大悲ということ
法相宗の系統であります。
五性各別というのは、岩波書店の『仏教辞典』によれば、
「衆生が先天的に具えている宗教的人格の素質(性)を五種に分かち、それは決定的に確定しているとする説。
一)声聞定性(しょうもんじょうしょう)、
二)独覚(どっかく)定性、
三)菩薩(ぼさつ)定性、
四)不定性(ふじょうしょう)、
五)無種性(むしゅしょう)(無性)の五つをいう」のであります。
声聞というのは、「サンスクリット語は、教えを聴聞する者の意」で、「出家の修行僧だけを意味し、阿羅漢(あらかん)を目指した」ものです。
独覚は、「師なくして独自にさとりを開いた人をいい、仏教のみならずジャイナ教でもこの名称を用いる。
十二因縁を観じて理法をさとり、あるいはさまざまな外縁によってさとるゆえに<縁覚>という」のであります。
菩薩は、大乗仏教で悟りを求める者を言います。
四番目の不定性はそれが決まっていなく変更がゆるされるもの、
問題は第五番の無種性で、これは悟りを得ることのできないものを言います。
これは「一闡提」ともいいます。
大悲をもって衆生を済度するため涅槃に入らないとして「大悲闡提」ともよばれたものもあります。
大悲闡提ということを考えると、ふと一燈園の三上和志さんの話を思い出しました。
神渡良平先生の著書『下坐に生きる』の冒頭にある話です。
一燈園の西田天香さんの高弟に三上和志さんという方がいらっしゃいました。
ある日三上さんは病院に招かれて講話に行きました。
入院中の患者さんたちや職員などに話をされました。
院長室に戻ると、院長がお礼を述べた後に、ある依頼をされました。
それがその病院に少年院から預かった十八歳の結核患者がいるそうです。
不幸な環境で育ったこともあり、暴言を吐き、皆に嫌われているそうです。
しかも開放性の結核なので、一人隔離されて病室にいるとのことです。
せめて二十分でも三十分でも話を聞かせて欲しいというのです。
しかし院長も、その少年はとてもひねくれていて、話を素直に聴いてくれるかどうかわからないといいます。
少年は動けませんので、院長と三上さんは少年の部屋に向かいます。
院長から大きなマスクと白い上着を渡されますが、三上さんは、その少年の気持ちを思って着けずに入りました。
六畳ほどの広さの部屋にベッドがひとつ、コンクリートむき出しの寒々した床に、新聞紙を敷いて尿器や便器が置かれています。
院長が「気分はどうかね」「少しは食べているかい?」と聞いても答えません。
三上さんが、せっかく見舞いに来たんだだから何か言えと言うと、「うるせえ」と大きな声が返ってきました。
二人が諦めて部屋を出ようとした時、その少年と三上さんの目が合いました。
どうしようもない孤独の影が見えました。
三上さんは部屋に戻って覗いてみると、少年の頬を涙が伝っていました。
そこで三上さんは決心しました。
今晩この部屋に泊まって一晩看病しようと決めたのでした。
三上さんは荒れ狂っていた少年をなだめながら、会話をします。
少年は自分が生まれる前に父親が逃げたこと、母親は産後すぐに亡くなったことなどを話し始めました。
三上さんは足でもさすろうと言って、枯れ木のような細い足をさすりました。
一晩中足をさすり続ける三上さんに「おっさんの手は柔らかいなあ」と言います。
「お袋の手のようだ」とも言いました。
そのうちに、晩ご飯に運ばれてきたお粥を食べさせてと頼みます。
生ぬるいお粥に梅干しと沢庵だけです。
幾匙か食べさせてもらって少年は言いました。
「お腹空いたやろ。俺の残り食うてくれ」と。
しかし、結核患者が口にしたもので、それを口にすればうつってしまうでしょう。
「箸もないのに食えるか」というと「おれの匙があるぞ」と言います。
三上さんは、自分の親切心がどこまでのものか見せてくれと言っているように感じました。
三上さんは合掌をして、そのお粥をいただかれるのです。
お粥を食べ終えた三上さんに少年は「おっさん、笑っちゃいかんぞ」といっておいて「あのなー、一度でいいから、お父っつぁんと呼んでいいかい」と言いました。
三上さんは「わしでよかったら、返事をするぞ」と答えます。
神渡先生の本には次のように書かれています。
「しかし、卯一はお父っつぁんと言いかけて、激しく咳き込んだ。
身をよじって苦しんで血痰を吐いた。
三上さんは背中をさすって、介抱しながら、「咳がひどいから止めておけ。興奮しちゃ体によくないよ」と言うのだが、卯一は何とか言おうとする。
すると続けさまに咳をして、死ぬほどに苦しがる。
「なあ、卯一。今日は止めとけ。体に悪いよ」
三上さんは泣いた。それほどまでして、こいつはお父っつぁんと言いたいのか。
悲しい星の下に生まれたんだなあと思うと、後から後から涙が頬を伝った。
苦しい息の下からとぎれとぎれに、とうとう卯一が言った。
「お父っつぁん!」
「おう、ここにいるぞ」
卯一の閉じた瞼から涙がこぼれた。どれほどこの言葉を言いたかったことか。」
と書かれています。
最後に、病院で話をしたことを聞かせて欲しいと頼む少年に、三上さんは、
「誰かの役に立って、ありがとうと言われたら、うれしいと思うだろ。あれだよ、あれ。」「誰かのお役に立てたとき、人はうれしいんだ」と伝えます。
「おれはもうじき死ぬんだよ。命がないんだ。 人の役に立てって言ったって、 いまさら何ができるんだ」という少年に、三上さんは「ここの院長先生やみんなに良くしてもらっているんだから、みんなに感謝してゆくんだよ」と言いました。
一晩過ごして明くる朝、院長室で、お礼の挨拶をしていたところに、院長室のドアが慌ただしくノックされました。
若い医師が息せき切って入ってきました。
少年がたった今息を引き取ったというのです。
三上さんは茫然としました。
当直の若い医師が真面目な顔で切りだしました。
「不思議なことがあったのです。あいつはみんなの嫌われ者で、何か気にいらないことがあると、『殺せ!殺せ!』とわめき立てていました。なのに、一晩でまるで変わってしまいました」というのです。
「今朝、私が診察に入って行くと、いつになくニコッと笑うのです。
おっ、今朝は機嫌がよさそうだなと言い、消毒液を入れ換えて、いざ診察にかかろうとすると、妙に静かです。
卯一! 津田! と呼んでみましたが、反応はありません。
死んでいたのです。
私が入って来たときと同じように、うっすらと微笑さえ浮かべていました。私はあわれに思って、
『お前ほどかわいそうな境遇に育った者はいないよ』
と言いつつ、はだけていた毛布を直そうとしたのです。
すると少年は毛布の下で合掌していたのでした。
三上さんは「卯一、でかしたぞ。よくやった。合掌して死んでいったなんて。お前、すごいなあ。すごいぞ」と語りかけるように言いました。
こんな話なのであります。
この少年は、生涯改心しないままだったかもしれませんが、たった一晩三上さんと過ごしてこころを開いたのでした。
五性各別と言いますが、ご縁に触れれば、誰しも仏心を開花させることができるのではないかと思わせる話です。
しかし、このような大悲闡提のこころを実践できるかというと容易ではありません。
修行すればそうなるのかというと、そうでもない気がします。
特別な修行をしなくても、大悲闡提の心を持った方もいらっしゃいますし、修行しても自分中心の方もいるのが現実であります。
修行と大悲の問題は難しいものであります。
横田南嶺