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臨済宗大本山 円覚寺

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2024.04.28
今日の言葉

感動の二話

知人から和歌山で開かれている修身教授録の読書会の案内のコピーを頂戴しました。

浅井周英先生が主催されている読書会だそうです。

浅井先生は森信三先生のお弟子でいらっしゃいます。

案内の文章を引用させてもらいます。

「子供が大人へと成長していくということは、ただ知識をどんどん吸収し、様々なことを知っていくということだけでありません。

他人の心を察することの出来る人になることも、とても大切なことだと思います。

ある女性が海外留学から帰ってきました。

留学する時に、九歳下の妹が 「離れたくない」と泣いていましたが、帰ってくると、妹はもう中学生になっていました。

そして、帰国直後、姉妹で電車に乗っていた時のことです。
二人は座っていましたが、どんどん乗客が増え、電車は一杯になりました。

すると小学校低学年位の男の子が、車内を走っては又引き返します。

乗客達は困り顔です。この姉妹の姉も、この走り回る子には困ったそうです。

「この子の親は何をしているのか、もっとちゃんとしつけをしてほしい」と思いました。

その時、またさっきの子が走ってきました。

すると隣に座っていた妹がサッと立ち上って、その子に言いました。

「あなたのお母さんをここに座らせてあげて」。

するとその子は大声で「お姉ちゃん有難う」と言いました。

よく見ると扉の所にしんどそうに立っている女性がいました。その子の母でした。

お母さんは、体調が悪いらしく、立っているのがやっとの状態だったのです。

だからその子は、満員電車の中を必死でお母さんの座れる席を探していたのです。
その子はお母さんの手を引いて席に座らせました。

姉は驚いて妹に聞きました。

「私は全く気付かなかったのに、どうしてお母さんのことに気付いたの」と。

すると妹は、「中学校で手話のクラブに入って手話を練習していると、いつの間にか困っている人が居ることに敏感になったの」と答えたそうです。」

なんという素晴らしい話かと思いました。

私なら気がつかないだろう、知らぬふりをしていただろうと思いました。

もう一つは、こんな話でした。

「昭和三十年代のある高校での卒業式の話が伝わっています。
この高校では、毎年卒業式には成績トップの生徒と、スポーツや音楽などで活躍した生徒がいたら、その生徒が表彰されました。

その年は、まず成績優秀である女生徒が壇上に呼ばれ表彰されました。次に県の陸上競技大会で、入賞した男子生徒が呼ばれて表彰され、みんなで拍手しました。ここまでは例年通りのことでした。

ところがその年は、もう一人の名前が呼ばれました。
「山田A子さん」(仮称)と。

これにはみんな驚きました。

なぜなら彼女は成績も良いわけでなく、何のクラブ活動もしていません。

学校はよく遅刻するし、早退もするし、学園祭の時、クラスで店を出したのに何の協力もしません。みんな「どうして彼女が」と驚いたそうです。

そして一番驚いたのが彼女本人です。名前を呼ばれても立ち上がろうともしません。

すると校長先生が「山田A子さん。この壇上まで上ってきてください」 と呼ばれたそうです。

校長先生に直接言われたものですから、彼女は立ち上がり、オロオロしながら壇上にあがりました。

そこで校長先生は賞状を読み上げました。

「山田A子さん。あなたはこの三年間、病気の母を看護しながら、四人の弟妹の世話をしながら、よくぞこの学校へ通われました」と。

そして校長先生は声を詰まらせて続きを読みました。

「あなたのような生徒こそ、我校の誇りであります。ここにあなたを讃え表彰します」。

会場はシーンとなりました。そして、彼女は賞状を受け取ると「ううっ」とうめいて、 「わー」と壇上で泣き始めました。

すると会場にいた生徒達は全員立ち上って拍手したそうです。

仏様の眼は慈眼と言いますが、細く眼を開けておられます。

これは途方もなく広く高いところから、この私の全てを見通しておられるということです。

いつでもどこでもちゃんと私を見守ってくれている、ということが分かると安心して生きていけます。

この校長先生も生徒ひとり一人のことをちゃんと見ていて下さったのですね。」

こちらの文章を読んでは涙がにじみました。

こういう先生こそ仏さまのような方だと思いました。

仏の慈悲は一切智であるとも言われます。

一切を知ってくださっているのが慈悲なのです。

一切智とは仏様のことを言います。

すべてを知ってくれている人なのです。

読書会の案内状なのですが、こんな素晴らしいお話が載っているので、驚きました。

読書会には行けなくても、この案内状を読むだけでもよい学びになります。

一枚の案内状にも心がこもっていることがよく分かります。

森信三先生の教えが、こうして今にも生きていることが分かりました。

「求道とは、この二度とない人生を如何に生きるか― という根本問題と取り組んで、つねにその回答を希求する人生態度と言ってよい。」

という森先生の言葉を思います。

素晴らしい感動のお話に触れて我が心が洗い清められました。

 
横田南嶺

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