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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.07.30
今日の言葉

相手の身になる

先日は、京都の花園大学に行って、今期最後の授業を行ってきました。

今年は、臨済録に学ぶと題して講義をしています。

今回が第三回目であります。

今回は、上堂という臨済禅師のお説法について講義をしました。

前回では、臨済禅師が生きた時代というのはどういうものであったか、臨済禅師という方は、どのようにして道を求めてきたのかについて話をしたのでした。

臨済禅師の活躍された時代は、唐の時代でも終わり頃であり、会昌の破仏という仏教の大弾圧もあった頃でした。

小川隆先生の『臨済録 禅の語録のことばと思想』の九六ページに、

「寺院が破壊され、経典・仏像・僧衣などがことごとく火に投じられ、多くの僧侶が強制的に還俗させられた。」

と書かれている時代だったのです。

そうした容赦のない破仏の嵐が中国全土に吹き荒れたのですが、鎮州成徳軍節度使をはじめとする四つの藩鎮だけが中央の命にしたがわなかったのでした。

小川先生の著書には、

「あまつさえ破仏の徹底を促す勅使に対して、「破仏を行いたければ、天子おん自ら出向いて来られるがよろしかろう」、そうニベもなく突っぱねたというのである。

臨済が禅者として一家を成した鎮州は、正にそうした武人政権下の地であった。」
と書かれています。

そんな鎮州成徳軍節度使を世襲した王氏一族のひとり、「府主王常侍」の依頼によって、臨済禅師は説法をされたのでした。

元来一法も説くべきでないところを、「曲げて人情に順って」お説法の座に登られたのでした。

説くべきでないところに、禅の教えがあります。

言葉で説くものには限界があります。

言葉では言い表せないものがあります。

たとえば、大学の講義でも、暑い中を大勢の方が集まってくれています。

言葉で表されるものだけでいいのなら、この私の講義は、花園大学公開講座というYouTubeチャンネルで、公開されるのです。

涼しい部屋で見ていれば、文字による情報は十分に伝わります。

しかし、多くの方が足を運ばれるのは、この場の雰囲気、私と同じ空気を吸うこと、同じ空間にいること、声の響きを身体で感じることなど、言葉では言い尽くせないものがたくさんあるのです。

禅の本質は、この言葉にならないところにこそあるとも言えましょう。

今回は、上堂の一番はじめの一節と、臨済禅師のお説法としては最もよく知られている、「無位の真人」について、それから麻谷禅師との問答を紹介しました。

麻谷禅師との問答を、岩波文庫『臨済録』の二〇ページにあります、入矢義高先生の現代語訳を参照しましょう。

今回の講義でも、この現代語訳を用いました。

学生さんたちも、仏教学を専門になさる方よりも一般の学生の方が多いからであります。

「ある日、師は河北府へ行った。

そこで知事の王常侍が説法を請うた。

師が演壇に登ると、麻谷が進み出て問うた、「千手千眼の観音菩薩の眼は、一体どれが正面の眼ですか。」

師「千手千眼の観音菩薩の眼は一体どれが正面の眼か、さあ、すぐ言ってみよ。」

すると麻谷は師を演壇から引きずり下ろし、麻谷が代わって坐った。

師はその前に進み出て、「ご機嫌よろしゅう」と挨拶した。

麻谷はもたついた。師は麻谷を演壇から引きずり下ろし、自分が代わって坐った。

すると麻谷はさっと出て行った。そこで師はさっと座を下りた。」

という問答です。

この麻谷禅師は、馬祖のお弟子の麻谷宝徹禅師のことではなく、その麻谷山に住した第二世であろうとされています。

麻谷禅師が質問をして、その質問をそのまま臨済禅師がなされて、麻谷禅師が臨済禅師を説法の座から引きずり降ろし、麻谷禅師が説法の座に坐る。

下座の臨済禅師が麻谷禅師に「ごきげんよう」と挨拶をしました。

麻谷禅師が何か言おうとすると、今度は臨済禅師が麻谷禅師を説法の座から引きずり降ろして、また自分が説法の座に坐りました。

麻谷禅師はさっと出て行き、臨済禅師もさっと座を降りたのでした。

不思議な問答です。

山田無文老師の『臨済録』(禅文化研究所)には、

「こういう上堂である。

実に見上げた達人と達人との、名優と名優との踊りを見ているようなもんだ。

実に立派な上堂である。

古人は、この上堂が臨済録の眼目だ、この上堂が分からんと臨済録は分からん、と言うておる。

臨済といい麻谷といい、実に優れた力量を持って遊戯三昧だ。

自由自在の働きをしておる。

賓主互換、ある時は主となり、ある時は賓となり、お互いに相手の境地にいつでもなり得る。こういう境地が分からんというと、臨済録は分からん。」

と提唱されています。

更に「社会も世界もそうだ。

いつでも相手の立場になってやれる境界がないというと、円滑にはいかん。

自分の立場ばかり固執しておるようでは、世の中、円満にはいかん。

いつでも相手の立場に代わってやれる。

社長はいつでも社員の立場になれる。

社員はいつでも社長の立場になれる。

主人はいつでも奥さんの立場になれる。

奥さんはいつでも主人の立場がよう分かる。

そうお互いが理解できれば、社会生活は円満に行くのである。」

と説かれています。

お説法を聞く側が、時にはお説法する側になってみたり、お説法をする側が、時に聞く側になってみたり、それぞれ自由に相手の身になってみるのであります。

無文老師の『臨済録』には、

「天龍寺の説教師がよう言うておった。

説教に行ったら、婆さんが前におって、一生懸命居眠りしよるから、

「婆さん、婆さん、わしが一生懸命しゃべっておるのに、おまえさん居眠りばかりしておるが、話というものはそう生易しいものではないぞ。一ぺん話す身になってみなされ」

こう言うたら、婆さんが、

「説教師さん、そう言いなさるけど、一ぺん下に降りて聞いて見なはれ。あんたの話なぞまともに聞いておれますかいな」

と言いよったということじゃ。」

と書かれています。

授業の終わりにこの話を紹介して、私も皆さんの身になってみると、もうそろそろお昼なので終わりにならないかなと思っていることと察しますと言って、授業を終えました。

授業は二時限目でお昼に授業が終わるのであります。

相手の身になるというのは、なかなか難しいものであります。

この講義も花園大学公開講座YouTubeチャンネルで公開されます。

 
横田南嶺

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