山で遭難⁉
『広辞苑』にも「夏、大山阿夫利神社に白衣振鈴の姿で講社連中が参詣する行事。江戸中期、宝暦の頃より盛行。大山参り。石尊参り。」
と解説されています。
大山にあった案内板には、
「大山詣り
神聖な修験の場であった大山が一躍民衆の間で有名になったのが、江戸時代の「大山詣り」です。
当時の大山詣りは、同業者や町内会単位 「講」 を結成して、 費用を積み立てて年に一度、講員全員又は代表者数名で参拝するもので、帰路の途中で江ノ島や金沢八景を廻って江戸に帰る小旅行であったといわれています。
箱根の関所を越えずに行ける「信仰と行楽」を兼ねた小旅行は、それを題材とした歌舞伎や落語、浮世絵などでも広がり、江戸の町が約100万人の時代に年間約20万人もの参拝者が訪れていたといわれています。」
と書かれていました。
江戸の人口が百万人の時に、二十万人が訪れるとは驚きであります。
娯楽の少なかった時代には、貴重なことだったのでしょう。
また「大山は、丹沢大山国定公園の東南端に位置する標高1252mの独立峰として関東一円からその雄姿を遠望でき、古来より神の宿る山として人々の信仰を集めてきました。
山頂からは縄文土器が出土しており、文献上でも、8世紀に成立した万葉集には「相模嶺(さがみね)」と詠(うた)われ、10世紀前半に編さんされた「延喜式神明帳」には「阿夫利 (あふり)神社」の名を認めることができます。」
とも書かれています。
大山は山上によく雲や霧が生じて雨を降らすことが多いとされたことから、「あめふり(あふり)山」とも呼ばれています。
雨乞いの信仰が強いのであります。
大山阿夫利神社は、社伝によると崇神天皇の御代に創建されたとされているそうです。
延長5年(927年)の『延喜式神名帳』では「阿夫利神社」と記載されているとのことです。
また山には大山寺があります。
大山寺のパンフレットには、
「大山寺は、奈良の東大寺を開いた良弁僧正が天平勝宝七年(七五五)に開山したのに始まります。
行基菩薩の高弟である光増和尚は開山良弁僧正を継いで、大山寺二世となり、大山全域を開き、山の中腹に諸堂を建立。
その後、徳一菩薩の招きにより、大山寺第三世として弘法大師が当山に入り、数々の霊所が開かれました。
大師が錫杖を立てると泉が湧いて井戸となり、また自らの爪で一夜にして岩塊に地蔵尊を謹刻して鎮魂となすなど、現在は大山七不思議と称される霊地信仰を確立しました。
また日本古来の信仰を大切にし、尊重すべきとのお大師様のおことばにより、山上の石尊権現を整備し、伽藍内に社殿を設けるなど神仏共存を心掛け手厚く神社を保護してきました。」
と書かれていました。
「しかし明治初年の廃仏毀釈により、現阿夫利神社下社のある場所から現在の場所に移りました。」とありましたが、もともと大山寺は今の阿夫利神社に場所のあったことが分かります。
さて、その標高1252メートルの山に、修行僧達と共に登ってきたのでした。
もう十数年毎年登っているものです。
途中までケーブルカーで登ることも出来ますが、一番下からテクテクと山頂まで上りました。
男坂と女坂とがあって、それぞれ自分で選んで上りました。
途中に下社と呼ばれる大山阿夫利神社がありますので、そこで皆で参拝して山頂を目指しました。
私はゆっくり歩いて一時間ほどで山頂に着きましたが、若い修行僧達は45分くらいで到着していました。
山頂で、皆で早朝作ってきたおにぎりをいただきます。
山頂付近では、まだ雪が残っているのですが、山を歩いてきたので汗ばむほどであります。
毎年の事ながら、山でいただくおにぎりは格別であります。
途中の見晴台でいったん休憩しようと打ち合わせて、下山し始めました。
下りは慎重におりないと、かつて調子に乗って山を掛け降りて膝がガクガクになってしまったことがありました。
もう自分の年齢も考慮して、膝に負担をかけないように慎重に降りてきました。
ところが途中の待ち合わせの場所に着いても三人しかいません。
他の者達はどうしたのかと聞くと、先に行きましたということでした。
先に行って待ってもらっているのだと思って、それでは我々も参りましょうとっ言って、行こうとすると、その三人がみんなは違う方を降りてゆきましたというではありませんか。
これは驚きました。
全く違う方向に降りていったことになります。
ルートを確認しても、その道では、阿夫利神社に戻れませんし、それでは帰ることができないのです。
何度も大山に登った者もいるので、安心して先に行かせたのですが、たいへんなことになりました。
携帯電話を持った和尚もいるのですが、電波は通じません。
しかし、なんとか呼び止めないとどうにもなりません。
幸いに一人元気で足の速い者がいましたで、お願いして引き返すように伝えてもらうことにしました。
時間はかかりましたが、どうにか引き返してもらうことができて良かったのでした。
あやうく山で遭難するところでした。
もっとも大山の登山道は整備されていますので、全く違うところに降りてゆくだけで遭難することはないのですが、鎌倉に着くにはかなり困難になるのです。
引き返してきた者の中には、何度も大山に登った者もいるのです。
どうしてそちらに行ったのか、途中でおかしいと気づかなかったのか聞いてみました。
するとみんなで行ってるからだいじょうぶだと思ったとか、いつもと違うのでおかしいと思ったけれどもだいじょうぶだろうと思ったというのでした。
ここに集団心理の恐ろしいところがあります。
そして正常性バイアスというのがはたらくのでしょう。
なんとなしに根拠もないのにだいじょうぶだろうと思ってしまうのです。
それから何人かはおかしいなと思っているので、違和感を感じているのです。
この違和感を大事にしないといけません。
無事に戻ってきた修行僧達には、集団心理の恐ろしさ、正常性バイアスの危険性、そして違和感を大事にすべきことなどを話したのでした。
かくして一時間ほど余分な時間がかかってしまったのですが、無事に下山することができました。
下社で休憩してからは、かなり足が疲れてしまっている者もいましたので、ケーブルカーを使って下山し、途中の大山寺にお詣りしてきました。
天気予報は曇りだったのですが、富士山も拝むことができました。
遭難しかけたのもいろんな教訓を学ぶことができたのでした。
横田南嶺