タンポポに学ぶ
ご主人が西澤孝一坂村真民記念館館長でいらっしゃいます。
久しぶりにお目にかかることができたのですが、お変わりなくお元気そうで何よりでした。
よく企画展をするのに、いろんな展示会をご覧になるために上京なさって、その折に寄ってくださることがありました。
今回もなにかお仕事かと思ってうかがいました。
もっともお仕事と言えばお仕事なのですが、なんとタンポポの写真を撮るためだというのです。
坂村真民記念館の企画展で坂村真民とタンポポというテーマで開催されようとお考えで、そのポスターにするのにタンポポの写真を撮っているのだということです。
タンポポなら、どこにでも咲いていそうだと思いますが、タンポポを撮るためにわざわざ旅をなさるというのは、とても素晴らしいと思いました。
ご夫婦でタンポポの写真を撮っておられるという、そのお姿に平和を感じます。
西澤真美子さんが、父である真民先生のご様子を語ってくださいました。
真民先生は、どこにいってもタンポポがあると、その場にしゃがんで、それそれはおよろこびになるのだそうです。
それもタンポポの花が咲くたびによろこばれるので、真美子さんも、そんなによろこばなくてもと思うほどだったというのです。
しかし、真美子さんは、そういうタンポポの花に会うたびに喜び、感動する心が詩を生み出していくのかと仰っていました。
これは深い話だと思いました。
私などは、タンポポが咲いていても、毎回そこまでよろこび感動するというほどではありません。
ああタンポポだ、真民先生のお花だと思って、ほんの少し足を止めるくらいであります。
これでは詩ができないのであります。
真民先生は、花を愛されたのですが、とりわけ野の花を大事にされていました。
野の花
わたしが愛するのは
野の花
黙って咲き
黙って散ってゆく
野の花
という詩は真民先生の優しいお心と、野の花のように生きようとする強い願いが込められています。
私が編集した『坂村真民詩集百選』にも花の詩を二十編選んでいます。
そのはじめには、
清貧
花が咲き
鳥が鳴く
それだけでも
どんなにこの世は
楽しいことか
お金をもうける
欲を捨て
せめて晩年でもいい
二度とない人生を
心平らかに
生きてゆこう
清貧に生きた
聖フランシスコのように
という詩を掲げています。
この詩の冒頭の
花が咲き
鳥が鳴く
それだけでも
どんなにこの世は
楽しいことか
この言葉にも真民先生の世界を感じることができます。
道の辺に花がさき、鳥が鳴いている、それだけ楽しいのです、それだけで幸せなのです、それだけで十分感動できるのです。
そんな心を持っていたいものです。
タンポポで一番知られているのはやはり「タンポポ魂」の詩です。
タンポポ魂
踏みにじられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする
この詩を読むと、みずから「モッコス」男と呼ばれた真民先生の力強さを感じます。
モッコスというのは真民先生のお生れになった熊本の方言です。
一こくもの、一てつもの、反抗者、がんこものなどの意を含んだ言葉です。
土性骨というような力強いものを感じるのです。
もっこすの唄という詩を紹介しましょう。
もっこすの唄
十一をかしらに
乳飲み子をいれて
五人遣され
たいていの女なら
しょげこむところを
母の立ちあがりは
見事だった
七十二年の生涯は
立派だった
母こそもっこすの
代表者だと
いばって言うことができる
そしてその血を受けて
育ったわたしだ
痩せてはいるが
貧乏してはいるが
ちょっとやそっとで
へたばりはせぬ
鉄敷(かなしき)のように
叩かれ通しでも
そうやすやすと
よわねは吐かぬ
肥後の根性者(こんじょうもん)の
こころ意気見せろ
これがタンポポの根強さなのだと思います。
タンポポを詠った詩はたくさんあります。
いくつか紹介しましょう。
本当の愛
本当の愛は
タンポポの根のように強く
タンポポの花のように美しい
そして
タンポポの種のように四方に
幸せの輪を広げてゆく
この詩はタンポポに学ぶものを、根と花と種の三つに分けています。
この三つから学ぶものをもう少し具体的に詠っているのが、「タンポポのように」という詩です。
こちらも紹介しましょう。
タンポポのように
わたしはタンポポの根のように
強くなりたいと思いました
タンポポは
踏みにじられても
食いちぎられても
泣きごとや弱音や
ぐちは言いません
却ってぐんぐん根を
大地におろしてゆくのです
わたしはタンポポのように
明るく生きたいと思いました
太陽の光をいっぱい吸い取って
道べに咲いている
この野草の花をじっと見ていると
どんな辛いことがあっても
どんな苦しいことがあっても
リンリンとした勇気が
体のなかに満ち溢れてくるのです
わたしはタンポポの種のように
どんな遠い処へも飛んでいって
その花言葉のように
幸せをまき散らしたいのです
この花の心をわたしの願いとして
一筋に生きてゆきたいのです
このように一途に咲く野の花から学ぶのであります。
何を学ぶかということは、この詩を読むとはっきりします。
花は歎かず
わたしは
今を生きる姿を
花に見る
花の命は短くて
など歎かず
今を生きる
花の姿を
賛美する
ああ
咲くもよし
散るもよし
花は歎かず
今を生きる
この詩は、全詩集の中では「今に生きる」となっていますが、真民先生のご生前に出版された講談社+α新書『花ひらく心ひらく道ひらく』には「今を生きる」となっています。
恐らく真民先生のご意向で変えられたのだと察します。
そこで私も真民詩集百選を編集したときには「今を生きる」にしたのでした。
最後に「自分の花」を紹介します。
自分の花
真実の自己を見出すために
わたしは坐を続けてきた
自分の花を咲かせるために
わたしは詩を作ってきた
しんみんよしっかりしろと
鞭打ち励まし人生を送ってきた
天才でない者は努力するほかに道はない
タンポポを愛し朴を愛するのも
その根強さとその悠揚さとを
身につけたいからである
坐も生死
詩も生死である
ああこの一度ぎりの露命の中に咲く花よ
どんなに小さい花でもよい
わたしはわたしの花を咲かせたい
この頃は私のこのYouTubeラジオで真民先生の詩を知ったといって、坂村真民記念館を訪ねてくれる人もいらっしゃるとのことでした。
私のこんな拙い話もタンポポの種のようにいろんなところに広がっていってくれているのだと有り難く思いました。
横田南嶺