ヒマラヤを黄金にしても
先日は「宝くじ考」と題して書かれていました。
はじめに
「9月はじめスーパーで100円を切っていたベビーリーフが1週間後に138円になり、えっと思ったら、2週間後に158円になり、10月はじめに178円になった。」
と書かれていて、このところの物価上昇について書かれています。
給料が二倍になる話はないのに、物によっては物価が二倍近くにもなっているのが現状なのであります。
そこで、海原先生は、
「そんな状況のせいだろうか。街角の宝くじショップの看板がしきりに目に入るようになった。宝くじを買って、「もし当たったら」と考えて気分を明るくしたくなるものだ。
もし当たったら、とあれこれ思い浮かべていると気分は明るくなる。」
というのであります。
夢を見るというのは悪いことではありません。
夢が希望につながることもあります。
しかし、もし仮にたとえ宝くじに当たったとしても、それで幸せになれるかというと、必ずしもそうではないのが現実であります。
思わぬ収入が入って、却って人間関係がうまくゆかなくなることもよくあるものです。
海原先生も「アメリカの研究で、高額宝くじに当選した人の幸せな気分は長く続かないという。
当選した1年後には平均的アメリカ人の精神的満足度とほぼ同じになってしまうという。数億円当たっても一生幸せは続かない。」
と書かれています。
それはなぜかというと、「その理由は、人は持っているものにすぐ慣れて当たり前になってしまうからだという」のです。
だから「水も電気もないと大変なことは災害時に体験したが、ある時は当たり前になってしまう」というのです。
しかし、「あったらいいなあ、と思い描くそのプロセスに私たちは、わくわくして幸せな気分になるのだと思う。
この困難な時代、値上がりで生活が厳しく不満で気分がめいるとき、「こうなったらいいなあ」と目指すものを思い描きその時間を楽しむようなプロセスが作れたら、と思う。」
と海原先生は仰っています。
海原先生のご自身も「今新しいオリジナル作品のジャズを加えたCDを制作している」ところらしく、「たくさんの方がきいてくれたらいいなあ、などと思い浮かべるとちょっと気分は明るく変わる」というのであります。
その日の午前七時半からは世田谷区野沢の龍雲寺、細川晋輔さんのオンライン坐禅会があります。
最近は、『仏教百話』を読んでくださっています。
よくまとめてお話くださるので、有り難く拝聴しています。
ちょうど、その日のお話が、
「雪山を化して黄金となすともー貪欲」
という題でありました。
雪山というのはヒマラヤのことだそうです。
お釈迦様が
「かの雪山を化して黄金となし、
さらにそれを二倍にしても、
よく一人の欲をみたすことを得ず。
かく知って、人々は正しく行なえ。」
と仰せになったのです。
これはもともと次の話がもとになっています。
お釈迦様が、森の小屋で、ひとり静かに冥想していてこんなことを考えたのでした。
「政治というものは、殺すこともなく、殺されることもなく、征服することもなく、 征服されることもなく、悲しむこともなく、悲しませることもなく、道理のままに行なうということは、できぬものであろうか。」
というのです。
これは今の世情を見ても同じ思いがします。
すると悪魔が現れて、お釈迦様に、あなたが自ら政治を行えばいいではないかと言いました。
そうすれば、殺すことも、殺されることもない、征服することも、征服されることもない、また、悲しむことも、悲しませることもない、理想の政治ができるだろうというのです。
更に悪魔は、お釈迦様にあなたが自ら政治を行えば、ヒマラヤを黄金にすることも可能でしょうと言いました。
それに対して、答えたのが、ヒマラヤを黄金にしても一人の欲を満たすことはできないという言葉なのです。
たとえ宝くじに当たっても人の欲は満たされることはないのです。
仏教は欲を離れる道なのです。
百丈和尚の問答を思います。
百丈和尚に、ある修行僧が質問しました。
仏法のすばらしいこととは何でしょうかと。
それに対して百丈和尚は「独坐大雄峰」と答えられました。
「大雄峰」とは百丈禅師が当時住されていた百丈山の別称です。
ですから、自分がいまこの場で坐っていることがこれ以上なく素晴らしいのだというのです。
古来この人間に生まれて、いまこうして生かされて、更に仏法にめぐり逢えた、その素晴らしさを「盲亀浮木」の譬えで表しています。
「盲亀浮木」というのは、大海中に住んでいる目の見えない亀が、百年に一度だけ水面に浮かび上がり、海上を漂っている木片に開いたたった一つの穴に首が入ることを言います。
滅多に逢えないことの譬えなのです。
遺伝子研究の村上和雄先生は、「一つの命が生まれる確率は、一億円の宝くじが百万回連続して当たることに匹敵する」と仰せになりました。
今こうしてこんな話を聞いていることが、宝くじに当たるよりも、ヒマラヤを黄金にして手に入れるよりも素晴らしいことなのであります。
坐禅をするというのは、もう外に求めることは一切やめて、ただここに坐っている、その素晴らしさに安住していることです。
朝、毎日新聞に連載されている海原先生の新・心のサプリを読んで、細川さんの『仏教百話』の講話を聞いて、これ以上ない幸せなのであります。
横田南嶺