臨済禅師のお説法
「赤肉団上に一無位の真人有り、常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よ」。
という言葉であります。
訳しますと、
「この肉体には無位の真人がいて、常にお前たちの顔から出たり入ったりしている。まだこれを見届けておらぬ者は、さあ見よ! さあ見よ!」というのであります。
お互いのこの身に、なんの地位や名誉や財産や学歴などに汚れることのない素晴らしい自分がいるというお説法です。
雪峰禅師と巌頭禅師と欽山禅師の三人が臨済禅師を訪ねようとしたという話があります。
雪峰禅師は、八二二年に生まれ九〇八年まで活躍された方です。
巌頭禅師は、八二八年に生まれ、八八七年まで活躍されました。
欽山禅師については生没年ははっきりしません。
『禅学大辞典』には、二十七歳で欽山に住したことと、唐の大中、咸通年間(八四七~八七四)生存すとしか書かれていません。
臨済禅師がお亡くなりになったのが、八六六年ですから、その時に雪峰禅師は四四歳、巌頭禅師は三八歳でありました。
おそらく欽山禅師はもっと若く二十七歳で欽山に住したということから、二十代であったことでしょう。
『碧巌録』にこの三人が臨済禅師を訪ねようとした話がございます。
巌頭禅師と雪峰禅師と欽山禅師の三人が臨済禅師を訪ねようとして、河北の方を行脚していました。
その途中で定上座という方に出会いました。
この定上座という方は、経歴ははっきりしませんが、臨済禅師のもとで修行した方で相当力量のあった禅僧であります。
『碧巌録』の第三十二則に、定上座が臨済禅師のもとで悟った話が書かれています。
そこで、巌頭禅師が定上座に尋ねました。
「あなたはどこから来られたましたか」と。
定上座は「臨済禅師のところから来た」と答えます。
これから臨済禅師を訪ねようとしているので、これは幸いだと思って、
「臨済禅師はお達者ですか。
われら三人はこれから臨済禅師をお訪ねしようと思っているところです」と言いました。
すると定上座「それは残念、お気の毒です。臨済禅師は既に亡くなられました」と答えました。
それを聞いて、巌頭禅師が、
「それは残念なことです。
せっかくここまで来たのですから、臨済禅師がどんなお説法をなされていたのか、ひとつかふたつでもお聞かせ願います」と頼みました。
すると定上座が、臨済禅師上堂お説法の様子をそこでやってみせてくれました。
「赤肉団上に一無位の真人有り。常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は、看よ看よ」と、臨済禅師になりかわって上堂をしてみせたのでした。
そうすると、巌頭禅師は「覚えず舌を吐く」といって、「何とすごいことを言う禅師だとばかりに驚きました。
雪峰禅師は、「臨済、大いに白拈賊に似たり」といって、何と臨済禅師という方は昼盗人のような方ですねと言いました。
ところが、まだ若い欽山禅師は、余計なことを言いました。
「何ぞ非無位の真人と道わざる」
と言ったのでした。
無位の真人などと言わずに、非無位の真人と言ったらいいではないかというのです。
すると定上座が怒って、欽山禅師をおさえつけて、
「無位の真人と非無位の真人と相去ること多少ぞ。速やかに道え、速やかに道え」と迫りました。
無位の真人と非無位の真人とどれほどの違いがあるというのか、さあ言え、さあ言えと言って迫ったのです。
欽山禅師は顔から血の気がうせてしまうばかりでした。
巌頭禅師と雪峰禅師とが二人して、「この若造はもののよしあしもわからずに、上座に失礼なことを申し上げました。どうかお慈悲をもってお許しください」とお願いしました。
定上座も、この二人がいなければこの寝小便小僧を許さぬところだったと言ったのでした。
朝比奈宗源老師は、『碧巌録提唱』のなかで、この無位の真人のお説法について次のように提唱されています。
「臨済和尚がある時みんなに言われた。
「赤肉団上に、一無位の眞人有り」
この肉体の上に、一無位ということは位がないと書きますが、これは勳一等だとか何とかいう位じゃない。
どこにも尻を据えない人です。我れ我れの心です。本体です。
我れ我れの心は直にどこかに坐りますけれども、本当は我れ我れの心に実体はないし、どこへ坐るというものじゃない。
だから宇宙いっぱいです。
それを、「一無位の眞人有り」という。
「常に汝等諸人の面門より出入す」
始終お前さんたちの、面門といったら顔のこと、目では見、耳では聞き、鼻では香を嗅ぎ、舌では味わいそういうふうにして、出たりはいったりしているという、
「未だ證據せざらん者は看よ看よ」と、まだそれをはっきり見とらん者はしっかり見よと、こうおっしゃった。
すると、「時に僧あり出でて問う」 ある坊さんが出て、「如何なるか是れ無位の眞人」 あなたのおっしゃる無位の眞人とは、こう質問すると、「済便ち擒住して云く、道へ道へ」いきなり来てその質問をした坊さんの胸倉をとって、さあ言ってみよ、さあ言ってみよとこう言ったのです。
「僧擬議す」その坊さんがうろうろとすると、
「済便ち托開して云く」ぽーんと突き放して、「無位の眞人、是什麼の乾屎橛ぞ」折角の無位の眞人もこれでは糞掻べらのようなものだという、お粗末なと言うことです。
つまらんもんじゃないかと突っ放しておいて、居間へ帰ってしまわれたという」
と説かれています。
この肉体の上にどんな地位や名誉や財産や学歴などにも汚れることのない真の自己が生きてはたらいているのです。
「無位」ですから、地位とか位階といった価値の枠に収まらないものです。
「真人」はもともと道教で用いられた言葉で、道を体得した者をこう呼びます。
「真人」とは「真の人」「本当の私」です。
どうしても「仏」と言ってしまうと、我々の生身の体を離れたところにいて、私たちを救ってくださるような超越的なものをイメージしてしまいます。
そうではなくて、仏とはあくまで我々のことで、心が仏であると本当に体得したものが仏なのだという意味で「真人」と言っているのであります。
その無位の真人は、お互いに自分の眼でものを見て、耳で聞いて、鼻で匂いを嗅ぎ、口で喋り、舌で味わっています。
そして、手で物を取り、足で歩いています。
そのすべての働きが「無位の真人」だというのであります。
定上座が全身全霊でお説法し、欽山禅師にも全身全霊で接得されようとしたのも、みな無位の真人のはたらきそのものなのです。
横田南嶺