心、牆壁の如く
外、諸縁を息め、
内心、喘ぐこと無く
心、牆壁の如くにして
以て道に入るべし。
というものです。
達摩大師の画の讃に書かれたりすることもあるものです。
牆壁というのは、かこいの土塀のことです。
心を牆壁のようにするということは、囲いの土塀のようにして何ものも寄せ付けない様子であります。
この前半の句、
外、諸縁を息め、
内心、喘ぐこと無く
を読むと、私は天童如淨禅師の言葉を思い起こします。
祇管に(ひたすらに)坐禅するとき、
五欲を離れ、五蓋を除くなり
という『宝慶記』にある言葉です。
五欲を離れというのが、外の諸縁を息むことであり、
五蓋を除くのが、内心喘ぐこと無しではないかと思うのであります。
喘ぐというのが分りにくいところです。
喘ぐというと『漢和辞典』には、
「はあはあと短い息づかいをする」ことであり、「短い息づかい」です。
「喘息」という熟語もあります。
山本玄峰老師はその著『無門関提唱』の中で、
「魚を取ってきて鉢や桶に入れて飼っておくと、水が温もってきたりすれば、口をあけて、上へ出てきて空気を吸う。
そうしよるうちには、水を替えてやっても死んでしまうようになる。これを喘ぐという。」
と解説されています。
まず、外諸縁を息むとは、五欲を離れることではないかと解釈します。
五欲とは、岩波書店の『仏教辞典』によれば、
「五つの欲望。五根(五つの感覚器官、眼・耳・鼻・舌・身)が、その対象となる<五境>(色・声・香・味・触)に執着して起こす五種の欲望で、色欲・声欲・香欲・味欲・触欲をいう。
また、五境そのものをも、欲望をひき起こす原因となるので五欲という。
また別に、財欲・色欲・飲食欲・名欲(名誉欲)・睡眠欲をいうこともある。」
と解説されています。
色=目を刺激するものから離れること。
声=耳を刺激するような音から離れること。
香=鼻を刺激するような香りから離れること。
味=味覚を刺激するようなものから離れること。
触=身体に触れる快感や不快な思いから離れること。
の五つです。
神道に身中祓詞というのがあります。
目に諸の不浄を見て、心に諸の不浄を見ず
耳に諸の不浄を聞きて、心に諸の不浄を聞かず
鼻に諸の不浄を嗅ぎて、心に諸の不浄を嗅がず
口に諸の不浄を言いて、心に諸の不浄を言わず
身に諸の不浄を触れて、心に諸の不浄を触れず
意に諸の不浄を思ひて、心に諸の不浄を想はず
というものです。
これは六根の六つですが、このうちに五つの感覚器官を刺激するものから離れること、もしくは、触れても心動かされないことであります。
五蓋は、
「五種類の心をおおう煩悩のことで、<蓋>は、おおうもの、障害の意。
1)貪欲(欲貪とも)、
2)瞋恚(怒り)、
3)惛眠(こんめん)(身心が重苦しい状態の惛沈(こんじん)と心の眠気や萎縮をさす睡眠(すいめん)、
4)掉悔(じょうけ)(心のざわつきの掉挙(じょうこ)と心を悩ます後悔、
5)疑(ぎ)(疑いやためらい)、の五種の障害をいう。」
の五つであります。
外からの刺激を離れても内心から湧いてくる煩悩があるものです。
欲望や怒りもそうなのです。
惛沈睡眠といって、心が沈んで眠気が襲ってきて怠惰になってしまうことがあります。
逆に心がそわそわして落ち着かなくなってしまったり、過去のことを悔やんだりしてしまいます。
それに師匠や、仏さま、或いは自分自身への疑いが湧いてきたりします。
こういう五蓋にさいなまされることが「喘ぐ」ことではないかというのが私の察するところです。
そうして心を牆壁の如くにするとは、五事を調えることであります。
調食=適度な食事をとること
調眠=適度な睡眠をとること
調身=身体を調えること
調息=呼吸を調えること
調心=心を調えること
の五つです。
後半の調身、調息、調心は、よく坐禅の時に説明されるものです。
その前提となる、食事や睡眠も大切なのであります。
この五つをしっかり調えたならば、心は牆壁のようになにものにも脅かされることはなくなります。
そうして仏道に入ることは、「行五法」だと思います。
欲=仏道を願い求める事
精進=努力をすること
念=悟りを得ることを念じ続けること
巧慧=巧みに智慧をはたらかせること
一心=心を一つにして専念すること
の五つです。
仏教では欲を離れよと説きます。
離れるべき欲とは五欲です。
五欲を離れ、五蓋も離れて、五つをよく調えたならば、そこから仏道に向けて正しい欲を起すべきなのであります。
悟りを求め人々を救おうというよい意味での欲であります。
そうして精進努力し、常に思いを忘れないようにして、よく智慧をはたらかせて、一心不乱に勤めるのです。
天台小止観では、これらの前に五縁を調えることが説かれています。
持戒清浄=戒律を保ち、正しい生活をする。
衣食具足=適度な衣食で心身を調える。
閑居静処=喧騒を離れ、静かで心が落ち着く環境を調える。
息諸縁務=世間のしがらみや情報過多の生活から離れる。
得善知識=よい師や仲間を得る。
の五つです。
この五縁が前提となって、
外、諸縁を息めるとは、五欲を離れること。
内心、喘ぐこと無しとは、五蓋を離れること。
心、牆壁の如くにするとは、五事を調えること。
以て道に入るべしとは、五法を行じることだと私は受けとめてみたいのであります。
横田南嶺