めぐりあいの不思議
例年、お墓参りに上京しています。
今年もお墓にお参りして、更に龍源寺にもお参りさせていただきました。
思えば、私がまだ中学生の頃、NHKのラジオ宗教の時間で、月に一度一年間、松原先生が法句経の講義をなされました。
それがとても分りやすく、そしてお話も聞き取りやすくて、一年間、毎回カセットテープに録音しては繰り返し聴いて勉強させてもらいました。
一年の講義が終わって、三月ちょうど上京する機会がありましたので、手紙を書いて松原先生にお目にかかったのでした。
今からもう四十数年前のことであります。
当時の松原先生は七三歳でいらっしゃいました。
それから実に三十年近くにわたってお世話になってまいりました。
当時和歌山の田舎から出てきた私のことを松原先生は、「紀州から来た」「玄峰老師の田舎から来てくれた」といって大事にしてくれました。
松原先生のお導きのおかげで今日の私があります。
関東の大学に進学して挨拶に参りますと、大学の保証人にもなって下さいました。
そして「坐禅するなら白山道場の小池心叟老師のところへ行きなさい」と指示して下さいました。
なぜ、松原先生が見ず知らずの田舎の私を大事にして下さったのか、それはひとえに玄峰老師の故郷から来たからだということでした。
松原先生は、晩年に到るまで「自分が今日あるのは玄峰老師のおかげだ」とよく仰っていました。
松原先生の著『わたしの航跡』には玄峰老師について次のように書かれています。
「玄峰老師がご存命だったころも、禅では修行が主であって、布教ということを実際にはあまり高く評価していなかったのは事実です。
坐禅が専門なわけですから、説法はむしろ邪道のようにとらえられ、「説教坊主」と軽蔑すらされておりました。
けれども、私の話を聞かれた玄峰老師は、どこか感じてくださるところがあったのでしょうか。
「わしの話は聞かなくてもいいから、松原の話をよく聞け」と、おっしゃってご自分の提唱時間を短くして私にくださいました。」
というのであります。
とりわけ次の話は、私も直接松原先生からおうかがいしたのですが、忘れがたいお話であります。
こちらも『わたしの航跡』から引用させてもらいます。
「その時分では珍しい大きなホールで、八百人収容できるということでしたが、玄峰老師と私の講演会の当日、なんと台風がやって来てしまい、集まった人数はたったの六人でした。
玄峰老師は目を患っていらしたので、お気づきにならなかったようです。
いつものように「後は松原の話を聞け」とばかり、わずかばかりの時間でお話を終えられました。
残り一時間半。私が講演を終えると、老師が声をかけてくださいました。
「ごくろうさんじゃった。今、待者に聞いたら聴衆は六人だったそうだな」
「はい」
「松原、お前は何百人でも六人でも、ちゃんと同じように心を込めて話す。よくやったな」
その言葉に、私もまだ若かったから得意になって、
「はい、一人でもおりましたら話します」
と申し上げました。
すると間髪入れずに、
「その一人がいなかったらどうする」
「人が一人もいなかったらやめます…」と答えるや、
「ばかもん!」と。
わしらが坐禅するとき、人がいなかったら坐禅をやめるか。
人のために坐禅するんじゃなかろう、自分のための坐禅じゃ。
お念仏称える人が、人が一人もいないからって念仏やめるか。
お題目唱える人が、人がいなかったらやめるか。
お前は人のためじゃない、自分のために法を説け。
誰も聞いてないと思うか?
壁も柱も皆聞いてるのが分からんのか!」
これには応えました。 」
という話なのであります。
更に松原先生は、
「老師の言葉を聞き、振り返ってみるとふと思いあたることがあります。
戦争中、講演会場がなくて、学校や寄席や映画館や銭湯などで講演をさせられました。
学校ならまだしも、銭湯のあの番台の上に座って話すのは、少々雰囲気に欠けるものでした。
やはり銭湯は銭湯の、演劇場は演劇場の役割を持っているわけで、長い間その役割を担ってきたことで、その場にも魂が宿るものなのでしょう。
場違いなことをして場の雰囲気になじまないのは、いたしかたないことなのかもしれません。
しかるにお寺に行きますと、仏さまのお話をしようという気分にこちらもなるということは、何十年となく壁も柱も説法を聴聞しているからなのでしょう。
壁も柱も本当に聞いているのです。
ですから、私は人がいてもいなくても、今はまったく苦になりません。
講演会の主催者の方にも、無理に人を集めてくださるな、と言っているのですが、どうやらそうもいかないようです。
けれども老師のひと言は、布教をする上で非常に大きな心構えとなりました。」
と書かれています。
お風呂屋の番台で話をさせられたということも、直接うかがったものです。
この頃は、私如き者の話でも満席になることが多いのですが、こういう気持ちを忘れてはならないと毎年お墓にお参りするたびに思うのであります。
坂村真民先生の詩に「めぐりあい」というのがあります。
めぐりあい
1
人生は深い縁(えにし)の
不思議な出会いだ
2
世尊の説かれた
輪廻の不思議
その不思議が
今の私を
生かしてゆく
3
大いなる一人のひととのめぐりあいが
わたしをすっかり変えてしまった
暗いものが明るいものとなり
信ぜられなかったものが
信ぜられるようになり
何もかもがわたしに呼びかけ
わたしとつながりを持つ
親しい存在となった
…
詩は、そのあとまだ続くのですが、しみじみ松原泰道先生とのめぐりあい。そのご縁の不思議、有り難いことを思うのであります。
横田南嶺