身体の中の宇宙
いつも健康で元気溌剌な椎名先生ですが、その日は珍しく疲れていると仰っていました。
どうしてだと思うかと問われて、仕事が忙しいからではないかとか、最近の寒さの為ではないかとか、いろんな考察が修行僧によってなされていました。
仕事とか寒さではないと仰っていました。
寒さくらい、椎名先生は、毎日のZEN呼吸で平気なのであります。
ZEN呼吸をはじめて十八年目はじめての疲れだと仰っていました。
私も何が原因なのかなと思って聞いていました。
それは、稲刈りも終わって、田んぼの仕事が一段落して身体を動かさなくなったこと、それでいて毎週火曜日と金曜日には、東京の国立博物館で英語による呼吸法の講習を行っていて、頭の中はフル回転になっていることの二つが要因だというのでした。
脳は働き通しで身体はあまり動いていないというのです。
それでやはり身体は動かさないと疲れるのだと気がついたという話でした。
なるほどであります。
疲れるというのは、身体を動かして疲れるように思いますが、人間というのは動くようにできていますので、動かないのもまた疲れるのであります。
そこでこの頃私のところの修行道場では、坐禅の合間にチベット式の五体投地礼拝を百八回繰り返したり、堀澤祖門先生に教わった筋力体操を行ってりして、身体を動かして坐るということを取り入れているのは、理にかなったことだと改めて思いました。
今回は姿勢のチェックから始まり、そして主に身体の内臓に意識を向けるべく、内臓のはたらきについてひとつひとつ学んでゆきました。
まず身体の骨はいくつあるのかと聞かれました。
二百くらいという答えが多かったのですが、二〇六箇だそうです。
『無門関』には、三百六十の骨節とありますが、三百まではないようです。
もっとも赤ん坊の頃にはもっとあって、結合したりしてきたのだそうです。
まずは大脳、重さ約1.3キロだそうです。
運動、言語、記憶、判断、感情、視覚、聴覚、痛覚、知覚などの多数の機能を司っています。
小脳はわずか一五〇グラムで、運動や姿勢を調整、保持してくれています。
脳幹は、呼吸、血圧、心拍、姿勢、消化、睡眠、体温、食欲など自律神経の中枢であります。
肺は大きく男性で一〇六〇グラム、女性で九三〇グラム、空気中の酸素と二酸化炭素を交換してくれています。
肺の空気の通り道というのは合計するとなんと2.4キロとか。
肺胞を広げると縦横一〇メートルほど、面積は一〇〇平方メートルにもなるそうです。
心臓は、たった二五〇グラムのこぶし大の臓器です。
それがなんと、1分間に約70回、1日約一〇万回の収縮を繰り返しているのです。
それを生まれてから亡くなるまでずっと休まずに動き続けてくれています。
一分で約5リットルの血液を送り出します。
1日に送り出す血液の量は1回収縮するごとに約80CC、1日8000リットルにもなります。
一般的な家庭のお風呂で言えば、お風呂30杯分にあたり、これを一生に換算すると、20万tタンカーを満杯にするぐらいの血液を全身に送り出していることになると聞いたこともあります。
偉大なはたらきをしているのが小さな心臓なのです。
他にも胃や肝臓、胆嚢、膵臓、十二指腸、脾臓、小腸、大腸などのはたらきを丁寧に教えてくださいました。
ひとつひとつの臓器がそれぞれ自分でも意識してないのに素晴らしいはたらきをし続けてくれているのです。
そんな臓器のはたらきを学ぶと、自分の身体の中に大宇宙が広がっているような気になります。
司馬遼太郎さんの『十六の話』という本には華厳思想について書かれた一節があります。
「沙漠は、一粒ずつの砂でできあがっている。
その一粒の砂の中にも。生成されたいきさつがあり、またそれが構成されている成分がある。
その一粒の砂の内部からたとえばタクラマカン沙漠そのものを感ずることができるし、さらには、宇宙までがその一粒の中に入りこんでいることを知覚することができる。
ときにその砂に崑崙の水が加わると、植物をそだてさせる。
さらにはその植物を人や家畜がたべるといったぐあいに、因縁が構成され、それが縁起をおこし、 さらに他の因果を生む。
重々無尽、事々無礙。精妙にしてやむことがない。」
という世界であります。
盲腸というのは、かつて重要なはたらきをしていないと見なされて、容易に切除されていたのですが、最近では免疫においてとても大事なはたらきをしていることが分っているそうなのです。
最後には椎名先生の先導によって軟酥の法を皆で実習しました。
頭のてっぺんにレンガ大のお薬バターが載っていると想像して、それがだんだん溶けて大脳、小脳、脳幹、気管、食道、肺、心臓、胃、肝臓、胆嚢、膵臓、十二指腸、脾臓、腎臓、小腸、大腸、膀胱と潤してゆくように想像します。
全身を頭から足までお薬バターが潤してゆくのであります。
ゆったりとした椎名先生の先導で、全身が調った感じがしました。
その日は朝からいろんな行事がたて込んでいたのですが、すっかり楽になりました。
終わってみると、はじめは疲れていると仰っていた椎名先生もまたお元気になっていらっしゃいました。
横田南嶺