感動の一燈園
浄土真宗の僧侶でただいまニューヨークで活動されて、岡田式静坐法を実践し、弘めていらっしゃる名倉幹先生と、ティック・ナット・ハン師の多くの本を日本語に訳して弘められた池田久代先生と、私との講演と実習の会でありました。
名倉先生、池田先生、そして私とそれぞれ話をして、そのあと三人で鼎談し、最後に参加者からの質問を受けてそれぞれ答えるという催しです。
タイトルは「静坐・禅仏教・マインドフルネスが出逢うところー岡田虎二郎と「静坐」を軸としてー」というものです。
そして、その会場が一燈園なのでした。
一燈園に行くことができる、私が長年憧れていたことでした。
思えば中学生の頃から西田天香先生の『懺悔の生活』を拝読してきました。
その崇高な思想と、実践行には、心から尊敬しておりました。
いつの日か一燈園に行ってみたいと思ってきました。
ご縁というのは不思議なもので、私は臨済宗のお寺にご縁があって今日に到りますが、一燈園にご縁があれば、そこにいたかもしれません。
鎌倉から新幹線で京都に行き、電車を乗り継いで四宮駅に降りました。
四宮駅から歩いて行けるのですが、主催者の大野先生が車で迎えに来てくれていました。
とても熱い日差しで、法衣を着ている私には有り難いことでありました。
一燈園に入って、感動したのは、なんという清らかで簡素なるたたずまいかということでした。
相大二郎先生が、暑い中を門までお迎えくださったのには恐縮しました。
控え室では、一燈園の創始者である西田天香先生の御孫である西田多戈止先生にご挨拶させていただきました。
一燈園では、代表者のことを当番と呼んでいます。
西田当番は御年九三歳、とてもお元気で、矍鑠としていらっしゃいます。
午後2時から5時まで会にも参加されて、最後にご丁寧なご挨拶をなされました。
会の始まりの前に、一燈園の礼堂にお参りさせてもらいました。
毎朝、ここで読経し瞑想しておられるところです。
西田天香先生は、お若い頃に、南禅寺の毒湛老師に参禅されていたこともあり、礼堂は禅堂の趣がございます。
仏像はなく、祭壇の中央は丸い窓で、そとは杉木立が見えています。
この大自然のお光りを拝むようにできています。
掃除が行き届いていて、床はピカピカに光っています。
この礼堂に入れただけでも感動でありました。
三拝をさせていただきました。
会は、始めに名倉先生が「岡田先生の静坐に出逢えた喜び」と題してお話され、そのあと静坐の実習でありました。
「坐の要領」という簡単な資料を用意してくださっていました。
そこには、
「いつも初めてのように
足は土ふまずをふかくかさねる。
膝は少し開く、握りこぶし二つ位。婦人は一つ。
首は真直に、あごはひく。
両手を組む、眼を閉じる。
まず第一に腰をしっかりたて、第二にみぞおち(上腹)の力を抜く、第三に下腹に力を入れますが、下腹に力を入れることは急がないで、第一第二の条件がととのってから入れて下さい。
吸う息は、決して自分で吸いこもうとしないでも、息ははいってきます。
それをそろそろ出しながら下腹へ力を入れるのです。
そうして次に力を入れるのをよすと、おちていたみぞおちは浮いて、鼻孔から息はスーと肺底まではいって来ます。」
という岡田式静坐法の要領が簡潔にまとめられていました。
名倉先生は二十二、三歳の頃にお父様を急に亡くされて、そこから道を求めて岡田式静坐に出逢われたのでした。
その岡田式静坐法に出逢えた喜びを、感動をもって語ってくれていました。
会場には金子大栄先生の書が掲げられていました。
これも名倉先生がご用意してくださったものでした。
そこには、
「長寿を望ます
無病を期せず
ただ
姿勢を正しくする」
と書かれていました。
金子大栄先生九十六歳の書でありました。
この言葉にも私は感動しました。
まさに静坐の姿勢を示して下さっています。
短い時間でしたが、静坐の時間は有り難いものでありました。
池田先生は、ティック・ナット・ハン師の教えを分りやすく簡潔に説いてくださっていました。
サンガを作ること、五つのマインドフルネストレーニング、そして懺悔、新しい生まれ変わりについてお話下さいました。
五つのマインドフルネストレーニングについては以前にも紹介したことがあります。
第一の不殺生は、「いのちを敬う」です。
それから不偸盗は「真の幸福」です。
それから不邪淫は、「真実の愛」です。
そして不妄語は、「愛をこめて話し、深く聴く」です。
最後に不飲酒は、「心と体の健康と癒し」です。
池田先生には、五月に山梨で行われたプラムヴィレッジの研修会にもご参加されていたそうなのです。
私はその会にも招かれていたのですが、気づきませんでした。
素晴らしい先生でいらっしゃいました。
そのあと、私が、主催者の大野先生からの御依頼で「日本の臨済禅の現状と今後。静坐・立腰などとの出会いを含めて」と題してお話させてもらいました。
そのあと三人で語り合い、会場の皆さんからの質問に答えました。
会には、僧侶の方のお姿も数名見られました。
いつもお世話になっている佐々木奘堂さんもご参加されていました。
また岡田式静坐法を長年続けておられる方々もいらっしゃいました。
それから毎月『虹天』を送ってくださっている、虹天塾の北村遥明先生もお越しくださっていました。
とても充実した会でありました。
終わった後に、山科駅に近くで懇親会が行われました。
イタリアンのお店で、法衣の私にはためらわれたのですが、せっかくの機会なので、参加しました。
そうしますと、驚いたことに西田当番がお見えになっていたのでした。
九十三歳でとてもお元気で、三時間の会にもすべて参加し、ご丁寧なご挨拶もなさり、その上イタリアンのお店までご苦労くださっていたのでした。
まさに下坐奉仕のお姿であります。
私は隣に坐っていろいろのお話を聞かせてもらいました。
西田天香先生の御孫さんと、ご一緒にイタリアンのお店でバスタをいただくとは思ってもみないことで感激しました。
一燈園の中のことは、相大二郎先生がご説明くださいました。
もっとも印象に残っているのは、相先生の資料にあった、
「腰掛けた途端に一燈園は潰れたと思え」の一言でした。
これはどういう意味ですかと、相先生に伺うと、
一燈園を自分の住いだと思って安住したらダメだという意味でありました。
毎年一燈園では、総路頭といって、一燈園で暮らしている者は皆、持鉢だけをもって一燈園から出てゆくことになっています。
一燈園の仕事と財物のすべては仮にお預かりしているものなのです。
そうして所有しているものを預けて、皆無一物となって出てゆくのです。
出て行って近くの神社で掃除をなさるのです。
そこに一燈園から迎えに来てくれてはじめて一燈園に戻るのです。
無所有であり、許されて生きていることを見直すのであります。
これを西田天香先生の時以来ずっと続けて来ているのです。
相先生は、「大芝居ですよ」と言って笑っておられましたが、深い実践行であります。
私など、ただいま円覚寺派の管長という職にあって、寺のさまざまな問題にも関わるのですが、そのほとんどは寺を自分の所有のように思ってしまっていることが原因になっているように感じます。
この無所有であり、仮の住いであり、許されて生きているのだという自覚が大切だと学ぶことが出来ました。
ともあれ、長年憧れの一燈園という聖地に行くことができ、西田天香先生の御孫さんと親しく話が出来、岡田式静坐法の名倉先生、ティック・ナット・ハン師の翻訳者である池田先生、そしてこのような会を催してくださった大野先生にめぐりあえて有り難い感動の一日でありました。
横田南嶺