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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.11.26
今日の言葉

拈華微笑

お釈迦さまがあるとき、霊鷲山で開かれた法会の席で、花を手に取り聴衆に示されました。

皆はなにのことやら分らずに黙ってしまいました

「霊鷲山」とは、マガダ国の首府ラージャグリハ(王舎城)付近に位置し、お釈迦さまが法華経や大無量寿経を説かれた場所だとされています。

そのときに、ただ迦葉尊者だけが、にっこりと微笑んだのでした。

迦葉尊者は、禅門において西天初祖とされています。

お釈迦さまは「私に正法眼蔵、涅槃の妙なる心、実相無相、微妙の法門がある、文字を立てず、教の外で別に伝えるものだ。それをいま、迦葉に托す」と仰せになっという話が、『無門関』の第六則にございます。

皆が、何の事やら分らずに黙り込んでいるところ、ひとり微笑んだ迦葉尊者にお釈迦さまは仏法の核心を伝えると仰せになったのです。

この話は『大梵天王問仏決疑経』にあると説かれてきましたが、このお経はそもそも中国撰述経典なのだそうです。

また「拈華微笑」の話自体は『大梵天王問仏決疑経』の成立以前から禅門で流布していたとも言われています。

お釈迦さまのお弟子には「十大弟子」と呼ばれる優れた方々がいらっしゃいました。

智慧第一の舎利弗、神通第一の目連、頭陀第一の迦葉、解空(げくう)第一の須菩提、説法第一の富楼那、論義第一の迦旃延、天眼第一の阿那律、持律第一の優波離、密行第一の羅睺羅、多聞第一の阿難の十人です。

「頭陀」とは、原義は、ふるい落とす、はらい除くという意味です。

煩悩の塵垢(じんく)をふるい落とし、衣食住についての貪り・欲望を払い捨てて清浄に仏道修行に励むことを言います。

そのために十二頭陀行というのがあります。

1)人家を離れた静かな所に住する、
2)常に乞食(こつじき)を行ずる、
3)乞食するのに家の貧富を差別選択せず順番に乞う、
4)1日に1食する、
5)食べ過ぎない、
6)中食(ちゅうじき)以後は飲物を飲まない、
7)ボロで作った衣を着る、
8)ただ三衣(さんね)だけを適当量所有する、
9)墓場・死体捨て場に住する、
10)樹下に止まる、
11)空地に坐す、
12)常に坐し横臥しない、の12項目であります。

迦葉尊者は、特にこの頭陀行に於いて第一だと言われていたのでした。

もともとは富豪のバラモンの家に生まれましたが、財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲などの五欲を好む心は薄く、常に不浄を厭い、煩悩を離れて寂静に至りたいとのみを願って、お釈迦さまの弟子になったのでした。

舎利弗や目連とは異なり、常に釈尊の説法に耳を傾けて己を顧み、自ら道を修めて楽しむというのが迦葉尊者でありました。

いろんな逸話がありますが、あるときお釈迦さまが祇園精舎におられた時、長らく山に籠って修行していた迦葉尊者が訪ねて来ました。

その姿は、髪も鬚も伸び放題で衣は破れ、その全身を垢が覆うという有様でした。

多くの比丘たちは迦葉尊者を知らなかったので、みな一様に遠ざかりました。

そんな様子を御覧になったお釈尊さまは、

「大迦葉比丘よ、よくぞ参られた。わが半座をわかちて、待つこと久し。 早く、ここに参られよ」

と仰せになったので、一同みな驚きおそれたのでした。

しかし迦葉尊者はおそれ多いこととしてその座につかず、深くお釈尊さまを拝し奉るのみでありました。

『摩訶迦葉度貧母経』にある話も感動的であります。

『仏弟子物語』(第一書房 中山慧照)を参考にしながら紹介します。

迦葉尊者は行乞するに当っては、常に富豪の家には行かず、求めて貧窮の家をおとずれたと言います。

貧者は何の楽しみもなく、法を聞いて布施する喜びも得ることができないからでした。

王舎城に一人の貧しい老婆がいました。

身寄りもなく、家もなく、街の裏にある塵溜場に住んでいました。

近所の長者の家の者が、老婆のいる塵溜に米の汁を捨てに来ました。

老婆はこの汁を瓦の破片で受けてすすっていました。

迦葉尊者はこの老婆のところに行乞に来ました。

しかし老婆は泣きながら、塵溜を家として病いに侵され、食べるものもなく、着る衣もなく、布施する心はあっても一物もないことを嘆き悲しみましだ。

すると迦葉尊者は、
「布施する心のあるは貧乏人ではなく、慚愧の念ある者は法衣を着したるに等しい。

世に多くの財宝を持っていても布施を知らず、慚愧の念を抱かない者もいる、こういうものこそ貧者である」と言ったのでした。

老婆は迦葉尊者の教えに接して大いに喜んで思わず瓦の破片に残っていたわずかな米の汁を、両手をもって迦葉尊者に捧げました。
迦葉尊者は快くこれを受けて一気に飲み干したのでした。

「老婆よ、そなたはこの施しの功徳により、来世は必ずよいところに生まれるであろう」といったので、老婆の喜びは限りないものでありました。

かくしてお釈迦さまは、「十二頭陀難得の行は、いわゆる、大迦葉比丘是れなり」と、迦葉尊者こそ頭陀第一として比丘たちに説かれたのでした。

迦葉尊者にお釈迦さまが年老いた身を案じて、重い糞掃衣のかわりに軽い法衣を着るようにと勧められたことがありましたが、

迦葉尊者は「世尊よ、われ頭陀の行を楽しみとす。重き衣を着し、一坐一食して露地に寂静を楽しむこと至上とす。

少欲にして足ることを知り、静かに歩をすすめ、静かに思惟するは、吾の無上の楽しみなり。」

と仰せになっています。

お釈迦さまも迦葉尊者のことを、汝はこの世の灯である。 まこと少欲知足にして大衆に大安楽を与うるは汝であるとまで仰せになったのでした。

このように頭陀行の実践において第一であった迦葉尊者にお釈迦さまの教えが伝わり、禅では、迦葉尊者をお釈迦さまの後継者として大切にしているのです。

 
横田南嶺

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