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臨済宗大本山 円覚寺

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2024.03.17
今日の言葉

それぞれの3.11

今年も三月十一日がやってきました。

それぞれの方がそれぞれの思いで受けとめた日だと思います。

月曜日でありましたので、仕事の最中だったという方も多いことでしょう。

三月十日の毎日新聞には、

一面に、「東日本大震災 あす13年 追悼式開催、半数割る」

という大きな見出しがありました。

「沿岸自治体で16市町に」とも書かれています。

記事には、

「東日本大震災から13年となる11日、時の経過とともに追悼のかたちに変化が出ている。

被害が大きかった岩手、宮城、福島3県の沿岸37市町村のうち、自治体主催の追悼式を11日に開催するのは16市町(岩手7、宮城3、福島6)で、半数を割った。

2023年は19市町で追悼式が行われた。」

と書かれていました。

それぞれいろんな事情があるのでしょう。

また記事には、

「宮城県石巻市では、震災のあった午後2時46分に鳴らす1分間の追悼サイレンを例年より低い音に変える。

震災で子どもを亡くした女性らから22年に「津波警報を思い出してつらい」という声が複数寄せられ、心情に配慮した。」

ということも書かれていて考えさせられました。

鎌倉ではやはり2時46分に黙祷をするようにと呼びかけられていました。

また記事には、

「福島県大熊町は、参列する遺族が年々減少しているため、今年は追悼式を取りやめる。ただ、住民有志が開く追悼行事の会場に、町が献花台を設置する。」

ということも書かれていました。

三月十一日の読売新聞一面の「編集手帳」には、

ふるさとをどこか知らずに十二年

という一句があって、胸打たれました。

福島県が家族の絆やふるさとを詠んだ十七文字を募集するプロジェクトで、今年度の最優秀賞を受けた作品だそうです。

「編集手帳」は「震災の影響は今も続く、

風化させてはならない」と結ばれていました。

私はというと、その日は午後から鎌倉駅の近くにあるカトリック教会で、震災の追悼、キリスト教、神道、仏教の3宗教合同による「鎌倉の祈り 3・11 追悼・復興祈願祭」に参列していました。

思えば震災発生1カ月後の平成23年4月11日に、鶴岡八幡宮で神道、仏教、キリスト教の宗教者たちが、宗教の違いを超えて共に祈ろうと合同祈願祭を開催したのが始まりでした。

それから毎年3月11日に鶴岡八幡宮や建長寺、円覚寺などが持ち回りで会場となって継続しており、今回で14回目となりました。

神道、仏教、キリスト教の順番に回っていて、神道の年は必ず八幡宮で、キリスト教のときには、雪の下カトリック教会で、仏教の年は建長寺、円覚寺、それから大仏さまなど、それぞれの寺で行ってきました。

十三年経つと、初めの頃からの方は少なくなりました。

今回は八幡宮の宮司さまはご欠席で、建長寺の管長さまもご欠席、キリスト教の方は大半入れ替わっています。

今回仏教側では導師を鎌倉光明寺の法主さまにお願いしたのですが、光明寺の法主さまもまた、始まりの頃とは替わられています。

十三年という月日を感じるのでありました。

八幡宮では舞殿に上って行いますが、例年風が冷たく感じられたものです。

カトリック教会では屋内ですので、寒いことはないのですが、しばし外で待つ時間があって、やはり風の冷たいことを感じて、十三年前を思ったのでした。

私のお伴をしてくれた修行僧は、岩手県の出身で、被災されています。

聞くと震災の時には小学五年生だったとか。

家はお寺なのですが、お寺に帰れたのは、震災から一週間経ってからだというのでした。

小学校で、寒い中を避難していたのだと思いました。

多くを語りませんが、いろいろと思い出していたのだろうと察します。

毎日新聞の三月十一日の余録には、いい話が書いてありました。

「どんなにつらいことがあっても明けない夜はない」

「必ず太陽は昇り希望の光を照らしてくれる」。

力強い言葉が冒頭にございました。

どういう内容の記事かなと思って読んでみると、

「今年1月下旬、能登半島地震で被災した石川県七尾市内の高校に手紙が届いた。支援の真空パックご飯とともに」

と書かれています。

能登の震災にこの言葉と真空パックご飯が届いたというのです。

更に記事を読むと、

「書いたのは、東日本大震災で被災した宮城県農業高3年の河東田(かとうだ)彩花さん。

13年前、全国からの支援品、応援メッセージに励まされた。

その恩返しの思いを込めた」

と書かれています。

更に「パックご飯は、同高と兵庫県立姫路商業高が共同で開発した。

姫路商業の生徒たちが、生まれる前に起きた阪神大震災について学んだことがきっかけだ。

被災経験者の話を聞き、時間の経過とともに教訓が風化する現実を知った」

と書かれています。

阪神大震災と東日本大震災と、日本の大きな震災の経験が、今回の能登の震災への支援に繋がっているということを知って、心に何か火がともされた思いがしました。

「河東田さんは手紙の最後にこう書いた。

「つらい時、悲しい時は日本全国に仲間がいることを思い出してください。私たちはいつも皆様のことを思っています」。

能登の復興はまだ見えない。二つの震災、各地の災害の経験を踏まえ、息の長い支援と教訓の伝承が求められる。」

と結ばれていました。

日本はかつてクローデルが、「大津波、台風、火山の噴火、地震、大洪水などたえず何か大災害にさらされた日本は、地球上の他のどの地域よりも危険な国であり、つねに警戒を怠ることのできない国である」と言った通りでありますが、その分、お互いに心を寄せ合い、力を合わせて幾多の困難を乗り越えてきたのでした。

いろいろのことを思う三月十一日でした。

 
横田南嶺

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