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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.08.01
今日の言葉

禅の尼僧 – 季刊『禅文化』269号 –

禅文化研究所発行の季刊誌『禅文化』269号は、特集「無外如大生誕800年 禅の尼僧」というものです。

無外如大という方は、一二二三年にお生まれになり、一二九八年にお亡くなりになっています。

京都にある真如寺の前身である正脈庵を創建された方であります。

また円覚寺の開山仏光国師から印可を受けられた尼僧でもいらっしゃいます。

どんな方なのか『禅学大辞典』で調べてみると、

「臨済宗佛光派。号は無外、別号無着。

城陸奥守(じょうのむつのかみ)泰盛の女。

初名千代野。

金沢文庫の創設者北条実時に嫁いだが、(一説に北条顯時)、建治二年(一二七六)実時の死後、美濃(岐阜県) 松見寺で出家し、子元祖元の門に入り、次いで東福寺円爾に師事し、子元の法を嗣ぎ、女人嗣法の最初となった。

のち京都尼寺五山の一、景愛寺の開山となり、また北に正脈庵を開き子元の塔頭とした。

永仁六年一一月二八日示寂。世寿七六。

康永元年(一三四二) 高師直・師泰は、景愛寺と正脈庵を合し増構宏規して、子元祖元を開山とし、夢窓疎石を住持に迎え、額を万年山真如寺と改めた。」

と書かれています。

近年の研究によって、この「無着」は別人だと分かってきています。

どうも複数の人物の伝記が混在しているようであります。

如大尼には、悟りを開いた時の話が伝わっています。

満月の夜に井戸から木桶に水を汲み、その桶の底が抜けたと同時に悟りを得て一句を読んだのでした。

『禅文化』誌にある江上正道師の文章には、

とやかくとたくみし桶の底ぬけて 水たまらねば月もやどらじ

という和歌が記されています。

白隠禅師も千代野の画を残されています。

女性が水を汲んだ桶の底が抜けた絵に、

千代のふがたくみし桶の底ぬけて みづたまらねば月もやどらず

と書かれています。

この井戸は、鎌倉の海蔵寺の門前にあります。

私はこの鎌倉の井戸しか存じ上げませんでしたが、今回禅文化の特集で、巻頭に真如寺の江上正道和尚が書かれた「偉大なる禅尼 無外如大~生誕八〇〇年によせて~」によると、如大尼が住持となった景愛寺の旧境内地付近にあるとされる法華宗総本山の本隆寺境内の「千代の井」や、如大尼を開山とし修行地の一つとも伝わる美濃の松見寺の「悟りの池」があるそうなのです。

仏光国師の語録『佛光録』巻九には、如大尼のことが書かれています。

如大尼が、公案の修行をして応分の所得があったけれども、それを証明する人がいなくて、自分の得た心境を手紙で仏光国師に送ってきたのでありました。

国師は、黄龍の三関の公案で答えました。

更にまた如大尼は、その三つの問いに三転語をもって答えてきました。

その答えが国師の意にかなうものだったので、法衣を与えて証明したということなのであります。

『佛光録』巻八には如大尼に与えたと思われる号頌も記されています。

そもそも考えてみますと、仏教は、その始まりから、男女平等とは言い難いものでありました。

もともと古代インド社会における女性の地位は低かったと言われます。

そんな時代に仏教が生まれたのでした。

ブッダが、女性の出家を容易に認めなかったことはよく知られています。

仏教の歴史の中で最初に出家した女性は、マハーパジャーパティー・ゴータミーであります。

彼女は、ブッダの母マーヤー夫人の妹であり、ブッダを養育された方であります。

そんな女性が出家を願ってもブッダは許されませんでした。

三度お願いしましたが、三度とも断られています。

そこでブッダの侍者を務めるアーナンダからブッダにお願いしてもらったのですが、これもまた三度願いながらも三度断られてしまいました

アーナンダは、ブッダに女性は阿羅漢の地位を実現することはできないのでしょうかと問いました。

ブッダの教えは万人に通用するものであるから、この問いには、ブッダも肯定的に答えました。

その答えを聞いてアーナンダは、女性も阿羅漢果を得られるのであれば、出家を許されても然るべきではと言って、ブッダを説得したのでした

しかし、ブッダは女性の出家には、いくつかの条件を必要とされました。

仏教教団はその最初期から、男女平等とは言い難い状況でありました。

しかし、禅門において、古く唐代には、すぐれた尼僧が語録の中に登場しています。

尼僧ではないが、婆子と呼ばれる女性が、禅僧と互角の問答をしています。

時には稀代の禅僧も婆子にやり込められている例も見受けられるのです。

禅では「見性成仏」を説いているので、その「本性」には男性と女性の差別はないのであります。

その「本性」さえ明らかにしたならば、全く男性も女性も同等なのが禅宗です。

宋代になると、臨済の禅は、看話禅となって発展してきました。

古人の話頭を公案として看ることによって、自らの「本性」を明らかにするのです。

大慧宗杲禅師に最初に嗣法したのが、尼僧であると言われています。

大慧禅師のもとには士大夫や女性も参禅して嗣法を許されています。

日本の道元禅師も女人禁制には厳しい意見を持っておられました。

「日本国にひとつのわらいごとあり」と女人禁制の寺を批判されています。

無外如大尼は、円覚寺の開山仏光国師に嗣法されたのであります。

今回の禅文化には、如大尼をはじめさまざまな尼僧さんのことが紹介されています。

また現代に生きる尼僧として、不徹寺の松山照紀さんの記事もとても興味深いものです。

他にも連載として方広寺派管長の安永祖堂老師の誌上提唱『碧巌録』はとても分りやすく説いてくださっていますし、大乗寺の河野徹山老師の誌上提唱『大道真源禅師小参』は微に入り細に入り丁寧に講説してくださっています。

広くおすすめする内容であります。

 
横田南嶺

禅の尼僧 – 季刊『禅文化』269号 –

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