こだわらないにもこだわらない
一部を引用します。
「ある小さな会社での話である。
大事な商談に、だれかを九州に出張させねばならない。
ところが、管理職は全員、それぞれの仕事をかかえこんでいて出張できない。
仕方がなく社長は、新入社員に出張を命じた。
彼は喜んで出張し、無事に大役を果たした。人選がうまくいったわけである。
そのあと、社長はしばしば職制を無視して出張を命ずるようになった。
部長、課長、係長といったポストに関係なく、自由な人選をして社員を出張させたのである。」
ということがはじめにかかれています。
地位、ポストに関係なく、こだわることなく行ってうまくいったのでした。
しかし、そのあと次のように書かれています。
「けれども、その結果はさんざんであった。全社員が不平、苦情を言った。
あたりまえだと思う。
平社員が課長の代行をさせられるのは、やはりしんどい。
課長にすれば、自分をさし置いて平社員に出張させるのでは、なんのための管理職かわからない。
抗議の声があがって当然である。」
ということになってしまったというのです。
ひろさちや先生も、
「最初、社長は、管理職―平社員にこだわりなく人選をした。それはそれでよかった。
ところが社長は、そのあと、こだわらないことにこだわりはじめたのだ。
その結果、失敗するはめになった。」
と説かれています。
仏教ではよくこだわらない心を説いています。
般若心経の心にしても、かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心と、薬師寺の高田好胤和上は説いてくださっていました。
ひろさちや先生は、
「だが、悲しいことに、こだわりを捨てようとすれば、われわれは逆に「こだわるな!」にこだわってしまうのだ。」と指摘されていて、そういう一面もあるのが、おたがい人間なのであります。
そこで「ときには、こだわることも必要である。 わたしたちは、そのことを忘れずにおきたい。」と書かれていました。
須磨寺の小池陽人さんから『抜萃のつづり』という小冊子を送っていただきました。
クマヒラ・ホールディングスから毎年発行されている冊子であります。
毎年、いろんな書籍や雑誌、新聞から心に残るエッセイやコラムを抜粋し、まとめたものなのです。
クマヒラの創業者である熊平源蔵様が社会への感謝、報恩のために昭和六(1931)年に創刊したものです。
そのなかに小池さんの文章も載っています。
「言葉は不思議」という題です。
はじめに「以前、私は法話をする時に「相手に伝わらなければ意味がない」と考えていました。
しかし、そのことにこだわりすぎてしまうと、どうしても「分かりやすさ」に偏っていきます。」と書かれています。
こだわりすぎるとよくないのであります。
そこで有働由美子アナウンサーとタモリさんとが対談された時の話を紹介してくれています。
有働さんが「分からないことがあったら、視聴者が離れてしまうのではないか。だから、万人に分かるような番組をやろうと考えてやってきた」というのに対して、タモリさんは、
「テレビを過度に分かりやすくしようとするのは、テレビを見ている人をバカにしているのではないか」といって、更に「分からないところは分からないでいい。見ている側に立って何かをやったりすることは、ほとんどないのかもしれない。自分が面白いと思うことをやっている」と答えていたという話を書いてくれています。
これには私も大いに共感するのであります。
やはり自分が楽しいと思うことを伝えるのが一番だと思っています。
もっともこれも、自分がおもしろいと思うことをやればいいとこだわってしまうと、またうまくゆかないのでしょう。
この『抜萃のつづり』には佐々木閑先生の文章も掲載されています。
「世界遺産をめぐらない旅」という題です。
はじめにお釈迦様の「犀の角の如くただ一人歩め」という言葉を紹介してくれています。
外界の余計な情報に左右されずにひたすら自己鍛錬に打ち込むという精神であります。
しかし現代では、暮らしの隅から隅まで外界から情報が入り込んできて、「犀の角の如く歩む」のは難しくなっています。
佐々木先生は、
「「こういう食材が体にいいから食べなさい」「安くて良い品が欲しかったらどこそこに注文しなさい」 「楽しい旅がしたかったらこれこれという観光地へお行きなさい」。
ネットやメディアが、日常の細部に至るまで「一番良い」ものを教えてくれるのはありがたいが、本当にそれが一番良いものかどうかを確かめることもできないまま、言われたとおりに行動してしまう。犀の角どころではなく、「操り人形の如く、ただただ皆と同じ方向に歩む」ことになってしまうのである。」
と指摘しくださっています。
そこで佐々木先生は、世界遺産をめぐらない旅を企画されたというのです。
世界遺産がいっぱいあるインドを、世界遺産も仏跡もまわらない旅なのだそうです。
その結果人っ子一人いない古代遺跡や宗教建築などを回り、他人の言葉に流れない旅をなさったというのであります。
しかし、その最後に佐々木先生は、
「とはいえ、「世界遺産をめぐらない」と言った時点で、世界遺産を意識してしまっているからまだまだ本物ではない。理想は、世界遺産という言葉さえ 思い浮かべずに、自分の意思で決めた場所だけを自由にまわる旅であるが、そのような 境地はなかなか難しい。」
と書かれています。
実にその通りなのであります。
こだわらないにもこだわらないというのは難しいのであります。
こだわらない心が大事だと言いながらも、どこかにこだわりを持っているのがお互いであります。
それぞれ、人は、自分の生まれた土地、家、家族、趣味、生きがい、こだわりをもって生きているものです。
そのこだわりをすべて無くすことなど不可能であります。
どこかにこだわりを持って生きているのだと、まず認めることであります。
それぞれの人にそれぞれのこだわりがあるのだと、よく見て尊重することが大事であります。
こだわらないことにもこだわらないというのは、こだわることも大切にするということでもあります。
横田南嶺