熱狂の危険
それは、径山で修行していた時に、怪石という和尚がいたという話であります。
これは、仏光国師が、三度目に径山に上った時でした。
一度目は、十四歳のとき初めて径山に上りました。
その後しばらくは経典や語録の基礎の勉強をしていて、十七歳で再び径山に上りました。
これは径山の仏鑑禅師がお亡くなりになって、その後仏光国師は、霊隠寺、阿育王寺、浄慈寺などで修行を重ねていて、三度目に径山に上って石溪和尚に参じた時でありました。
石溪禅師は、松源崇嶽禅師のお弟子の掩室善開禅師のお弟子になります。
この方のお弟子が大休正念禅師で円覚寺の第二世となっています。
仏光録にははじめ、三度目に径山に上った時、石溪禅師はとても喜んでくれたと書かれています。
この時には、とても困ったことが起きていたのでした。
これが、無字の工夫もとても大切で素晴らしいのですが、熱狂しすぎると危険であることの例なのです。
本文は漢文なので、その内容を私なりに意訳して紹介します。
仏光国師が三度目に径山に上った時、住持は石溪禅師でしたが、一権上座という僧がいました。
怪石と呼ばれていました。
この怪石は、修行には熱心なことは熱心なのですが、「専坐硬禅」と書かれていますが、専ら坐禅するのですが、どうもかたくなところがあったようです。
石溪禅師のもとにいながら、石溪禅師のことを批判していました。
径山にいた七百名の修行僧のうち、二百名ばかりは、なんとこの怪石に師事していたというのです。
別の版本には九百名となっています。
過った説法を平気でおこなっていたのでした。
それでも二百名も師事するというのですから、何か人を引きつけるものがあったのでしょう。
ある時、径山にある含暉亭に「無」という一字を大きく書いて、百人あまりがそこに立っていて、坐る者もいれば、あるいは歩きまわる者もいました。
そのうちの何人かの修行僧は、なんと含暉亭の欄干から一齊に「無」と叫びながら跳び下りたりしていたのでした。
それはまるで神がかりになった占い師のようで、目をぐるぐる回して気絶するようなありさまだったのでした。
仏光国師が、僧堂に帰ったのですが、夜中になっても、その怪石のもとにいる修行僧達は止めなかったのでした。
仏光国師も彼らのことを哀れでならなかったと言います。
一群の愚かな修行僧たちは怪石という悪魔の軍勢に取り籠められてしまって、昼間でも山の到るところで、ただひたすら「無」「無」と叫んでいました。
そうすると、山の木樵や強力などもがからかって「無」と叫ぶありさまだったのでした。
さすがの石溪禅師もその群党の勢いを恐れて、止めさせることができませんでした。
仏光国師は、信頼のおける僧に相談しました。
その僧も仏光国師に「わたしは五十年行脚して、各地の尊宿に参禅してきましたが、こんな邪魔外道がまともな修行僧を惑わせるのをみたことがない」と言いました。
そして仏光国師に、この事態を収めるのに何か名案はないかと問いました。
仏光国師は、彼らは今勢いが盛んなので、手出しするのは危険だと言いました。
そして少し様子をみることにしたのです。
すると二か月ばかり経って、病氣になる者が二三十人、死者までもが数人も出てきたのでした。
そうなってくると、さすがに修行僧たちも、これはおかしいと気づき始めます。
そんな頃を見はからって仏光国師は、数名の僧と相談して、怪石たちを退治しようとします。
まず仏光国師は、下手に出て怪石に教えを請いに行きました。
怪石も驚いて、「あなたは叢林の名士であり、同参の間柄ではありませんか、わたしに教えを請うことなどないでしょうに」と言いました。
仏光国師は、「いえいえ、まだ私は自己本分の事が明らかではないのです。だから怪石どのに教えを請うのです」と言いました。
怪石は、仏光国師ほどの人物が自分に教えを請いにきたので得意になりました。
あたかも虎が小鳥を捕まえたような様子でした。
そこで、警戒心も無くなって、弟子たちに向かって「この無字を看よ。そうすれば死んで焼かれる時にも眼は焼けることはないぞ」などと説いていました。
ある日、仏光国師は怪石に、「先日数人の仲間が含暉亭で声をそろえて『無』と叫んで、『死んで焼かれる時には、怪石がおれたちの眼を拾ってくれる』と言っていたよ」と告げました。
怪石は黙ってしまいました。
そこで更に仏光国師は、「趙州和尚は、またある時には『有』とも言った。もし有字に参じたら、鼻は焼けないのかな」と言うと、怪石はまた驚いてしまいました。
仏光国師はそこで大笑いして出て行きました。
仏光国師は、怪石もわが手に落ちたと見て、方丈に参上して、石溪禅師に申し上げました、
「来月の一日上堂してお説法される時に、わたしが十の問題を出して、怪石に問いかけますので、怪石の答えが正しければいいですが、誤っていれば、叢林の規則に照らし、拄杖で打ちすえ、太鼓を鳴らして追い出してください」と。
怪石はこんな仏光国師の計画を知って、ある晩、親密な僧八九人と逃げて出て行ったのでした。
こうして仏光国師は多くの修行僧たちを救うことができたのでした。
「無」「無」と絶叫するようなことも無きにしもあらずです。
内面から自ずと湧き出てくるのであればまだしも、ただ気合いを入れさせて無理矢理叫ばせるとしたら問題です。
こういう修行を仏光国師は、正受を失ったものだと説いておられます。
正念を失ったものといってもいいでしょう。
一所懸命に修行に打ち込むのは実に尊いことです。
しかし正念を失って熱狂になってしまうと、恐ろしいのです。
方向を見失います。
何事も熱意は大事ですが、熱にも狂の字がつくと考えものです。
この方向が間違っていないか、常に師に点検してもらい、経典や語録を学んで修整してゆかねばなりません。
横田南嶺