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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.10.31
今日の言葉

腰を入れること

目から鱗が落ちるといいますが、そう何枚も鱗はあるものではないと思っていましたが、またまた鱗が落ちるような体験をしました。

先日甲野陽紀先生にお越しいただいて講座を行ってもらいました。

今回は、腰を入れるということに特化して修行僧のために講座を開いていただきました。

腰を入れて、丹田に意識を集中してということをよく私などは説いてきました。

また諸先輩方からも教わったものです。

しかし、この腰を入れるが、難しいのです。

頑張りすぎて、入れすぎてしまう傾向があります。

また、新しく修行道場に来た者は、丹田がよく分らないと言われます。

我々は、ただ坐れとしか教えません。

坐っていれば分るというのです。

この方法も実に尊いものなのですが、年数がかかります。

生涯掛けて道を求めようという人にはいいかもしれませんが、今日のように年数を決めて修行道場に来る場合には、何も分らないうちに終わってしまうこともあるのです。

甲野陽紀先生は、武術研究家の甲野善紀先生のご子息であります。

今回は、なぜ今のような取り組み方をするようになったのかについて話をしてくださいました。

陽紀先生は、甲野善紀先生のご子息として生まれながら、幼少の頃から特別の訓練を受けたことはないと仰っていました。

むしろ道場に行くことを敬遠しているほどだったというのです。

高校を卒業した頃から、善紀先生について各地に出かけるようになったそうです。

そうしてお父様のおそばで学びながら、お父様はご自身独自の方法を独自の言葉で伝えておられるので、相手によく伝わっていないことがあると気がつかれました。
たとえば水鳥の足の如くとよく仰っていたそうなのですが、お父様は鳥や水鳥が好きなので、その姿が思い浮かぶのですが、鳥に興味のない人には分らないことになってしまいます。

水鳥の足と言われても、連想するものが異なるのです。

そうしてお父様の教えている技がどうしたらできるようになるのかを、陽紀先生ご自身の方法で模索するようになったのでした。

丹田と言われて、何も分らないのに丹田を意識するのは無理なのです。

しかし、陽紀先生は、たとえば以前にもこの欄で紹介したように、指先を合わせるとそれだけで身体が整うということを実習されます。

指先というと誰でも意識できるのです。

そしてそれを合わせると身体は誰でも変化するのです。

丹田を意識するということでも、本当に出来る人は、丹田よりももっと先を見ているのだと仰っていました。

丹田は大事だけれども前提なのだというのです。

たしかに達人の動きというのは、丹田も忘れていてそれでいて丹田や中心軸がずれることがないのです。

いちいち意識していたら却って不自由になってしまいます。

丹田はその先をつかむための入り口なのに、それを目的化してしまっているのです。

頂上を目指すにはさまざまな道があります。

道は一つではありません。

西園先生のように足指から整えるという道もあります。

椎名先生のように直接仙骨に触れて起して整える道もあります。

どの登山道があうかはその人それぞれなのです。

でも他の登山道を歩くと、本来の登山道の良さが自覚できたりします。

また無駄なことと必要なことが分ったりします。

我々はまず丹田という中心を意識することから始めますが、甲野先生は指先のように末端に注意を向けることから始められます。

異なる方向のようですが、到るところは全く同じなのです。

指先に注意をするということは、中央がはっきりしていないと出来ないのです。

指先に注意を向けた時には中央もはっきりしているということです。

腰を入れると言うことについては、以前にも書いたことがあるように、腰を入れすぎて反り腰になることがよくあります。

腰を入れるということについての落とし穴のようなものです。

その落とし穴にどうしたら落ちないでいいか、甲野先生は腰というよりも大転子に注意を向けるように仰いました。

大転子というのは、股関節の横あたりにある少し出っ張った骨のことです。

太ももの付け根あたりです。

骨盤の下あたり、太ももの外側を押したときに触れるところです。

たとえば腰を横から押してもらって、抵抗して腰を横に出そうとしても動くことは難しいのです。

ところが、大転子を押すと注意を向けると、いとも簡単に押し返せるのです。

そこで今回は、大転子を左右に広げることに注意を向けることを習いました。

腰を入れるというような力を入れないのです。

ただ大転子を広げるということに注意するだけなのです。

実際に大きく動くものではありません。

ただそのように注意するだけです。

その注意をしただけで、私などは足の感覚が変化して足のうらの感覚まで実にはっきりとしたのでした。

腰を入れることを意識して横や後から押してみると、かなり耐えられるのですが、やはり押されてしまいます。

ところが大転子を広げることに注意しているだけで、押されても弾力性があって力を吸収しながら倒れないのです。

大転子を横に押すということを何度か行っていると、大転子を横に広げるということも分りやすくなります。

大転子を横に広げると、腰を入れて固めた姿勢ではなく、ふわっとしていて何か大きく、どっしりとした感覚になります。

それがむしろ自然に腰の入った姿勢となるのです。

このふわっと大きくなった感覚というのが不思議なものです。

そこで、私は敢えて、甲野先生に質問しました。

腰を入れて丹田に意識を集中させるという方法は力が入るし、集中しやすいものですが、大転子を広げるとふわっと大きくなった感覚で、空洞になったようで、集中する対象がなくなるのではないかと質問したのでした。

しかし、そんなことは全くの杞憂でありました。

講座の後、夕方の坐禅が修行僧達皆、とてもよくなっていました。

その変化たるや一目瞭然なのでした。

修行僧に聞いても、坐りやすくなった、大転子を広げて安定した、より一層丹田が明確になったという感想がかえってきました。

これほどに効果歴然だとは私自身も驚いたのでした。

受講した修行僧全員、誰一人のもれなく、よく理解されていて、姿勢もよくなっていたのでした。

私も、今回の講座で、大転子を広げるということがより明確になり、足の裏の感覚まではっきり変化したことを実感しました。

歩いても軽快になりました。

今まで腰を入れて丹田に意識を集中してという方法で二十年やってようやく到達できるような坐り方が、わずかの時間の講習で出来るようになると感じました。

これには、脱帽するばかりでした。

私たちの世界では、教えないことを尊んできました。

何十年と苦労してようやく体得されるのだというのです。

しかし、今や実際に何十年も骨折ろうという人はほとんど稀になりました。

新たな方法で、効果てきめんによくなるのでしたら、これほど良いことはありません。

甲野先生の教え方の素晴らしさを改めて実感した次第です。

それだけに、先生の方では綿密に工夫してお考えくださったのだと思いました。

これまた新たな世界が開けた思いなのであります。

学ぶことの楽しさを実感する一日でありました。

 
横田南嶺

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