良い習慣をつけて心を調える
イスで坐れる坐禅をやってみようという思いがもとにありました。
あえてオフィス街の会議室の中という、自然豊かなお寺の中とは対極的なところでやってみようと思ったのでした。
月曜から金曜まではたらいて土日を利用して、お寺で坐禅して非日常を味わうのもとても良いことです。
しかし、禅は日常の中にもあるのではないか、いやむしろ日常の中にこそ禅があるべきではないかという思いもまたありました。
ふだんの仕事場でも出来る禅をやってみたいと思ったのでした。
今の修行道場の暮らしなどは、お寺の世界でもほとんど非日常になっています。
かつては、薪でご飯を炊いたり、薪で風呂を沸かしたり、畑で野菜を作ったりというのは、どこの家でも当たり前のことでありました。
畳の上で正坐してご飯を食べるというのも日常でありました。
しかし、今や町のお寺では、薪でご飯を炊いたり、お風呂を沸かすこともまずないでしょう。
畑で野菜を作っているお寺はまだまだあると思いますが、少ないでしょう。
畳の上でご飯を食べているというのも少ないようです。
修行道場に来る修行僧たちに、それぞれ今までお寺でどんなところでご飯を食べてきたのかと聞くと、大概台所でテーブルにイスだと答えるようになっています。
修行道場の暮らしは、非日常であって、若い日にその非日常を体験して、そのあとはお寺に入って日常に戻るというのが現状です。
しかし馬祖禅師が平常心是れ道と仰ったのは、普段の当たり前の心が道だということであります。
禅は日常の中にこそあるというのが、もともとの教えであったと思います。
そんな次第で、日常の中の禅ということでイス坐禅を始めてみたのでした。
イス坐禅の会では、毎回臨済録の一節を取り上げて少しお話をしています。
これはもともとコロナ禍になる前まで毎月一回都内のお寺で坐禅会を開催していたのでした。
十年ばかりかけて碧巌録を講義しおわって、臨済録を読もうとしたところで終わってしまったのでした。
コロナ禍も落ち着いて再開しようと思ったのですが、都内のお寺を坐禅会の会場としてお借りすることができなくなってしまいました。
それぞれのお寺にはそれぞれご事情があるものです。
そこで、どこで講義をしても同じだと思って、ビルの中の会議室を借りて臨済録を読んでいるのであります。
そんないきさつがあって始めたイス坐禅の会も先日十回目となりました。
なんども参加なさっている方もいてすっかり顔なじみになっています。
有り難いことであります。
先日は『臨済録』の中で、
「道流、出家児は且く学道を要す。祇だ山僧の如きは、往日曽って毘尼(びに)の中に向かいて心を留め、亦た曽って経論を尋討(じんとう)す。
後、方に是れ済世の薬、表顕の説なることを知って、遂に乃ち一時に抛却して、即ち道を訪い禅に参ず。」
というところを読んでみました。
岩波文庫『臨済録』にある入矢義高先生の訳では、
「諸君、出家者はともかく修行が肝要である。 わしなども当初は戒律の研究をし、また経論を勉学したが、後に、これらは世間の病気を治す薬か、看板の文句みたいなものだと知ったので、そこでいっぺんにその勉強を打ち切って、道を求め禅に参じた。」
となっています。
「済世の薬」というのを入矢先生は「世間の病気を治す薬」と訳されていますが、衣川賢次先生は、「病気の処方箋」(新国訳大蔵経[中国撰述部]六祖壇経・臨済録)と訳されています。
「表顕の説」を入矢先生は「看板の文句みたいなもの」、衣川先生は「効能書き」と訳されています。
さらにそのあと『臨済録』には、
「後、大善知識に遇いて、方乃(はじめ)て道眼分明にして、始めて天下の老和尚を識得して其の邪正を知る。是れ娘生下(じようしようげ)にして便ち会するにあらず、還って是れ体究練磨して、一朝に自ら省す。」
と続きます。
入矢先生の訳では、
「その後、大善知識に逢って、始めて真正の悟りを得、 かくて天下の和尚たちの悟りの邪正を見分け得るようになった。
これは母から生まれたままで会得したのではない。体究練磨を重ねた末に、はたと悟ったのだ。」
となっています。
『臨済録』のこの箇所はとても重要なところであります。
臨済禅師は、黄檗禅師のもとで悟りを開くまで、どこでどのような修行をしていたのか経歴がはっきりしません。
『祖堂集』には、臨済禅師は黄檗禅師のもとをたずねて、
「夜中まで大愚の前で、『瑜伽論』を説き、『唯識論』をかたって、さらに私見をまくしたてる。」と書かれていますので、唯識を学んでいたことがわかります。
またこの『臨済録』の言葉から、毘尼という律を学んでいたことも分かります。
別のところで臨済禅師は、
「諸君、仏法には、造作の加えようはない。
ただ平常のままでありさえすればよいのだ。
糞を垂れたり小便をしたり、着物を着たり、飯を食ったり、疲れたならば横になるだけだ。
愚人は笑うであろうが、智者ならそこが分かる。
古人も『自分の外に造作を施すのは、みんな愚か者である』と言っている。」
と述べています。
なにも特別な修行などしなくてもいいようにも聞こえます。
しかし、ここでは、はっきりと
「出家者はともかく修行が肝要である。」と述べています。
この点を見過ごしては誤ります。
そして臨済禅師ご自身が、毘尼という律をしっかりと学んでいたということも見過ごしてはなりません。
仏道は戒定慧の三学なのです。
戒という、まずよい習慣を身につけることです。
それが土台になって定という、心が平静になります。
それでこそ、慧という正しい判断ができるようになるのです。
そんな話をしたのでした。
今回のイス坐禅の会にもホトカミの吉田亮さんもご参加くださっていました。
吉田さんの元気で明るいお姿を拝見すると、こちらも疲れがとれるように感じます。
イス坐禅は、まず手首、足首、首、肩を入念にほぐしてから腰を立てて坐りますので、とても心地よく坐ることができます。
なんといっても自分自身が一番疲れもとれて、身も心の楽になって落ち着くのです。
都会の真ん中ですが、こうして坐れることは有り難いことです。
横田南嶺