坐禅の呼吸
「人間は誰でも仏と変わらぬ仏心を備えているのだ。
これをはっきりと信じ、言わば此処に井戸を掘れば必ず井戸が出来、水が出るという風に、信じ切らねば井戸は掘れぬ。
掘れば出ると思うから骨も折れる。
だから我々の修行もそれと同じだ。仏心があるとは有り難いことだと、こう思わねばだめだ。
そうしといて、井戸を掘るには井戸を掘る方法がある。
道具もいる。努力もいる。
坐禅も亦然りだ。やればキッと出来る。どうすればよいかということを考えねばならぬ。それには何時も言うように坐相に気を付けることだ。」
とあります。
仏心を具えていながら、そのことに気がついていないのが私たちです。
気がつく為にはどうしたらよいか、やはり坐禅がよろしいのです。
その坐禅をするにはまず姿勢を正すことから始まります。
朝比奈老師は
「姿勢をよくし、腰を立てて、息を静かに調えて、深く吸ったり、吐いたりして、丹田にグッと力を入れる修行をせねばいかん。
腰を立てないとどんなにしても力が入らん。」
と仰る通り、まず腰を立てることであります。
森信三先生は立腰と説かれました。
腰骨を立てることなのです。
それから更に朝比奈老師は、
「そうして色々考えたが、ワシの経験ではこの丹田に力を入れるとー臍の下二寸五分の所に力を入れねばいかんが、それも漫然と下腹に力を入れるというのではなく、臍の真正面というか、真下だな、真ん中だ。
それの二寸五分の辺に焦点を定めて、そこへ心を集中する。
そこで無字なら無字を拈提して坐る。」
と説かれています。
おへそから指の幅四本分下くらいのところです。
しかも体の表面ではなく内部です。
これが丹田です。
次に呼吸ですが、朝比奈老師は
「息はーよくこういう質問をする人があるから言うが、息は吸うときに力を入れるか、吐くときに力を入れるかとよく聞く人がある。
どうもこれも色々やってみたが、経験から言うと、吸うときは胸部に、つまり肺に息が入るのだから横隔膜が下に行くが、胸を広げるときだから、吐くとき鼻から静かに息を出しながら、こうして吐きながら静かに下腹に充たした方が、どうも良いようだ。
つまり何だな、上をふくらましたときグッと力を入れると、うっかりすると胃下垂というような病気になる。
だから吐く時ムーッと下腹に力を入れる。」
と説いておられます。
これは岡田虎二郎先生が説かれたのと通じるのであります。
岡田虎二郎先生は、その著『岡田式静坐法』の中で正しい呼吸として、
息を吐く時下腹部(臍下)に気を張り、自然に力のこもるようにと説かれています。
その結果息を吐く時下腹膨れ堅くなり、力満ちて張り切るようになるというのです。
吐く息は、緩くして長いのです。
吸う時は、空気が胸に満ちて、胸は自然に膨脹し、胸が膨れるとき臍下は軽微に収弛を見ると説いています。
呼気吸気のときに、重心は臍下に安定して気力が充実しているというのです。
吸う時に腹を膨らまし、吐く時に腹を収縮させるのとは違うというのです。
息を吐くときお腹をへこませずに、圧をお腹の外にかけるように意識してお腹周りを「固く」させるのが腹圧呼吸と言われますが、それに通じます。
朝比奈老師は、
「そうしてだんだん暫くやって、下腹に本当に力が入ったら呼吸には関係なくならねばいかん。
呼吸のことは、心配せんで、かすかに鼻から吸ったり吐いたりして、グッと公案に成り切っていく。
この成り切るなんていう言葉は禅にしかないかも知れぬ。
つまり外のああとかこうとか思う雑念を全部振り捨ててグッと行くのだ。」
と説かれていて、これは呼吸をも手放すことを言っています。
『長生きしたければ呼吸筋を鍛えなさい』という本で、医学博士の本間生夫先生は、次のように書かれています。
「人間の体の機能を正常に保つうえで、じつは二酸化炭素は酸素よりも重要な役割を果たしている面もあるのです。
ホメオスタシスのなかでも、特に重要なのが酸性・アルカリ性のバランスです。 人間の体はpH7.4の弱アルカリ性(pH 7、0が中性) で、 この数値をキープすることが、体調を正常に保つために非常に大切です。酸性に傾いても強いアルカリ性になっても、コンディションを崩しやすくなります。
このバランスを保つために、非常に重要な役割を果たしているのが二酸化炭素です。
血液中に二酸化炭素がたくさんあると体は酸性に傾き、その逆に少ない場合はアルカリ性になっていきます。」
と二酸化炭素の重要さを説いていて、そこから更に、
「二酸化炭素の調節システムは、この「無意識に行なわれる代謝性呼吸」のときのみに作動して、「意識して行なう随意呼吸」のときには作動しないメカニズムになっているのです。
ですから、深呼吸のような「意識して行なう呼吸」をずっと続けていると、二酸化炭素の調節システムが作動せず、かえって体内バランスを崩すことになってしまうわけです。
繰り返しますが、1、2回の深呼吸をたまに行なう分にはまったく問題ありません。
しかし、わたしたちの体をいつも通り一定に維持してくれているのは、あくまで「無意識に行なわれている呼吸」です。」
というように「無意識に行われている呼吸」の重要さを説いてくれています。
意識的に呼吸を調えて、調っていったならば、呼吸を手放して無意識の呼吸に任せるのがよろしいかと思っています。
横田南嶺