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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.07.14
今日の言葉

魔を退ける心の調え方

『天台小止観』には、丁寧に心の調え方が説かれています。

坐禅が終わった時の用心の方法についても説かれています。

それは、我々が読む『坐禅儀』にも、

「もしも禅定を出ようと思うときは、ゆるやかに身体を動かし、注意深く立ち上がることだ。

決して軽率粗暴であってはならない。禅定を出てからも、一日中いつも臨機の方法を工夫し、禅定力を保持して、ちょうど赤ん坊を育てるようにせよ。

そうすれば、禅定力は容易に完成できよう。」

と説かれています。

松居桃樓先生の『死に勝つまでの三十日 小止観物語』には、次のように丁寧に説かれています。

「気分をらくにして、練習を終わるための心の準備をはじめること。

次に、口を開いて息を吐き出し、空気が全身から思う存分に飛び出して行くと考える。

それから、そっと全身を揺り動かし、次に肩や腰や手や首を動かし、さらに両足を動かして、全身をやわらかにし、さて、その後に、両手で、全身の毛孔をよくこすり、それから手をこすりあわせてあたためてから、両方の眼をおさえ、しばらくしてから眼を開く。

やがて、体の変動によって起こった全身の熱や汗のおさまるのを待ってから、「もうこれでいい」という気持になりおえたら、ゆっくり立ちあがって、その場を去ること。

こうしないで、あわただしく立ちあがったりなどすると、練習の結果、折角、今まで外界のいかなる変化にも動揺しない状態にあった心が、急にはげしく外界のことを感じさせられるために、(熟睡していた人が突然おこされたような状態になって) まるで肺病を患っている人のように、頭が痛くなったり、全身の節ぶしがつっぱったりする。

そのうえ、あとあとまでも胸がせつなく、心が乱れて、感情がしずまらない。だから、練習を終わる時は、いつも、よくよくの注意が必要。」

というものであります。

坐禅が終わっても慎重にして日常の動作に戻ってゆかなければならないということです。

もっとも『論語』に、
「君子は終食の間も仁に違うことなし。造次にも必ずここに於いてし、顚沛(てんぱい)にも必ずここに於いてす。」

という言葉があります。

これは、「君子は食事をとるあいだも仁から離れることがない。急変のときもきっとそこにおり、ひっくりかえったときでもきっとそこにいる。」という意味です。

岩波文庫の『論語』から金谷治先生の現代語訳です。

どんなとっさの時にもはたらくことができないとならないのでありますが、そうなる為にも普段から慎重に行動することが大切であります。

あまり坐禅がなれないうちから、とっさにパッと動いていると、坐っている時と、動いている時とがふたつ別物になってしまいがちなのです。

それから、坐禅中の用心の仕方にも、天台小止観には、

「気持が沈む時には、修行をはげむ気力がなくなり、何となくぼんやりして、とかく首をうなだれがち。

そういう時には、鼻のさきに注意を集中していると、沈みがちの気持も、だんだんに明るくなってくる。

気持が浮きうきする時には、修行中でも心が動揺して、体もおちつかず、感情がしずまるどころか、それからそれへと、いろいろのことを考え続ける。

そういう時には、注意力を腹の底に集めて、ヘソのあたりでものを考えるようにして、おさえつける。

こうすれば、心もどっしりとして、しずまりやすい。

要するに、心の調節法は、「気持が沈んだり、浮きうきせぬこと」の一語につきる。」

と松居先生は意訳されています。

我々の修行を妨げるものを魔と言いますが、これは四つあります。

そのうちの三つは、内面の魔であり、四番目の天子魔というのがやっかいなものでもあります。

これについても松居先生は、次のように説かれています。

松居先生は、「止観」ということを、「感情を波立たせないこと」と「思考力を正しくはたらかせること」と解釈されています。

そこから、更に松居先生は、

「人間にとっての一番大切なことは、「感情を波立たせないこと」と「思考力を正しくはたらかせること」ーつまり止と観という二つの機能を正確に操作することに尽きる」

と説いてくださっています。

悪魔という修行を妨げるものに対する心構えも説かれています。

こちらは、『微笑む禅』から松居先生の言葉を引用しましょう。

『この悪魔め!

私はお前の料簡を、ちゃんと見抜いているぞ!

お前は今、私が止観の練習にはげんでいるのをそねんで、これまでの長い間の修行を、まったくフイにさせようと思って、やって来たんだろう。

だが、私は、現在、いつでも、どこでも、なにものにも、ほほえむことができる人間になるために、必死になって修行している最中なんだ。

だから私は、お前のような悪魔のおどかしなんか、少しもこわいとは思わないぞ』

そのうえで、心の中で徹頭徹尾『どんなことがあっても、ほほえめなくなるようなタネは絶対に播くまい』と、くり返しくり返し唱えてごらんなさい。

しまいには悪魔も恐縮して、平身低頭して引きさがるにきまっている――と、言っています。

まあ、要するに、現在、あなたの前に現われて、あなたの感情を波だたせようとしている人が、仮りにあなたのご主人だろうが、奥さんだろうが、子どもだろうが、親だろうが、近所の人だろうが、上役や同僚や部下や使用人や、あるいは、まったく見も知らぬ人びとだろうが、とにかくあなたを悩ませるような態度をとっている時には、それはその人がそう言ったりしたりしているのではなくて、今、自分の修行を妨げるために、悪魔が化けて現われているんだ、と思ってごらんなさい。不思議なほど、気がらくになりますよ――と、言っているんです。」

というものです。

姿勢を調え、呼吸をゆったり深くして、凛然たる気迫をもっていかなる魔も寄せ付けぬという気概が必要であります。

 
横田南嶺

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