白隠禅師のお慈悲
朝比奈宗源老師の『佛心』や『人はみな仏である』などもそのうちであります。
この度更に、伊豆山格堂先生の『白隠禅師 夜船閑話 延命十句観音経霊験記』が復刊されました。
この本のオビも書かせていただきました。
オビには、まず「古典的名著の現代語訳 待望の復刊!」とありますように、白隠禅師の著であり、古典的名著といってもいい本を伊豆山先生が分りやすく現代語訳されたものです。
その下に私の言葉が記されています。
「『夜船閑話』も『延命十句観音経霊験記』も共に白隠禅師の深いお慈悲の現われです。このたび伊豆山先生のご労作が復刊されることを喜んでいます」と書いています。
伊豆山先生というのは、どういう方かというと、本の著者略歴には、
「明治31年、東京生まれ。
東大社会学科卒。 姫路高等学校 水戸高等学校 茨城大学各教授歴任。
茨城大学名誉教授。
大正6年、心学参前舎主早野柏蔭老居士 (今北洪川の法嗣川尻宝岑居士の後継者)に入門参禅。
岐阜県伊深正眼寺小南惟精老師、埼玉野火止平林寺白水敬山老師に歴参。
昭和39年、 参前舎主を依嘱され、参前舎 (在家禅道場) 顧問となる。
雄山閣 『講座心学』に「心学と禅」 創元社 『茶道全集』 に 「禅と茶」 「墨蹟」、 角川書店 『現代禅講座』 に 「茶の精神と禅」執筆。
春秋社 『鈴木大拙禅選集』の「禅の思想」 「今北洪川」 の解説担当。
平成元年、遷化。」
と書かれています。
茨城大学の教授であり、長く参禅された方であります。
『夜船閑話』は、椎名由紀先生と私の共著『ZEN呼吸』にも、伊豆山先生の現代語訳のみを載せてもらっています。
『夜船閑話』という書物は、『広辞苑』にも載っているほどよく知られたものです。
『広辞苑』には、「仮名法語。白隠の著。1巻。1757年(宝暦7)刊。
過度の禅修行による病いの治療法として、身心を安楽にする観法を説いたもの。」
と解説されています。
『延命十句観音経霊験記』は宝暦9年(1759)、白隠禅師七五歳の著であります。
これは白隠禅師が「延命十句観音経」を繰り返し唱えることによって、病気が治ったり、災難を免れたりという、様々な霊験の物語を書かれたものです。
私がよく朗読していたのが、お床さんの物語であります。
伊豆山先生の現代語訳を朗読してみましょう。
「五、六年前、口伊豆(伊豆の国の起点) 何村何某の娘、その名はお床、年の頃十四、五歳、容貌風采麗しく人柄気立ても誠に比類がありませんでしたので、見る人ごとに愛着の念が深く起りました。
両親は共に情深い人々で常に乞食非人を憐み、原町松蔭寺(白隠の寺)の修行僧を見ては呼び入れてお斎を食べさせ、暮になれば投宿もさせ、物事すべて慎しみ深く愛情に溢れておりました。
ところが宝暦三年 己酉(つちのととり)の春、娘お床がフト患い出し百薬効無く四、五日で亡くなりました。
親疎を問わず人々病人を囲んで並び、声を限りに泣いている所へ修行僧一両人現われ、この体を見て大いに驚き、急いで家に入り、「皆さん、そんなに悲しんでも何の役にも立ちません。
泣く代りに病人を囲んで『十句経』をよみなさい。
命が無いものなら来世のためですし、命があるなら生きかえることもありましょう」と言って、袈裟袋から引磬(柄のついた小さい鐘)を取り出し打ち鳴らして、声高々と『十句経』をよみ始めました。
すると皆の者は、実にもっとものことだと病人の前後を囲み同音に「十句経』をよみ、戸や羽目板もゆるぐばかりでした。
もはや線香二、三本くらいの間よんだろうと思われる時に、「お母さんどこですか。御案じなさいますな。もう私は死にやしません」という声がしましたので、人々驚き、「誰だ。今の声はお床じゃないか」と言いますと、「そうです。私じゃわいのう。今、原の和尚様お出でなされ結構なお薬を下された故、もう気分はすっかりいいぞえ。湯づけを食べよう」と言いましたので、人々悦び騒ぎ立ち、泣き出すもあり笑うもあり、埒も無い混乱状態の中で、さきの両人の修行僧はわき目もふらず『十句経』を声を張り上げてよみますので、心ある者どもは感じ入って申しますには、「実にもっともだ、道理だ。事切れ果てたお床が再び蘇生することは皆このお経の霊験だ。
枯木に花が咲いたと言おうか。
去って跡なき合浦の珠が再び戻って来たと言おうか。
ともかく有り難いのはこの経の功徳である。
仏神へのお礼もあり、さあ、よもう。 もっとものことだ」と皆立ち戻り居直って同声によみましたので、
お床も次第に達者になり、声張り上げて余念なく高らかに続いて経をよみましたので、人々手を合わせ、七宝にも万宝にも勝って貴いのはこの経だと感じあいました。
信あれば霊験ありです。とにかくかの人々の心の内は嬉しさで一杯だったという外はありませんでした。」
というものです。
こんな霊験がいくつも載せられています。
いかにも現世利益的でありますが、白隠禅師は、この書物の最後に真意を記されています。
それを伊豆山先生は、次のように説かれています。
「十句経読誦のさまざまの霊験を述べて来たのも、実は坐禅をして悟りを開くための誘い水だったのである。
十句経を熱心によめば霊験もあることだが、そんなことよりも十句経をよみ、且つ坐禅をして悟りのまなこを開く方がもっと人間にとって大切なのだと言うのである。
霊験などよりも悟りのために十句経を唱えよ、坐禅の姿勢で。
法然は念仏を、日蓮は題目を人に勧めたが、自分は十句経をよむことを勧める。
禅宗には他の宗旨のように唱える文句が無いが、自分は念仏の代わりに十句経を勧める。
念仏に比べれば長いが、観音経よりはずっと短い。
十句経を唱えて観音を念ずるのだが、実はその正体は己れ自身なのだ。
小さい己れでなく、無我にして大我の大きな我れにお目にかかるのだ、という白隠の慈悲心である。」
と説かれている通りなのであります。
かくして『夜船閑話』も『延命十句観音経霊験記』もまた白隠禅師の深いお慈悲の現われなのであります。
この伊豆山先生の本には延命十句観音経の丁寧な解説もあって、私が春秋社から『祈りの延命十句観音経』を出した時にも参考にさせてもらったものです。
今再び刊行されたことを喜んでいます。
皆様にもお勧めします。
横田南嶺