遊ぶということ – 遊戯三昧 –
この本は浄土真宗の蜂屋賢喜代先生の著であります。
名倉先生が、巻末に書かれている「校訂者あとがき」には、次のように書かれています。
「著者の蜂屋賢喜代師は、清沢満之門下で大正の末期から昭和の中期にかけて大阪を中心に活躍した真宗大谷派の僧侶であります。
この書は、蜂屋師初期の文集であり、誰にでも起こりうる人生生活上の現実問題に対する苦悩に寄り添うように、非常に具体的に話しかけるように綴られており、仏とも法とも何も知らなかった私自身が、自らの職業問題、家庭問題に悩み出した二十代に、幸いにも聞法生活を始めるようになった当初から今日に至るまで、常に座右に置いて親しみ、仏の智慧と慈悲をいただき続けている書であります。」
とあります。
名倉先生は、静坐の実践をなされながら、この蜂屋先生のことを心から尊敬されていらっしゃるのであります。
もっとも蜂屋賢喜代先生は、一八八〇年にお生まれになり、一九六四年にお亡くなりになっているので、名倉先生も直接の面識があるわけではありません。
ご著書で学ばれたのであり、また名倉先生は、蜂屋先生のご子息である蜂屋教正先生に直接教えを受けられているのであります。
私も蜂屋賢喜代先生のお名前だけは存じ上げていました。
それは森本省念老師の本の中に名前が出てくるからでありました。
森本省念老師は、一八八九年にお生まれになり、一九八四年にお亡くなりになっています。
この森本老師という方は実に優れた禅僧でいらっしゃいます。
どこかの本山の管長や僧堂の師家になられたわけではなく、長岡禅塾の塾長をなさっていたのであります。
この老師の言葉に、
「わしは禅をやるために禅をやったんではない。
本当に自分というものがどういうふうに落ちつけるか、煩悩具足の身がそのまま落ちつける法はないか、その手がかりに禅から入ったんで、禅よりいいものがあったら、わしは禅を捨てる。
しかし、やってみると、禅というものは拾ったり捨てたりするようなものじゃない。
禅は禅を離れるのが禅やから、禅という名前をつける必要がない。
だから、ひとは禅というかもしれんけど、わしはXや。
ひとは、わしが禅について語るというが、それは他人が言うんで、わし自身は禅について語った覚えはない。」
というのがあります。
実に禅を究めて、しかも禅にとらわれない老師であったことが、この言葉からも分ります。
森本老師のことは、坂村真民先生もとても尊敬されていたのでした。
真民先生に「三歳の子供にも分かる詩を作るよう」に言われたのが森本老師でありました。
そんな森本老師が、高く評価されていたのが、浄土真宗の蜂屋先生なのであります。
門下の尼僧さんには、蜂屋先生に師事されるようにしたという話もあります。
そんな蜂屋先生の名前を知っていながら、直接その本を読むというご縁も今日までありませんでした。
名倉先生からいただいたのがご縁で、ようやく蜂屋先生のご著書に触れることができました。
『仏天を仰いで』(北樹出版)の冒頭が、「遊戯三昧」という章であります。
禅の理想とするところ、宗教の究極を一番はじめにもってきておられることに驚きました。
この本は、まるで真剣勝負のような本だと感じました。
その「遊戯三昧」のはじめの言葉が、
「遊ぶということは楽しいことであります、遊ぶということには安楽な心やすさがあります。
私は遊べるようになりたいと願っております。」
とあるのです。
『仏天を仰いで』から引用させてもらいました。
自らの目指す理想をはっきり掲げてくださっています。
これほど有り難いことはありません。
この本が真剣勝負の本だと思った所以であります。
更に蜂屋先生は、
「遊戯三昧ということは、私の理想であり念願であります。
すなわち私はあらゆる事に対してそれを遊戯としてやってゆきたい、やって行けるようになりたいと思います。
それはなかなか出来にくいことでありましょう。
しかし私は是非そうなりたいと思っております、そして出来ぬことはないと信じています。
たとえ一部分ずつでもそうなってゆきたいと思います。」
と書かれています。
ではその遊ぶというのはどういうことかというと、蜂屋先生は、
「遊ぶということは自由ということであります。
囚われず、膠着せぬことであります。
したがって失望せず屈託せず、悲観せぬことであります。
楽しく力強く自由に働くということであります。」
と端的に説いてくださっています。
また「遊ぶということは、動かないということではありませぬ。
何もせぬということではありませぬ。
機械が休んでおるのを遊んでおるとはいうけれども、休むのと遊ぶのとは違います。
隠居をしたい、何もせずにおりたいというのは働いておる人の願いでありますけれども、ほんとうに休んだら、それは遊ぶどころではなく、苦しいことであります。
それゆえ遊ぶということは自由に働いて苦しまぬということでなければならぬのであります。」
と示してくださっているのです。
少し読んだだけでもこの本の素晴らしさ、蜂屋先生という方がいかに真摯な求法の方であったかがよく分るのであります。
名倉先生が常に座右において学ばれたというのも分ります。
こういう本に出逢えたということも一燈園を訪ねたおかげでありました。
私も座右において蜂屋先生の言葉に触れ、この「遊戯三昧」を目指してゆこうと思っています。
横田南嶺