お焚き上げ – 祭の終わり –
思えば、今年一年では一番の大きな行事でありました。
地元の子どもたちも大勢手伝ってくれて、六十年前の大行列を復活させたのでした。
六十年前以上であったようにも言われています。
大きな宝珠をはじめ、いろんなものを作ってくれて、お祭を盛り上げてくれていました。
終わったあとは、しばらく円覚寺の仏殿の傍においていましたが、だんだん朽ちていってしまうのは避けられませんので、みんなでお焚き上げをしようということになったのでした。
洪鐘だけは、まだしばらく残しておくそうで、それ以外の宝珠などはみなお焚き上げしたのでした。
今は、お寺でも火を燃やすことを厳しく禁じられています。
かつては、落ち葉や枯れ枝を集めては、たき火をして、それにお芋を入れて焼き芋などを作って食べたものでした。
修行道場でも、たき火は、いろんな木の枝や落ち葉を焚く為に認められていました。
寒い冬を乗り越えるのに、ささやかな楽しみでありました。
ほくほくの焼き芋を食べたことなどは、懐かしい思い出です。
今や、燃やすことができませんので、致し方ありません。
今回も消防署の許可をいただいて、現場には消防車も一台待機して、消防署の方も来て下さって、火には十分気をつけてお焚き上げをしました。
私も出頭してお経をあげてから、点火をしました。
紙で出来ていますので瞬く間に、大きな炎となって、はかなく燃え尽きました。
ほんとうに一瞬のことでありました。
作るのには、長い時間をかけて、子どもたちが作ってくれたのですが、燃えるのは一瞬であります。
炎を見ながら、祭のことが思い出されました。
そしてはかなく消えてゆく様子は、まさに無常を観じさせるものであります。
お釈迦様もまた、そんな無常を深く観じて出家なされたのでした。
中村元先生の『ゴータマ・ブッダ上』(春秋社)には、次のような実に生々しい記述がございます。
引用します。
「太子が女官たちとの歓楽に嫌気がさしたという次第を、 「ジャータカ序」は次のように、あらあらしく、生々しく述べている。
『ボーディサッタは、また大いなる栄光をになって自分の宮殿に登り、〔国王用の〕輝かしき臥床に横たわった。
すると、たちまち、飾り物をすっかり身につけ、踊りや歌などに習熟した天女のような美貌の女たちが、さまざまな楽器をたずさえて取り囲み、かれを楽しませようと踊りや歌や演奏をはじめた。
ボーディサッタは、その心が煩悩から離れていたので、踊りなどを楽しむこともなく、しばしの眠りにつかれた。
その女たちも、「このかたのために、わたしたちは踊りなどをしているのに、このかたは眠ってしまわれた。いまやっても骨折り損よ」と、それぞれ手にしていた楽器を放りだして寝てしまった。
油灯がよい香を放ってともっていた。
ボーディサッタは目が覚めたので、臥床のうえに両足を組み合わせてすわり、彼女たちが楽器を放りだして眠りこけているのを眺められた。
ある者どもはよだれをたらして身体を唾液でぬらし、ある者どもは歯ぎしりをし、ある者どもはいびきをかき、ある者どもは寝言をいい、ある者どもは口を開け、ある者どもは着物もはだけてぞっとするほど秘所を露わにしていた。
かれは彼女たちのその変わった姿を見て、ますます欲情がなくなってしまった。
かれには、飾り整えられたサッカの宮殿のようなその高楼も、突き刺されたいろいろな死骸が一面に転がっている新しい墓場のように見え、三つの生存の世界がまるで燃えさかる家のように思われた。
「ああ、なんという哀れ、ああ、なんという悲惨なことか」と慨嘆のことばが出て、ひたすら出家することに心が傾いていった。」 (Jātaka, vol. I)
というものであります。
またお釈迦様のお弟子の舎利弗と目連尊者もまた、祭をご覧になって無常を深く観じたのでありました。
こちらは、菅沼晃先生の『ブッダとその弟子 89の物語』(法蔵館)から引用します。
「サーリプッタは八人の兄弟のなかでもきわ立って聡明で、早くから四つのヴェーダ聖典を学んでその奥義を知り、諸芸にも通じた少年であった。
同じころ、近くのコーリカという村に、コーリタという名のバラモンの少年がいた。
顔かたちは端正で、すべての学問に通じたこの少年 (この少年は、のちにサーリプッタと一緒に仏弟子になって神通第一のマハーモッガラーナ、大目連とよばれるようになる)とサーリプッタは大の仲好しであった。
あるとき、ラージャグリハ(ラージャガハ)の近くの山に祭礼があり、二人連れだって見物に出かけた。
さまざまな地方から何千何万という人々が象や馬車に乗ったり歩いたりして集まり、楽器に合わせて大声で歌ったり踊ったりしていた。
祭りはいまやたけなわというなかにあって、よろこびたわむれている人々を見てサーリプッタは思った。
「これらの人々は、いまは晴やかな顔をして笑いあっているが、百年経ったときには、生きている人は一人もいないのではないか」
コーリタ少年も一人の大道芸人のざれごとを聞いて、人びとが大口をあいて笑っているのを見て思った。
「百年経ったとき、いま口を開いて笑っている人々の上あごと下あごが合わさっているだろうか」
このように思ったとき、二人とも祭を見てはいられなくなり、静かな場所へ行って、一日も早く出家して真実の道を求めようと誓いあった。」
というものです。
お釈迦様も舎利弗も目連も、こうして深く無常を観じて出家されたのでした。
炎に包まれる宝珠などを見ながら、やがて自分の身体もこのように燃えてしまうのだと思っていました。
まさに精進努力しなければならないと思って見ていたのでした。
横田南嶺