こだわらない、とらわれない – 舎利供養をめぐって –
そこで舎利を八つに分けたのだということでした。
岩波書店の『仏教辞典』には、舎利というのはもともと「骨組・構成要素・身体を意味する」言葉で、複数形になると、「遺骨、特に仏・聖者の<遺骨>の意味で用いられることがある」のであります。
そうして「その意味での舎利を崇拝・供養することが、舎利塔を建立するなどの形で、古来アジア諸国で広く行われているが、実際は、舎利を象徴する水晶など他のもので代用されることが多い。
中国でも、舎利供養の功徳が重視され、祈願すると五色に輝く舎利が得られたのでこれを祀ったといった記述が六朝初期から見られるほか、高僧を荼毘に付したところ舎利が得られたので塔を立てて祀ったとする例や、生前の高僧の目から舎利がこぼれ落ちたなどとする話が多い。
特に得道の禅師を仏と同一視する禅宗では、舎利に関する奇蹟が歓迎された。」
と書かれています。
先日湯島の麟祥院で私たち臨済宗僧侶の勉強会を行った時に、小川隆先生が『宗門武庫』の講義をしてくださいました。
今回は、法雲寺の仏照禅師のお話でありました。
当日いただいた資料にある『宗門武庫』の現代語訳を紹介させてもらいます。
「東京(開封)の都、法雲寺の住持であった仏照杲禅師は、その位を退いたのち、景徳寺の鉄羅漢院に隠棲した。
その寺の殿于のうちには、羅漢の木像数体が祀られていた。
その冬、都は異常な酷寒に見舞われた。
彼はその木像を燃やし、朝まで火鉢を抱いてしのいだ。
明くる日、その灰を浚ってみると無数の舍利が出てきた。
講学の僧たちは、これを外道呼ばわりした。
思うに仏照は丹霞天然禅師の同類であり、凡俗の眼でその正体を確かめられるような相手ではなかったのである。」
という話なのであります。
小川先生の現代語訳はそのまま日本語として十分に通じるようになっていて素晴らしいものです。
これは丹霞禅師の話がもとにあります。
丹霞禅師の話については、今回宋代の禅僧がどのように理解していたかを知るために、『宗門統要集』巻7から引用してくださっていました。
もっとも古い記述は『祖堂集』であります。
『祖堂集』にどのように書かれているかについては、小川先生の『中国禅宗史』(ちくま学芸文庫)に書かれていますので、そちらから引用します。
「その後、恵林寺で寒い日があり、丹霞が木の仏像を焚いて寒さをしのいでいたら、同寺の住僧のひとりが非難した。
丹霞は答えて言う、「なに、荼毘にふして、仏舎利をいただこうと思いましてな」。
僧、「木に何が有るか!」
丹霞、「もしそうなら、何も責められるいわれはござらぬではないか」。
僧が前に進み出ようとしたとたん、眉毛がいっぺんに抜け落ちてしまった。」
という話なのです。
小川先生は、「『眉毛堕落』という記述は、偽りの法を説く者は法罰によって眉毛が抜け落ちるという信仰に基づいている。」と解説され、
更に「したがって、木仏を焚いた丹霞でなく、それを咎めた僧のほうが真実に背いていたのだ、というのが右の話の結論となるわけだが、それは、いったい何を意味しているのか?」
と疑問を投げかけられています。
「『祖堂集』はこの話のあとに、さらに次のような後日談を書き添えている。」
として、こんな話が書かれているのです。
僧と真覚大師との問答です。
「木仏を焼いたのは丹霞なのに、僧のほうに何の罪があったというのでしょう?」
大師、「上座には”仏”しか見えていなかった」。
「では、丹霞はどうだったのでしょう?」
「丹霞は、木を焚いたのだ」。
という問答です。
小川先生は「『木仏』は丹霞にとっては『木』であり、僧にとっては『仏』であったというのである。」と解説されています。
これについて、更に『二人四行論』の喩えが解説されています。
小川先生の現代語訳の一部を参照します。
「たとえば家の庭に大きな石があるとする。
その上で寝ようが坐ろうが好きほうだい。
驚きもしなければ、恐れもしない。
ところがふと像でもと思いたち、人を雇ってその石の上に仏の絵を画いたとする。
すると心はそこに「仏」という観念を作り出し、たちまち罰があたるのが怖くなって、その上に坐れなくなってしまう。
石はもとのままなのに、汝の心のためにそうなってしまうのである。
心とは何のようなものなのか?
そう、すべては汝の心意識の筆が画き出し、それに対して自分で勝手に慌てたり怖がったりしているだけのものなのである。
石じたいには実は「罪福」ー罪もご利益も無い。
汝らの心が、自分で勝手にそれらを作り出しているだけのことである。」
というのであります。
分かりやすい喩えであります。
そこで小川先生は「寺僧が蒙った仏罰は、実は、彼の心の筆が自ら画き出した「仏」という聖なる「妄想」の産物だったというわけである。」
と解説してくださっています。
なるほどとよく理解することができます。
こうしていろんな禅僧の言葉を引用して、分かりやすい喩えも示してくださるとよく理解できます。
最後に小川先生が示してくださった、翠微無学禅師の問答によって一層理解を深めることができました。
この翠微禅師は丹霞禅師のお弟子でした。
翠微禅師は、羅漢を供養なさっていたそうなのです。
するとある僧が、丹霞禅師は木の仏像を燃したのに、どうして和尚は羅漢を供養するのですかと問いました。
すると翠微禅師は、
「焼くも也(ま)た焼き著ず、供養するも亦た一(ひと)えに供養するに任す」
と言ったのでした。
「焼いたとて焼けるものではない、供養するなら思うさま供養したらよい」ということです。
小川先生は、
「真の仏は火をつけたところで燃えるものではない。像は供養したとて、何のさしさわりが有るものでもない」、翠微はそう言っているのであり、偶像破壊にこだわることが実は偶像を実体視していることの裏返しの表われにほかならぬことを淡々と説いているのである」
と解説してくださったのでした。
偶像を否定しようとして偶像を破壊するのも偶像にとらわれていることになります。
以前に佐々木閑先生が世界遺産をめぐらない旅というのを企画なされた話を書いたことがありました。
これも佐々木先生は「『世界遺産をめぐらない』と言った時点で、世界遺産を意識してしまっているからまだまだ本物ではない。
理想は、世界遺産という言葉さえ 思い浮かべずに、自分の意思で決めた場所だけを自由にまわる旅であるが、そのような境地はなかなか難しい。」
というのとよく似ています。
仏様があればただ手を合わせて拝むし、なければないで気にもとめないというのがいいのでしょう。
やはりこだわらない、とらわれない空の心であります。
横田南嶺