珍重
仏光国師は、西暦一二二六年のお生まれで、浄慈寺で出家し、径山万寿寺で仏鑑禅師の指導を受けて修行し、更に諸方を行脚して当時の名だたる禅僧を訪ねて修行を深めて、一二六九年、四十四歳の時、台州(現在の浙江省地級市)真如寺の住持として世に出られました。
この頃、南宋は大変な危機に直面していました。
元軍が周辺国に触手を伸ばして次々に制圧していたのです。
南宋の皇族達は、南の温州に仮住まいされたりしていました。
仏光国師もまた、温州の能仁寺に移っておられました。
五十一歳の頃、元軍はついにその能仁寺にも押し寄せてきました。
そして、元兵が刀を抜いて仏光国師の首に突きつけました。
この事態に、仏光国師は、「神色少しも変せず」に偈を唱えたというのです。
神色は、「精神の状態と顔色。態度。」という意味です。
兵士が乱入してきて刃を突きつけられると、ぞっとするものです。
しかし仏光国師は、心を少しも動じなかったというのであります。
心も動じないという状態は、その態度にも現われるものです。
そんな仏光国師の様子を見た兵士達も「悔謝」して去ったというのであります。
「悔謝」は非を悔いて詫びることです。
これは失礼致しましたと言って去っていったというのです。
その時の偈がよく知られています。
乾坤、孤筇を卓つるに地無し。
喜得す、人空法亦空なるを。
珍重す、大元三尺の剣、
電光影裏、春風を斬る。
意訳しますと
「この広い天地のどこにも、私が杖一本を立てられそうな余地もない。
しかしうれしいことには、人ばかりか法もまた空なのだ。
ありがたく大元三尺の剣をお受けしよう。
たとえこの私を斬ったところで、いなびかりがキラッと光る間に、春風を斬るようなものだ。」
というところであります。
この話にはいろんな憶測があります。
まずよく言われますのが、仏光国師は南宋の方であります。
中国の言葉で話をしていました。
襲ってきたのは元の軍ですから、モンゴルの人たちです。
まずこの言葉が通じませんから、この漢詩の意味も分らなかったのではないかということです。
たしかにそうかもしれません。
この説に対しては、たとえ言葉が通じなくても、刃を突きつけられても泰然自若としていた仏光国師のたたずまい、その気迫に圧倒されたのだと解釈することがあります。
これも一理あろうかと思います。
また他には、元の軍といっても必ずしも元の人たちばかりとは限りません。
元が日本に襲って来た時にも、実際に戦地に駆り出された多くの兵は、南宋や朝鮮の兵たちだったとも言われています。
それから考えると、この時にも実際には南宋の兵士も駆り出されて襲ってきたとも考えられるのです。
そうすれば、仏光国師の漢詩もまた理解できたという説であります。
いずれにしても当時のことですから、正しいことは知るよしもありません。
『仏光国師語録』にある「仏光国師行状」には「天兵」や「軍士」と書いていてどこの国かまでは分りません。
さて、この偈の解釈についてですが、第一句は、「この広い天地にもはや杖一本立てる場所もない」ということで、その時に仏光国師の置かれた窮地をよく言い表わしています。
もうどこにも逃げ場もないのです。
わが身ひとつの置き処もないということです。
「大地寸土無し」という語は、空の境地を表すのに用いますが、ここでは、空であることも踏まえながらも、実際に逃げ場も、わが身の置き処もないことを表していると察します。
そんな絶体絶命の境遇にあっても、嬉しいことには、「人空、法亦空なる」を知り得たことであります。
「人空・法空」は岩波書店の『仏教辞典』には、
「人無我(にんむが)・法無我(ほうむが)>に同じ。
人の主体としての自我という実体が存在しないことを<人無我>または<人空>といい、あらゆる存在に実体性のないことを<法無我>または<法空>という。
この場合、<法>はあらゆる「もの」を表し、<我>は実体を意味する。」
と解説されています。
自我も空であり、あらゆる存在もまた空であることを言います。
この私も空であり、私のまわりを取り囲む兵士達もまた空であることを言っています。
そこで第三句が、「珍重す、大元三尺の剣」です。
五山版の『仏光国師語録』には、訓点が打たれていますので、珍重の後にカタカナで「ス」と書いています。
「珍重す」と読むようにという指示であります。
「珍重」にはいろんな意味があります。
三省堂の『漢辞海』には、
「 ①惜しみ大切にする。
② 「おからだを大切に」の意をこめた離別などの挨拶。
③謝意を示したり、ほめたたえることば」
という三つの意味が書かれています。
従来の解釈ですと、三番の意味で、有り難くも大元三尺の剣をお受けしようという意味になります。
「珍重」について『諸録俗語解』には、
「叢林の禮話、早起に「不審」と云い、夜間に「珍重」と云う。
「不審」は「よくおやすみなされしか、いかが」と云う辞なり。
「珍重」は「お身を大切に、よくやすみ玉え」と云う辞なり。
此方の「おひるなりましたか(御昼ナルは、目覚めるの意)」
「おやすみなされ」の挨拶の如し。」
と解説されています。
また「久立珍重」として使われる場合も多く、入矢義高先生の『禅語辞典』には
「雲水は師家の上堂説法を立ったままで聞いた。
それへのねぎらいを籠めたしめくくりの挨拶。永いあいだ立ったままでご苦労さん。」
と解説されています。
諸橋轍次先生の『大漢和辞典』にも「別れる時の挨拶語。さやうなら、お大事に」という解釈が書かれています。
駒澤大学の小川隆先生は、この「珍重」は、「さらば」という別れの言葉だと説いてくださっていました。
私もその解釈を初めてうかがった時には、驚いたものです。
小川先生は、「好雪片々別処に落ちず」という禅語を例に出されました。
これは『禅語辞典』には
「みごとな雪だ。ひとひらひとひらが別の所には落ちない。
「好雪」は感嘆の語。
「不落別処」とは、ひとひらひとひらがピタリピタリと、落ちるべき位置に落ちることをいう。」
と解説されています。
大事なのは、「好雪」は感嘆語だということです。
見事な雪だと称えているのです。
好雪がひとひらひとひら別の処に落ちないというのではなく、「見事な雪だ」と感嘆して、そのひとひらひとひらが別の処に落ちないと言っているということなのです。
「珍重す、大元三尺の剣」もまた、「珍重」と述べておいて、そのあと「大元三尺の剣」と続くと読むという説なのであります。
ですから、「さらば」と兵士達に別れの言葉を述べて、そのあと大元三尺の剣が私の首をはねたとしてもいなびかりがキラッと光る間に、春風を斬るようなものだ。」という意味となります。
たしかにこの読み方の方が、躍動感、臨場感があるように感じます。
ただ五山版の訓点とは異なる読み方となります。
「珍重す、大元三尺の剣」ではなく、「珍重、大元三尺の剣」と読むのであります。
いずれにせよ、仏光国師の泰然自若たる心境を表す漢詩なのであります。
さて、本日もこうして拙い話をお聴きいただいて、最後に申し上げたいのは「珍重」であります。
横田南嶺