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臨済宗大本山 円覚寺

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2024.01.24
今日の言葉

身をもって教えを説く

大摂心前の一月十五日は、麟祥院での勉強会でありました。

竹村牧男先生から『華厳五教章』のご講義をいただき、小川隆先生からは大慧禅師の『宗門武庫』のご講義をいただいています。

講義の前には、控え室で、大乗寺の河野徹山老師を交えて、先生方と茶礼をしています。

麟祥院の老師は、いつも床の間の軸を折々に掛け替えてくださっています。

その床の間のお軸を拝見するのも楽しみであります。

今回拝見すると、何やら達磨大師のうしろ姿を画いたような画であります。

どなたの画かなと思って見ていると、河野老師が蜀山人のものだと教えてくださいました。

蜀山人は、大田南畝、江戸後期の狂歌師、戯作者であります。

『広辞苑』には「学は和漢雅俗にわたり、性は洒落・飄逸、世事を達観して時勢を諷刺、天明調の基礎をなした代表的狂歌師。」

と書かれています。

讃に何と書いているのか読もうとしましたが、崩していて、読めないのであります。

鎌倉に帰ってから、あれこれ調べてようやく読むことができました。

やよ達摩 ちとこちらむけ 世の中は 月雪花に 酒とさみせん(三味線)

というものでした。

「やよ」は、「おい」とか「さあ」というように、呼びかけであります。

達磨大師が画かれているので、何か宗旨に関わることなのかと思って調べてみたのですが、単なる戯れ歌でした。

竹村先生の華厳のご講義は、今回五教章の中の十玄門、その中でも因陀羅微細境界門というところであります。

いつも痛感するのは、華厳の教義は難しいものです。

理解するのには難渋します。

しかし、考えてみると、華厳は古来お釈迦様の悟りの内容を説いたものだとされています。

そう思えば、我ら末世の凡夫が理解できなくて当たり前であり、お釈迦様の悟りの世界に触れるだけでも有り難いのであります。

そう思うようにしています。

今回の講義で、一微塵の中に無数の諸仏が説法しているというところがありました。

無数の諸仏が、一毛孔に坐しているのだという言葉もあります。

「一微塵のなかに一切を見る」「一即多」というのは華厳の世界であります。

鎌田茂雄先生の『華厳の思想』(講談社学術武庫)の中に、

「『華厳経』でいちばん多く説かれるのは、微塵のなかに大きな世界が全部入り込んでしまうのだという考え方で、これが根底にある。

簡単にいうと「一即多 多即一」、これが『華厳経』で説かれるいちばん根本的な考え方である。」
と書かれています。

更に因陀羅網について、次のように解説されています。

「因陀羅網で説明すると、網のA点を持ち上げると無限にあらゆる点がからみ合っていく、B点を持ち上げると無限にからんでいく、C点を持ち上げると無限にこれが関係してくる。

C点を持ち上げているときには、Cを中心にあらゆるものがここに関係をしてくる。

B点のときにはBを中心に関係をしてきて、Bが主人公でCは伴になる。そういう無限の関係をいうわけである。

因陀羅網とはインドラ (Indra) の網、すなわち帝釈天宮にある宝網のことで、その結び目にある珠玉が互いに相映じ、映じた珠がまた映じ合って無限に映じる関係でもって、華厳の重々無尽を説明するのである。

米一粒を見ても、この米一粒は米屋から買ってここまで運んだのであるが、それには米屋もいるし、問屋もいる、運送した人もいる、生産した農家もいる。

そして農家がこれまで生産するためには籾をとっておいて、それを田にまいたわけで、田に入れば太陽の光もいれば水もいる、肥料をやったり草を取ったり、あらゆるさまざまな条件、因縁を媒介として、いま自分のご飯としてあるわけである。」

と分かりやすく説いてくださっています。

そんな華厳のお話を拝聴して小川先生のご講義となります。

その日は一月十五日でしたので、まず日本の小正月であり、中国では上元節とか、元宵節というのだと教えてくださいました。

正月15日、7月15日、10月15日を、それぞれ上元節、中元節、下元節として祭祀が行われるのだそうです。

中国では提灯を作り華やかにお祭するのだそうです。

色とりどりの提灯が用いられるので灯節とも言うのだと教わりました。

それから『宗門武庫』では、前回の続きで、湛堂文準禅師のお話です。

湛堂文準禅師は雲厳院に招かれて住持となったというところまで前回学びました。

そして住持となったあとが今回学んだところです。

小川先生の現代語訳によると、

「住持となった文準は、日ごろより、自ら身を律して簡素に暮らした。

大衆を率いて仏法を弘める身となっても、一修行僧だった時と何ら変わることがなかった。

朝早く起きて洗面所に行くと、わずかに小さな柄杓一杯の湯で顔を洗い、それでさらに足まで洗う。その他の暮らしぶりも、すべてそのようであった。

ひとたび休み時間になると、方丈にいる行者(あんじゃ)や下僕のことは路ゆく人のごとく眼中に置かず、掃除をするのも、茶をいれるのも、みな自分でなされた。

古人の気風を具え、まさに、後世の者たちの良き模範となるお方であった。」

というのであります。

実に模範的な禅僧なのであります。

洗面所は、「後架」と言いますが、これは禅堂についてある洗面所で、修行僧達が使うものです。

住持である老師は、方丈がお住いになっていて、そこで洗面するのですが、あえて大衆の一員として僧堂にいた時と同じようになさっていたということなのです。

私なども師家に就任したのはまだ三十代でしたので、雲水と同じ暮らしをしていましたが、洗面は隠寮ですませていました。

道元禅師の『正法眼蔵』にも「住持人は方丈にて洗面す」とはっきり書かれています。

実に尊いお心であります。

模範とすべきであります。

湛堂文準禅師は「古人の気風を具え、まさに、後世の者たちの良き模範となるお方であった」というのですが、

小川先生は、「「古人の風度」は、いにしえの人の気風・風格。具体的には、百丈懐海をはじめとする唐代の僧たちが、労苦をいとわず、自ら身をもって労働や雑用に励んだことをいう」と解説してくださっていました。

百丈禅師の「一日作さざれば一日食らわず」の精神は大事なのであります。

湛堂文準禅師は、その百丈禅師の精神を、身をもって説かれていたのです。

 
横田南嶺

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