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臨済宗大本山 円覚寺

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2024.05.26
今日の言葉

からだが変わる、よろこぶ

先日は甲野陽紀先生にお越しいただいて講座を行ってもらいました。

甲野陽紀先生は、甲野善紀先生のご子息でいらっしゃいます。

昨年の八月以来、何度も円覚寺にお越しいただいています。

初めて講座を受けた時の驚きと感動は今も忘れられません。

御尊父の善紀先生が、お褒めになっているのももっともだと思ったのでした。

今回は、修行道場にもこの春新しく入ってきた修行僧が何名もおりますので、もう一度初歩から教えていただくようにお願いしました。

はじめに「一動作一注意」という甲野先生の大事なことが示されました。

まずはじめに立って、両方の手の指先と指先を合わせます。

この指先といっても人によって微妙に異なるのです。

本当に先端を指している場合もあれば、もう少し手のひら寄りの方もいたり、指の腹を指していることもあるようです。

ともあれ指先を合わせてと言われてパッと合わせたところが、その人にとっての指先なのです。

そうして指先を合わせて、指先にだけ注意を向けていると、体は安定して、橫から押されても動かなくなっているのです。

でもそのパッと合わせた点から少しずらしてみると、もう不安定になってしまうのです。

体は実に不思議です。

また指先を合わせながら、押されても押されないようにしようと思ってしまうと、崩れてしまって押されてしまうのです。

押されないようにというと相手にも注意が向いてしまって、一動作一注意ではなくなってしまうのです。

二つに注意を向けると崩れるというのは、実に気をつけないといけないことです。

丹田に注意を向けていて、そのほかに呼吸にも注意を向けると崩れてしまうのです。

いろいろと注意が散ってしまうと駄目になってしまいます。

また注意を向けるのも向けすぎると駄目になってしまうというのも教わりました。

これも気をつけないといけないことです。

甲野先生の教えでは末端から順番に動くことを説かれています。

末端から動けることが大事で、末端の状態は全体に波及するというのです。

手を合わせて立つだけでも体は安定します。

合掌の姿勢は安定した体になるのです。

でもあまり手に意識しすぎて、動かさないように力を入れていると、体は崩れてしまいます。

後ろから拍手されて、その瞬間にパッと拍手できるようにしていると、体は安定するのです。

いつでも動けるようにしている方が安定しているというのは、参考になることです。

坐禅もまたただじっと坐っているようで、いつでも動ける状態であることが、本当に安定になるのだと思いました。

手洗いの動作をするというのは今回はじめて教わりました。

手を丹念に洗っている動作をしながら歩みをすすめると、もう一人の人が抵抗しても押されなくなるのです。

手に注意がなされているから、進んでいけるのです。

飛行機で揺れながら手を洗っていて、手を洗いながら、ゆれないように踏ん張ろうとすると、かえってバランスを崩してしまいます。

手を洗うという行為だけに注意を向けていると、体は自然とバランスをとってくれるのだというのでした。

それから更に大転子、臂裏、そして踵の骨と土踏まずの境目の踵麓に注意を向けることを教わりました。

大転子に軽く触れて、「大転子を置く」と注意していると体は実に安定するのです。

臂の裏側に注意を向けても同じであります。

踵の骨と土踏まずの境あたりを甲野先生は踵麓と名づけられていますが、ここに注意を向けると、坐っていても体が安定します。

これは坐禅のときに大いに役立つものであります。

それから今回は五感の使い方を学びました。

たとえば黒板に白い○を書いて、その白丸を「見る」という場合と、白丸に「目線を向ける」という場合とでは、体が違うのです。

見るというと、視覚が優位になってしまうのです。

目線を向けるというのは、ただ結果的に見えているだけという状態なのです。

しっかりと立っているつもりでも、何かを見ようとすると体は崩れてしまいます。

また普通に立っていても、作務衣の着心地はどうかと聞かれると、視覚から触覚に移って安定するのです。

また立っていて、座布団を見つめると、体が崩れてしまいます。

座布団に耳を澄ませようとすると体が安定するのです。

これは坐禅の時に、じっさいに畳に耳を澄ませようとしてよく集中できたという修行僧がいました。

それから良い言葉が体を安定させるというのも驚きであります。

立っていて、相手に良い言葉をかけていると体は安定するのです。

橫から押しても、だいじょうぶだ、しっかりしていると言って押しても動かないのです。

ところが「もうだめだ」と言って押すと崩れてしまうのです。

言葉のはたらきは大きいのです。

ただ、「だめだ」という悪いことを言われたとしても自分の注意を座布団に耳を澄ませようとすると、体は安定して揺れないのであります。

これには驚きました。

なにか嫌なことを言われても石や柱に耳を澄ませると体は安定するということなのです。

石がささやく石の声と詠った老師がいらっしゃいましたが、石に耳を澄ませるというのも体が安定するのだと思いました。

いろんなことで体が変わり、安定すると体が喜んでいるように感じます。

そうすると、心も軽やかになって修行にも励めます。

はじめて講義を受けた修行僧もそれぞれ日常の動きや、坐禅に活用してくれていました。

 
横田南嶺

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