無我の一法のみ
現代語訳を禅文化研究所発行の『遠羅天釜』から引用します。
「お釈迦さまが迦葉菩薩に質問なされた、
「どのような修行をすれば、大涅槃に至ることができるか」と。すると迦葉菩薩は、五戒十善、六度万行など、ありとあらゆる、戒法、善行を逐一挙げて答えたけれども、お釈迦さまはすべて許可なさらなかった。
そこで迦葉が「では、どんな修行をしたら涅槃に契うのでしょうか」とお尋ねすると、お釈迦さまは
「ただ無我の一法のみ、涅槃に契うことを得たり」とお答えになった。」
ということなのです。
「五戒」というのは、岩波書店の『仏教辞典』には、
「在俗信者の保つべき五つの戒(習慣)。
不殺生(ふせっしょう)・不偸盗(ふちゅうとう)・不邪婬(ふじゃいん)・不妄語(ふもうご)・不飲酒(ふおんじゅ)の五項からなる。原始仏教時代にすでに成立しており、他の宗教とも共通した普遍性をもつ」ものとして説かれています。
十善戒は「不殺生・不偸盗・不邪婬・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不貪欲・不瞋恚・不邪見」です。
その内容は、
第一不殺生は、すべてのものを慈しみ、はぐくみ育てること。
第二不偸盗は、人のものを奪わず、壊さないこと。
第三不邪婬は、すべての尊さを侵さず、男女の道を乱すことのないこと。
第四不妄語は、偽りを語らず、才知や徳を騙(たばか)ることのないこと。
第五不綺語は、誠無く言葉を飾り立てて、人に諂(へつら)い迷わさないこと。
第六不悪口は、人を見下し、驕(おご)りて悪口や陰口を言うことのないこと。
第七不両舌は、筋の通らぬことを言って親しき仲を乱さないこと。
第八不慳貪は、仏のみこころを忘れ、貪りの心にふけらないこと。
第九不瞋恚は、不都合なるをよく耐え忍び怒りを露わにしないこと。
第十不邪見は、すべては変化する理を知り心を正しく調えること。
というものです。
六度満行は、六波羅蜜です。
六波羅蜜は、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六つです。
一番目は布施、施しです。何かを施してあげることです。
物を施すだけでなく、言葉をかけてあげることも施しであり、笑顔をふり向けることも施しです。
二番目は、持戒で、良い習慣を保つことです。
三番目は、忍辱で、堪え忍ぶことです。
どんな辛いと思っても一時の事だと冷静に今の状況を受け入れることです。
四番目が、精進で、怠らずに努め励むことです。
五番目が、禅定で、心を静かに調えることです。
六番目が、智慧で、正しくものを観ることです。
涅槃に到る為には、これらもろもろの修行が必要ですと迦葉尊者がお答えになったのですが、お釈迦様は許しませんでした。
そこで迦葉が「では、どんな修行をしたら涅槃に契うのでしょうか」とお尋ねすると、お釈迦さまは
「ただ無我の一法のみ、涅槃に契うことを得たり」とお答えになったのでした。
これは実に仏法の核心をついた一言です。
これに対して白隠禅師は次のように語っています。
「しかし、この無我には二つがある。ここに一人の男がいる。心身が怯弱でいつも人を恐れているので、できるだけ自分を殺して人と接している。
罵られても瞋らず、撲られても我慢、馬鹿のようになって「事なかれ」で通し、これが無我だと思っている。
しかし、これは真正の無我ではない。
ましてや、このような無我になって念仏し、その功力によって往生成仏しようとすることは、真正の道ではない。
往生せんとする者は何者ぞ、成仏せんとする者は何者ぞ、みな、我ではないか。」
と説かれています。
単に無我を装っているだけではだめなのです。
そこで白隠禅師は、
「真の無我に契当しようと思うならば、何と言っても、まず懸崖に手を撤して絶後に再び蘇らねばならぬ。
そこで初めて、常・楽・我・常の四徳をそなえた真我を発見するであろう。
懸崖に手を撤するとはどういうことか。
誰も踏み入らぬ山中で道に迷い、底のないような高い断崖に出た。
絶壁にはすべりやすい苔が生え、足の踏み場もない。
進むことも退くこともできぬ。ただ頼むところはわずかに生えている蔦葛。
これにすがって、ようやくしばらく命を助かった。
しかし、手を離せば、たちまち真っ逆さまである。
修行もこのようにして進めて行かねばならぬ。
一則の公案に取り組んでいけば、やがて思う心も失われ、からりとして何もなくなり、さながら万仭の懸崖に立たされたようになる。
絶体絶命というところまで推しめていって、そこで忽然として、公案も我ももろともに打失する。 これを懸崖に手を撤する時節と言う。」
と説かれているのです。
無我のふりをするのもまだまだでしょうし、そうかといって一所懸命に修行すると、これまた我になってしまうこともあるのが人間であります。
それよりも妙好人という方の言葉に「無我」を感じるのであります。
因幡の源左さんにこんな話があります。
源左さんが五十代の頃、火事に遭って、丸焼になってしまいました。
願正寺の住職さんが、源左さんに「爺さん、ひどいめに逢ふたのう。こん度は、弱ったろう」と言ったところ、
慰められた源左さんは、
「御院家さん、重荷を卸さして貰ひまして、肩が軽うなりましたいな。前世の借銭を戻さして貰ひましただけ、いつかな案じてごしなはんすなよ」と言ったのでした。
「重荷を卸さして貰ひまして、肩が軽うなりましたいな」という言葉は、痩我慢して言ったのではないでしょう。
蜂に刺されても源左さんは、
「われにも人を刺す針があったかいやあ、さてもさても、ようこそ」と言ったのでした。
また夕立に遭ってびしょ濡れになっても、
「ありがとう御座んす。御院家さん、鼻が下に向いとるで有難いぞなあ」と言ったのでした。
こんな言葉に無我を感じるのであります。
横田南嶺