若者に期待
松竹老師は、埼玉県野火止の平林寺僧堂の師家であり、臨済会の会長でもいらっしゃいます。
また京都の禅文化研究所の理事長でもいらっしゃいます。
松竹老師とはお互いに修行僧の頃から親しくさせてもらっています。
実に三十年にわたる御法愛をいただいています。
臨済会というのは、ホームページに書かれていることによると、
「臨済会は東京都内の臨済宗寺院約100ヶ寺より構成されている任意団体で、昭和24年の秋に設立された。
戦後の混乱が残る東京において、臨済禅の布教伝道を第一の活動として昭和25年『法光』誌を発刊し、以後年4回発行を続け、令和3年秋彼岸号で288号を迎える。年間40万部を発行している。」
と書かれています。
この『法光』という冊子が、来年三百号を迎えるというので、その記念企画なのであります。
また来年で七十五年となります。
初代会長は、金地院の松浦宗彭和尚で、二代目が円覚寺派月桂寺の松尾太年老師であります。
その三代目が、私の得度の師である小池心叟老師であります。
小池老師は、昭和五十一年から平成十六年まで実に二十八年もの長きにわたって会長をお勤めになっておられました。
歴代の会長の中でも最も長く会長を勤めておられます。
そのあとは、龍雲寺の細川景一老師、そして泊船寺の千代田玄海和尚が勤められて第六代がただいまの松竹老師であります。
臨済会の活動の第一は、年四回、正月、春彼岸、お盆、秋彼岸と『法光』という冊子を発行していることであります。
それから、年に一度禅を聞く会という講演会を開催しています。
そして、禅をならう会という坐禅会も行っているのです。
臨済会と私のご縁ということで、少し話をさせてもらいました。
私は高校を卒業して関東に出てきました。
昭和五十八年から小池心叟老師のもとで参禅修行を始めていました。
小池老師には、とてもよくしてもらって、お出かけの時には鞄持ちなどもさせてもらっていました。
臨済会にも小池老師のお伴でお世話になりました。
私は平成三十年に臨済会の禅を聞く会で講演をさせてもらっていますが、その講演会のお手伝いを学生の頃からさせてもらっていました。
チラシを封筒に入れて準備したり、会の始まる前には有楽町の駅前で、看板をもって案内をしていたりしていました。
その頃は、三十数年の後に自分が講師を務めるとは夢にも思わなかったのでした。
出家のきっかけとなったのもこの臨済会がご縁でありました。
ある年に老師のお伴で、禅をならう会という坐禅会のお手伝いに行きました。
全生庵様が会場でした。
年末の成道会の法要と坐禅会が開催されていたのでした。
当時は全生庵の本堂も書院もいっぱいの方々だったと記憶しています。
そのときに小池老師が、無門関を提唱なされていました。
大勢の方々が小池老師の提唱を聞いて感動されていました。
そんな光景を目の当たりにしました。
当時私は、小学生の頃から坐禅をしてきて、更に大学で仏教学を学んでいて、このあと、大学に残って仏教学を研究するか、当初の願いの通りに出家するか、少し迷いが残っていました。
しかし、その坐禅会に出て私の考えは決まりました。
坐禅して自らの安心を得ることは、出家であろうが、在家のまま学者であろうが、同じく解決できると分っていました。
しかし出家して法を説けば多くの人にその安心を与えることができるのです。
自分が修行して体得したことを、多くの方に伝えて喜んでもらえるのであれば、こんな素晴らしいことはないと思って出家の意を固めたのでした。
臨済会の坐禅会がご縁で、今日の私があるのです。
そんな話もさせてもらいました。
それが今は臨済会の顧問という立場になっています。
松竹老師との対談でははじめに、司会の方からお互いの二十代の頃と現在の二十代を比べて感じる違いや変化について問われました。
たしかに世間では、ゆとり世代とか、この頃ではZ世代ともいうそうです。
私は今の方と自分たちの頃とを比べて論じることはあまり好みません。
自分たちの頃に比べて、今の若者はと言い出すと、それは既に慢心だと思うからです。
他と比べて自分の方がましだと思うのは慢心にほかなりません。
そこで私は、自分は今も二十代だと思って修行僧達と一緒にいますので、比べるという感覚はありませんと伝えました。
即興で出た一言でありました。
われながらよく言ったと思っています。
今も気持ちだけは二十代なのです。
そうでないと、二十代の修行僧達と一緒にやってられません。
そうして、今の二十代の人たちはよくやっていますとのみ伝えました。
若者に期待しなかったら、将来はありません。
今の人は、今の人なりのよい感性をもっています。
私などにはない良いものを持っています。
今も分らないことがあると、二十代の修行僧に聞いています。
親切に教えてくれます。
有り難いと感謝しています。
松竹老師もまた今の二十代を称えてくださっていました。
この頃ではよく般若心経も読めずに修行道場に入ってくるとか、衣の着方も分らずに修行道場に入ってくるのだと批判されることもあります。
しかし、お経が読めなくても、修行道場に入って毎日読んでいればすぐに覚えるものです。
問題はないのです。
衣の着方などは、数日で覚えるものなのです。
松竹老師も、今の人は作法を知らないだけなのだから、教えてあげれば問題はないのですと仰ってくださいました。
その通りであります。
かつては作法を知らないと、「こんなことも知らないのか」と叱っていましたが、叱らなくても教えてあげればいいのです。
これは松竹老師もそのように仰せになってくださいました。
私たちにできるのは、自分たちの頃と比べてどうこう言うのではなく、今の若者に期待して応援することであります。
尊敬申し上げる松竹老師と対談させてもらえて有り難いご縁でありました。
横田南嶺