、飢えて言えないと言いました。

何が必要かと問うと鬼神は、「暖かな肉を食べたら唱えよう」と言いました。

そこで童子は、「わが肉身をあたえよう、偈文を唱えよ」と言いました。

すると鬼神は、「生滅滅巳、寂滅為楽」と唱えました。

童子は、峰に登り、路のほとりの石に「諸行無常、是生滅法、生滅滅巳、寂滅為楽」と書き付けて、彼の鬼神に向って、高い所から身を投げ与えると、鬼神は忽ち口の中から蓮華を出して、童子をささげ奉ったのでした。

この鬼神は実は帝釈天の化現であったという話なのです。

十七歳の時にこの物語に感動して身命を惜しまずという決意をするのでした。

関ヶ原の合戦にも、捨身の心を鍛錬したというのです。

また大愚禅師、愚堂禅師という名だたる禅僧に出会っています。

更に大阪冬の陣、夏の陣にも参戦しました。

夏の陣に参戦したのは37歳でありました。

それが数え年42歳、江戸にて出家したのでした。

『驢鞍橋』には「ふと剃りたり」と書かれています。

いとも簡単に書かれています。

「ふと」とは『広辞苑』で調べると、

「「不図」は当て字

①たちまち。急に。
②たやすく。すばやく。
③急に思いついて。ひょっと。
④何かの拍子に。偶然。不意に。」

という意味であります。

急に思いついてということかも知れませんが、幼少期から死の問題について考え、十七歳で雪山童子の話に感激して、自分も命を捨てる覚悟で関ヶ原、大坂冬の陣、夏の陣に参戦して、世も家康の時代から、秀忠の時代と平穏になって、いろんな思いが募って、「ふと」頭を剃って出家したのでしょう。

そんな正三が説いたのは二王禅と呼ばれるものです。

『驢鞍橋』にはこんな言葉があります。

講談社の『日本の禅語録十四 正三』にある古田紹欽先生の現代語訳を引用します。

「仏道修行というのは、二王や不動尊の大堅固な気質を受けて修行すること一つである。

この気質をもって身心を責め滅ぼすよりほか、別に仏法があるとは思わない。

もし私の考える仏法に入ろうと思う人は、気力をひき立て、眼をすえ、二王不動が悪魔を降伏する形像の気質を受け、二王の心をしっかり持って、自己の悪業煩悩を滅すべし。

昔から、この仏像による修行の話をした人を聞いたことがないが、どうしても、このことが私の胸にぴったり相応しい」

という教えなのです。

私も中学生の頃にこんな文章を読んで、二王のように力んで坐禅をしたものでした。

また農業も仏道にかなうのだとして、一鍬一鍬南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と唱えながら耕作すれば仏果に到ると説いたのでした。

鈴木正三を学び直していると、いろいろと思い出すこともあり、気がつくものもあるものです。

 
横田南嶺

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