仁王のように
『広辞苑』には、
「伽藍守護の神で、寺門または須弥壇の両脇に安置した一対の半裸形の金剛力士。
普通、口を開けた阿形と、口を閉じた吽形に作られ、一方を密迹金剛、他方を那羅延金剛と分けるなど諸説がある。
ともに勇猛・威嚇の相をとる。仁王尊。」
と解説されています。
金剛力士とは、執金剛神とも言います。
「手に金剛杵を持って仏法を守護する神。
甲冑をつけ勇猛の相をなす。半裸の力士形に作られ、寺門の左右に安置されるものは、普通、仁王(二王)と呼ばれる」というものです。
お寺の門のところにお祀りされていることが多いのであります。
鈴木正三の『驢鞍橋』には、坐禅の修行は、この仁王のように行わなければならないと説かれています。
まず『驢鞍橋』という書物について調べてみます。
『驢鞍橋』は『広辞苑』にも記載されているものです。
「仏書。鈴木正三の言行を弟子の恵中が編集したもの。
3巻。1648年(慶安1)成り、60年(万治3)刊行。」
と解説があります。
これを岩波文庫から出したのが鈴木大拙先生でした。
手元にある岩波文庫の『驢鞍橋』は一九四八年の発行となっています。
この本の解説で大拙先生は、
「これは正三の弟子惠中の輯めたものである。
正三が、慶安元年、七十歲のとき江戸に出て、それから七十七歳で遷化するまで七年の間に、彼が師の身邊で見聞したところを記したものである。
萬治三年の春、即ち正三遷化後五年を経て、初刊せられ、上中下の三巻、四百五十餘の事項を載せてゐる。
惠中は随分忠實に師の言行を傳へたやうである。
本書を読むと正三道人の面目が紙上から動き出るやうに思はれる。
その頃の江戸の武士の言葉か或は三河の方言か、何れかは知らぬが、頗る撥剰たる俗語が、所々に見ゆるので、なほさらに、その人の面影を偲ぶよすがになる。」
と書かれています。
大森曹玄老師の『驢鞍橋講話』(大法輪閣)には、次のように説かれています。
「禅の修行においても、まず山門の仁王様のような気迫でやり出し、そしてやってやってやり抜いて、やっと観音様のような柔和な容態になる。
それを「仏像と云は、初心の人、如来像に眼を著て、如来坐禅は及べからず」
仏像というと皆あれがいいというので、如来様のなごやかな柔和な仏像にばかり目をつけ、それを真似して如来坐禅をしたがるが、始めから如来様のような穏やかな顔をしてフワーッと坐っているのでは駄目だという。
「只二王不動の像等に眼を著て、二王坐禅を作すべし」ウンと歯をくいしばり、仁王像や不動像のようにスックと背骨をつっ立てて坐るがいい。」
と解説してくださっています。
坐禅をするには姿勢が大事であります。
姿勢というのは、姿と勢いと書きます。
形だけではないのであります。
鈴木正三は二王のような勢い、気迫が必要だというのです。
大森老師は、
「姿勢という字は、姿という字の下に勢いという字を書く。
あの勢いという字はどういうことか。
”息競う”の詰ったものだ。
呼吸が競い立つように燃え立っていることであろう。
呼吸が整い、深い息ができれば、自然に背骨はスーッと立ってくる。
呼吸が整わないからすぐグンニャリするのである。
姿というのは外の形、勢いというのは中の呼吸の仕方、気力の充実の仕方。
だから、姿という外の形は勢いという中の呼吸の充実、気力の充実が伴わなければ正しくならない。」
というのであります。
それから腰を立てるということについても説いて下さっています。
「そうして腰を突っ立てるということが人間が人間としての主体を保つ根本的条件である。
で、昔は「腰抜け」とか「腰砕け」とか言われるのは最大の侮辱の言葉だった。
「お前は腰抜けじゃないか」と言われる。
それは度胸がないとか元気がないとかいうことではない。
人間としての主体性が確立していないということを「腰抜け」といった。
なぜならば、人間はもと類人猿の時代には四つんばいしていたかも知れない。
四つんばいの状態で全面的に地球の引力に引かれて、引力を退けて自ら立つということはできなかった。
動物の時代はそうであったろう。
ところが、人間として自らを自覚する段階になった時、スーッと前足を地球から放して突っ立った。
突っ立つ時には、腰の力で立った。
具体的に言えば、人間が両手を地球から放して、地球の引力に半ば背いて自らを立てた時、自己の主体性を確立したのである。
言いかえれば、人間の主体性は腰を立てるということによって確立された。
それが砕けてしまっていては、動物に帰って、全面的に引力に引かれる、ただ受動的に生きる存在にすぎない。
人間ではない。
いやしくも人間であるからには、スーッと腰を突っ立てなければならぬ。
うなじは天を突き、腰を伸ばして立つ。
始めから如来様のように、ばあさんが日向ぼっこで念仏しているような恰好をして、坐禅したところで仕様がない。
仁王・不動のような気力一杯の坐禅をすべきである。」
と説いて下さっています。
『驢鞍橋』のはじめには、次のように書かれています。
現代語訳は『日本の禅語録十四 正三』にある古田紹欽先生の訳文を引用します。
「仏道修行は、仏像を手本として修行すべきである。
仏像というのは、初心の人は、如来像に目をつけて如来坐禅をしようとしても、それはできない。
だから二王さんや不動さんの像などに目をつけて、二王坐禅をやれ。
まず二王は仏法の入り口、不動は仏の始めと思う。
それでこそ、二王はお寺の門に立ち、不動は十三仏のはじめにおられる。
そのはげしい気質を受けなかったら煩悩に負けるだろう。
ただ一筋に強い心をもって修行するよりほかはない。」
というのであります。
というように実に独自の坐禅を説かれたのが鈴木正三であります。
横田南嶺