イスで坐る
これは最近私が一番力を入れてとりくんでいるものです。
私の場合、講演会、法話会、研修会、坐禅会と、そのほとんどは頼まれて行っているものです。
このイスで坐る坐禅会だけは、私が主催してとりくんでいます。
都内のビルの会議室を借りて行っています。
あえて寺で坐るのではなく、都内のビルの中で、しかもイスで坐るのです。
月に一度開催して、先日三回目となりました。
かつて岡田虎二郎先生が、畳の上で日本式に正坐するという静坐法を確立されています。
禅といえば、両方の足を股の上に乗せる結跏趺坐や、片方の足だけを股の上に乗せる半跏趺坐で坐るのですが、なにもそのような足の組み方をせずとも、日本人は畳の上で正坐しているのですから、それで十分だというのであります。
『岡田虎二郎先生語録』には、
「日本には畳が敷いてあるから、便宜上この形をとったのだ」と説かれています。
それにならえば、今の日本では、イスが置いてあるから、このイスで坐る形をとったのだと言うことも可能なはずであります。
岡田式では、第一に腰をしっかりたて、第二にみぞおち(上腹)の力を抜く、第三に下腹に力を入れることを説いています。
これはイスで坐っても十分にできるはずなのです。
しかしながら、イスで坐るというのは、それほど簡単ではありません。
お寺の法要でもこの頃はイスが多くなってきました。
かつては畳の上で正坐して法要、法事を行っていたものでした。
法事にお参りすると、座布団の上で足がしびれるのを我慢しながら、お経を聞いたことが多いのではないかと思います。
この頃は、お寺の本堂にイスを用意することが多くなりました。
私の知る範囲のお寺では、もうほとんどイスであります。
ご高齢の方は、膝が悪くて正坐できないと言われる方が多くございます。
お若い方は、正坐なんてしたことがないと言われます。
そこでイスに坐っていただくようになってきました。
それでもお寺の和尚さんは畳に正坐してお経をあげていたものでした。
この頃はお寺の和尚さんも高齢化が進んで膝が悪くて正坐できないという方が増えてきました。
お寺の法要などでも、われわれもイスに坐ってお経を読むことがほとんどになってきたのでした。
ところが、私などは、正坐するか、結跏趺坐をするかに慣れていますので、イスに坐るとどうも落ち着かないのであります。
やはり正坐というのは安定します。
それから結跏趺坐という坐り方は、慣れないと難しいのですが、実に優れた坐り方なのです。
先日も西園美彌先生が、足を股の上に乗せて坐ると、お尻の会陰あたりが閉まって、気が漏れることなく充実して坐れると仰っていました。
やはり、足を前にだして胡座をするよりも足を股に乗せた方が、しっかり坐れるのであります。
下腹、丹田にも気を満たしやすいのです。
それがイスに坐ると、どうしても正坐や結跏趺坐のように土台を支えるものがないので不安定な感じがしていたのでした。
そこで、あれこれと工夫して自分なりに研究してきたのでした。
手がかりになったのは、かつて師事していた老師から、頭のてっぺんから足のつま先まで気を満たしてひとつになって坐るという言葉でした。
頭のてっぺんから足のつま先までしっかり意識できないと気を満たすこともできません。
イスに坐っても足の感覚がないようでは、難しいのです。
そこでどうしたら頭のてっぺんから足のつま先までひとつになることができるのか工夫しました。
これはやはり体幹を大事にすることであります。
体幹トレーニングなどという言葉をよく耳にします。
藤田一照さんから紙風船を使った方法を教わったので、これを活用してきました。
先日のイス坐禅会は、三回目となりましたので、もう紙風船は使わなくていいかなとも思ったのですが、なんと『文藝春秋』の九月号に
「レッドソックス 吉田正尚選手の手紙 野球が熱い!」という室伏広治スポーツ庁長官の文章が載っていて、そこに紙風船のことが書かれていたのです。
先般の第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも活躍された吉田選手のことです。
準々決勝からは不振の村上宗隆選手に代わって五番から四番になり、準決勝のメキシコ戦では、同点三点本塁打を放つなど大活躍されたのでした。
その吉田選手が室伏さんから教わっていたというのです。
『文藝春秋』の記事には、紙風船トレーニングについて次のように書かれています。
「これは一般の方の腰痛にも有効ですので、ぜひ試してみてください。
まずは、胸の前で両掌を合わせ、両腕で押し合ってみて下さい。
胸や腕の筋肉が使われていることが分ると思います。
次に、両掌の間に紙風船を挟み、潰さないように注意しながら同じように力を加えます。
今度は、肩甲骨の周囲の筋肉が使われている感覚があると思います。
紙風船を「潰さない」という動作が加わることで、両腕を押し合う際に働く主動筋と、拮抗する背面の筋肉が使われ、「体幹筋」全体を満遍なく鍛えることができるのです。
この紙風船トレーニングは、私が東京医科歯科大学(来期より東京科学大学)の研究者として国際科学雑誌へ論文を複数投稿し、エビデンスが構築されたものです。」というのであります。
先日のイス坐禅でも、この室伏さんの言葉を紹介して紙風船トレーニングから始めたのでした。
紙風船を膨らますのにも、口で息を入れて膨らますのではなく、ポンポンと下から打ってゆくと自然と膨らみます。
そうしていると、緊張していた空気も和むのです。
そうして紙風船を使って身体全体を調えます。
それからテニスボールを持っていって、それを足の裏で押しつぶすようにして足の裏の感覚を意識します。
はじめ拇指球で押して、それから小指球で押して、踵で押すようにします。
この拇指球、小指球、踵の三点で地面を押すことが大事です。
それからイスに坐ります。
仙骨の位置を絵で示して、ポンポンと仙骨を叩いて仙骨を意識させてます。
意識するだけで仙骨は立ってくるものです。
堀澤祖門先生に教わった仙骨運動も紹介して行ってみました。
更に足の裏を拳で叩いてもう一度足の裏の感覚を戻します。
そのようにして足の裏で床を押してしっかり坐るのです。
仙骨を立てたら、その上に背骨を立てます。
背骨を立てるのには意識を用いました。
西園先生の『魔女トレ』の本にもある方法です。
骨盤を植木鉢だとイメージします。
植木鉢に一杯入った土が丹田です。
その植木鉢からまっすぐ木の幹が伸びています。
これが背骨です。
植木鉢から下に向かって根が伸びています。
太ももからふくらはぎ、足の先、そして更に大地までずっと根が張っているとイメージします。
そのようにして坐ると身体が調って坐ることができます。
こうして調えていくだけで三十分はかかるのです。
ただこうしてイスに坐るとしっかり安定して坐れるのです。
呼吸については、今回は岡田式静坐法の呼吸を紹介しました。
「吸う息は、決して自分で吸いこもうとしないでも、息ははいってきます。
それをそろそろ出しながら下腹へ力を入れるのです。
そうして次に力を入れるのをよすと、おちていたみぞおちは浮いて、鼻孔から息はスーと肺底まではいって来ます。 」
という簡単な方法を教えて坐ったのでした。
はじめに、紙風船などの体操をまじえて五十分坐って、三十分ほど臨済録の言葉を紹介してお話して、それから最後に三十分坐って終わりなのです。
途中十分の休憩を挟んでいます。
最後のイス坐禅では、白隠禅師の軟酥の法を用いました。
私もこれは長年工夫してきていますので、丁寧に説いて坐ってもらいました。
かくして二時間があっという間に終わりました。
まず私自身が、都内のビルに来て慣れないところにいる疲れもすっかりとれてしまい、なんとも言えない心地よい感覚になることができました。
頭のてっぺんから足の先までひとつなって坐ることができました。
今回は東京駅の八重洲口に近いビルの貸し会議室を使ったのでした。
これからも月に一度、あえて都内のビルの中でイス坐禅を行ってゆこうと思っています。
今までいろいろ学び、研究してきたことを皆様に還元できたらという思いなのであります。
横田南嶺