お釈迦様はわがままか?
ティク・ナット・ハン師の語るお釈迦様のお姿は、なんとも気品があり、静かであり聡明で穏やかなのです。
池田久代さんの日本語訳もまたすばらしいのです。
輪読ですから、一段落ずつ声に出して読んでゆきます。
三章ないし四章くらい読んで、みなで感想を述べ合うのです。
修行僧達と共に車座になって語り合います。
お釈迦様を思い浮かべがら、静かな時が流れます。
お釈迦様九歳のときの初鍬入れの儀式にでた時の話が書かれていました。
『小説ブッダ いにしえの道 白い雲』(春秋社)から引用させてもらいます。
「バラモンの祈りが終わると、スッドーダナ王はふたりの武将を引き連れて畑に下りていった。
群集の歓声がどよめくなか、「初鍬入れの儀式」がはじまった。
王につづいて農夫たちが畑に鋤を入れはじめた。
歓声を聞きつけて、シッダールタが畑の端まで走りよると、水牛があえぎながら重い鋤を引く光景が目に飛びこんだ。
そのうしろには、炎天下の労働で赤銅色の肌をした農夫がつづいた。
左手に鋤を、右手には水牛を進ませる鞭を握っていた。
太陽がぎらぎらと照りつけ、農夫の体から汗が滝のように流れ落ちた。
肥沃な大地はこぎれいなふたつの畝に切りわけられ、鋤が土を耕すたびに、シッダールタはミミズや小さな生きものたちの体が切断されているのに気がついた。
地面でミミズがのた打ちまわっていると、鳥が急降下して虫をとった。
すると、今度はもっと大きな鳥が来て、小さな鳥をかぎ爪に引っかけて飛び去った。」
という箇所があります。
この本は小説ですので、すべて経典に忠実に書かれているわけではありませんが、この辺りの記述は経典にも説かれているところです。
よく知られた場面でもあります。
そのあとにお釈迦様が母に対して、
「母上、聖典をいくら朗誦してもミミズも小鳥も救えません」
と述べているのです。
お釈迦様が幼い頃から、当時のバラモンの教えに対して反発するところが見受けられます。
また『小説ブッダ いにしえの道 白い雲』(春秋社)にはこんな記述もあります。
「村人たちは、バンガンガー河が人の過去世から現世までの悪業を洗い流してくれると信じていたので、極寒のさなかといえども物怖じせずこの川の水で沐浴した。
ある日のこと、川岸に座っていたシッダールタがチャンナに訊ねた。
「チャンナ、おまえはこの川の水が人の悪業を流し去ってくれると信じるかい」
「そうに違いありません、殿下。さもなくば、どうしてあのように多くの人々がここで身を清めるのでしょうか」
シッダールタは微笑んだ。「そうか。それなら、この川に住む海老や魚や貝たちは、すべての生きもののなかで最も純粋で徳の高いものということになるね」
チャンナは答えた。「この川で沐浴したら、少なくともからだの垢や汚れは洗い流せましょう」
シッダールタは高らかに笑いながらチャンナの肩を叩いた。「まったくだ。ぼくも同感だよ」」
というところです。
古い俗信、迷信と思われるようにものに対して冷静に観ているお釈迦様の姿が彷彿とします。
生の苦しみ、病や死の苦しみを見つめたお釈迦様は、現実の王家の在り方にも深い疑問を抱きます。
『小説ブッダ いにしえの道 白い雲』(春秋社)にこんな記述があります。
「王子は儀式や国政の場に連れだされ、あるときは国王とふたりで話をし、またあるときは廷臣たちとの集議に加わった。
全身全霊で政治に関わるうちに、シッダールタはこの国に押し寄せる政治、経済、軍事といった諸問題の根本に、政治に関わる者たちの自己中心的な野心が渦巻いていることに気づいた。
おのれの権力維持にのみ汲々とする者たちに、庶民のためのすぐれた政治などできようはずもなかった。
シッダールタは堕落した官吏たちが偽善を装うのを目のあたりにして怒りがこみあげたが、うまい代案もないので、怒りを押し殺した。」
というのであります。
政治に携わる者にみな自己中心的な野心が渦巻くのを見て取ったのです。
そしてお釈迦様は出家を心ざすようになりました。
先日の輪読会では、お釈迦様の出家の場面を学びました。
もちろんのこと、父である国王は、お釈迦様の出家を思いとどまらせようとします。
「わが家系にも修行者となったものがいないでもないが、誰ひとりとして、おまえの歳に出家したものはおらん。
みな五〇をすぎるまで待ったものだ。
おまえはなぜ待てないのか。
幼い息子をもち、国中から将来の王として嘱望されているというのに」
というのです。
これはもっともなお気持ちでありましょう。
しかしお釈迦様は
「父上、私にとって王座に座る日々は、燃える炭火のうえに座する者のように、地獄の日々となりましょう。
心に平和がないのに、いったいどうして父上や国民の信頼を得られましょうか。時の流れは移ろいやすく、私の青春もつかのまにすぎ去るでしょう。
どうぞこのわがままをお許しください」
と答えるのでした。
更に「王はなおもすがりつくように、「おまえにはこの国があり、親もおり、后のヤショーダラーも、年端もいかぬ息子までいるではないか」
「父上、いまこうしてお許しを乞いに参りましたのは、私が
愛するものたちすべてのゆくすえを考え抜いたうえでの決断です。
責任の放棄ではありません。
父上ご自身がそのお心に巣くう苦しみから逃れることができないように、私の心のうちの苦しみをとり除いてくださることはできないのです」
王は立ちあがって、息子の手を握った。
「シッダールタよ、私がどれだけおまえを必要としているか、わからぬはずはなかろう。
おまえは、私のたったひとつの希望の星なのだ。
どうか、私を見捨てないでくれ」
「父上を見捨てるのではありません。
ただ、しばしのあいだ、お暇をくださいとお願いしているのです。〈道〉を見いだした暁には、きっと戻ってまいります」
スッドーダナ王の顔に苦渋の色が浮かんだ。もはや語るべき言葉もなく、王の居室へと戻っていった。」
と続いています。
かくしてお釈迦様は、愛馬カンタカに乗って城を出るのでありました。
お釈迦様の出家の名場面でもあります。
修行僧たちが、それぞれの思いを述べて語り合いました。
その中で、ある修行僧が、自分にはどうしてもこのお釈迦様の行為は身勝手に見えて、受け入れ難いと言っていました。
仏教の立場からすれば、ここからお釈迦様が出家して悟りを開いてブッダになる名場面となるのですが、これが父である国王からみればまた違ったものにみえます。
小説ではお釈迦様の奥様であるヤショーダラーはお釈迦様のお気持ちを理解していたことになっています。
しかしながら、まだ幼い子を残して家を出るというのは、身勝手だと言われても致し方のない一面もあるものです。
物事をただ一面からだけ見ていては真理を見抜けないことがあります。
こうしていろんな方向から見てみることは大事であります。
特に、今の修行僧達のほとんどはお寺の子であります。
家族を捨てて出家してきたのではありません。
むしろその逆で家族を大事にするからこそ、跡継ぎになる為に修行道場に来ているのです。
そんな彼らにとって、家族を捨てること、とりわけまだ幼い子をおいて家を出るのは身勝手としか言えないのでしょう。
またお釈迦様が国を捨て王にならなかったから、お釈迦様の国は滅んだのではないかという者もいました。
もっとも歴史に「もしも」ということはあり得ないので、もしお釈迦様がそのまま国王になっていたならば、隣国のコーサラ国に滅ぼされることはなかったのかどうかは分りませんが、お釈迦様の国は滅びました。
仏教的には、お釈迦様が家を出たおかげで、苦行の末悟りを開き、その真理を多くの人に説いて、数え切れないほどの人たちを救ったのだというのですが、その仏教もインドの国ではなくなってしまいました。
これらは考えさせられる問題であります。
ただ言えることは、すべては無常で移り変るということだけが真理だということです。
そんなことを話し合っていたのでした。
若い修行僧たちは、彼らなりに真剣に考えてくれているのであります。
横田南嶺