本来の面目
暑かった夏でしたが、お彼岸の頃からようやく涼しくなってきました。
十月は、円覚寺では、二日から三日にかけて、開山仏光国師のご命日の法要を執り行います。
円覚寺では、もっとも大切な行事であります。
また十五日には、舎利殿にお祀りしている仏舎利を大方丈で御開帳する儀式があります。
開山忌に続いて大事な行事であります。
開山忌と舎利講式の間には、達磨大師のご命日の法要が、五日にあります。
そのあと、私は、長野県松本市に法話にでかけ、更に京都の花園大学での講義などが入っています。
十五日の法要を終えると、二十日からは修行道場の大摂心が始まります。
そんな次第で、行事の多い月であります。
九月の二十日にも、イス坐禅の会を行ってきました。
これで第四回目であります。
何度か繰り返すうちにだんだんと慣れてきました。
つくづく感じるのは、教えることの難しさと、教えることは学ぶことだということです。
イスでどう坐ったらいいのかを、色々と自分なりに研究を重ねてきました。
どう坐ったらいいか、それをどのように伝えたらいいか、あれこれ工夫していると、まず自分自身の学びになります。
そこで、自分自身がイスに坐ることがとても楽になりました。
長時間、イスに坐って話を聴くときなどは、やはり疲れるものであります。
ところがイス坐禅の工夫をするようになってから、全く苦痛がなくなり、深い坐禅をしているのと同じように安楽になっているのです。
これは実に有り難いことだと実感しています。
講演でもそうですが、話をする者が一番学ぶのです。
イス坐禅も教える方が、一番よく学ぶことができるのだと改めて思っています。
イス坐禅の会は、頼まれて行っているのものではなく、私が行いたいと思って始めています。
多くの人がイスの暮らしになり、オフィス街ではたらいている今、その方達の為に、あえて都心の会議室を借りて、イスとテーブルだけで坐禅をしようと思ったのです。
現代の暮らしの中にも禅は実践できるはずだと思ったからです。
私のイス坐禅の特徴は、素足になっていただくことから始まるのです。
靴を履いたままだと、どうしても足が窮屈です。
参加者の皆さんにタオルをこちらで用意して、タオルの上で素足になっていただきます。
足で床を感じることから始めています。
まずは上半身、首や肩の凝りをとる体操から始めています。
今までいろんな体操、ヨガ、身体技法を学んで来ましたので、その中でもいいと感じたものを皆様に伝えようと思って行っています。
紙風船を使って体幹を鍛えることもしています。
それから足でテニスボールを踏むことを行います。
足で床を踏むからこそ、腰が立つのであります。
拇指球、小指球、そして踵の三点でテニスボールを押しつぶすように踏むのです。
イスに坐っても素足で、テニスボールを押し、または土踏まずをゴロゴロ刺激します。
足で床を踏んでいる感覚が重要です。
そうしてイスに坐って両手を斜め四十五度前方に引っ張られているようにして伸ばします。
引っ張られて、お尻が少し浮くようにします。
浮いた時に一番腰が伸びています。
その腰の様子を保ってイスに坐ると腰が立ちます。
今回は、白隠禅師が薦められた内観の法を実習しました。
二回目の坐禅で実習してみたのでした。
その二回目の坐禅の前に、動かない経行をしてみました。
本当は経行といって、ゆっくり歩きながら、身体の凝りなどを取ってゆくのですが、会議室ではそれができません。
そこでその場に立ったままで、息を吸いながらゆっくり右足をあげ、吐きながらゆっくり降ろし、またゆっくり吸いながら左足をあげ、吐きながら降ろすことを繰り返しました。
足の裏に感覚を向けるのです。
更に動きを小さくして、踵だけを吸いながらあげ、吐きながら降ろすことをしました。
そうしてイスに坐って踵をあげながら息を吸い、降ろしながら息を吐くことを繰り返しました。
更に踵から息を吸い、踵から息を吐くように意識してみました。
そうして足の裏から息を吐いたり吸ったりするように誘導してゆきました。
そこから内観の法に移ってゆきました。
平林寺の松竹寛山老師は、禅文化研究所の『新 坐禅のすすめ』の中で次のように内観の法を解説されています。
「イスに深く腰かけ、背筋を伸ばします
手は膝(腿の上)に置き、深呼吸を3回します
下半身の各部位を、次の順番で唱え、感じます
感じにくい場合には、手のひらで触れて確認します
下腹・背中・腰【気海丹田】
腰・尻・腿・腿裏・膝・脛・ふくらはぎ 【腰脚】
足首・足の甲・足裏・足先【足心】
同じ順番で唱えながら、各部位の感覚(温かさ、冷たさ、重さ、シビレ等)が広がる、伝わることを感じます
最後に「きかいたんでん【気海丹田】、ようきゃく【腰脚】 そくしん 【足心】」 と静かに唱えながら、下半身全体を感じ続けます」
というものです。
それから白隠禅師の『夜船閑話』には、
わがこの気海丹田腰脚足心、まさに是れわが本来の面目、面目なんの鼻孔かある。
わがこの気海丹田、まさに是れわが本分の家郷、家郷なんの消息かある。
わがこの気海丹田、まさに是れわが唯心の浄土、浄土なんの荘厳かある。
わがこの気海丹田、まさに是れわが己身の弥陀、弥陀なんの法をか説く。
との言葉を唱えるように説かれています。
松竹寛山老師は、内観の法を分りやすく意訳されています。
わがこの気海丹田、腰脚足心は本来の自分。
本来の自分はどんなだろう。本来の自分、本来の自分…
わがこの気海丹田、腰脚足心は心のふる里。
心のふる里はどんなだろう。心のふる里、心のふる里…
わがこの気海丹田、腰脚足心は心の安らかな世界。
心の安らかな世界はどんなだろう。心の安らかな世界、心の安らかな世界…
わがこの気海丹田、腰脚足心は阿弥陀さまの世界。
阿弥陀さまの世界はどんなだろう。阿弥陀さまの世界、阿弥陀さまの世界…
というのであります。
私は、短くして、まず足の裏から、ふくらはぎ、太もも、腰、下腹と息を吸い込んで、今度は下腹から、腰、太もも、ふくらばぎ、足の裏へと息を吐き出してゆくように意識してもらいました。
そうして自分の本当の顔が下腹にあるように想像してもらいました。
実際の顔には、目や耳や鼻や口があって、活動の中心になっているのですが、この顔の部分の電源がどこかにあると想定して、その電源を切ってしまうのです。
そうして本当の顔はおへその下にあると想像して、そのおへその下の鼻から、息を腰、ふともも、ふくらはぎ、足の裏へと吐き出してゆくのです。
また足の裏から下腹へと吸い込んでゆきます。
おへその下が本当の顔だと想像しました。
本来の面目は、本当の顔だと思ってもらいました。
そしておへその下こそが、本当のふるさとだと思って、のどかなふるさとの景色を思い浮かべてもらいました。
そして、おへその下に安らかな世界が広がっているように想像してもらい、最後に、おへその下に素晴らしい仏様が安置されていると想像してもらったのでした。
実際に足の裏から呼吸する意識で行うと、一層効果があがります。
終わった後にも足がぽかぽかしていると感想をいただきました。
これこそが、頭寒足熱で、理想なのです。
こういう意識を用いてイスで坐っていると、本当にお浄土にいるような心地になるものです。
疲れもすっかり取れます。
また十月にもこのイス坐禅を行おうと計画しています。
横田南嶺