雨もまたよし
これからいよいよ本格的な夏となって参ります。
先日は、ZEN呼吸法主宰、呼吸アドバイザーの椎名由紀先生にお越しいただいて、呼吸法の指導をしていただきました。
いつもながらお元気そのものの椎名先生であります。
講座のはじめに椎名先生は、おとといまで考えていたものと違うテーマで今日は行いますと仰いました。
そうして、修行僧たちに「雨」と聞いて何を思い浮かべるか質問されました。
二十数名の修行僧皆がそれぞれ答えていました。
恵みの雨という答えもありました。
しずけさ、濡れる、おちつく、育つ、ヌメッとした、ジトッとした感じという答えもありました。
憂鬱というのもありました。
かつてサッカーを一所懸命にやっていた者は、雨というと休みを思うと言っていました。
大雨はうるさい、かびの発生原因、傘をもたないといけないので荷物が増えるという嫌な思いの答えもありました。
読書ができるというのもありました。
鬱陶しい、すべる、循環というのもありました。
雨もあまりにも降りすぎると災害になります。
洗濯物が乾かないというもありました。
中には雨音が好きという風流な答えもありました。
椎名先生は、雨は楽しくてしょうがない、米にとって雨は恵みだと仰っていました。
仏教に一見四水という言葉があります。
人間にとっては河(水)であっても、天人にとっては歩くことができる水晶の床であり、魚にとっては己の住みかであり、餓鬼にとっては炎の燃え上がる膿の流れと見えるという譬です。
見る者によって全く違ったものとして現れることを言います。
同じ雨でも色々受けとめ方があるものです。
私も雨というどう思うか聞かれました。
私は、少し先読みをして、これは椎名先生が、あとで雨は嫌なものではない、大事な恵みの雨だという話をなさるおつもりなのだと思ったので、敢えて、「雨はいやです」と答えておきました。
私などは、正絹の法衣などを着ると、雨はシミになってしまうからたいへんなのです。
雨はいやですと言っておきました。
そうすると、椎名先生は、そうではない、雨はなくてはならない大事なものだと話をしてくださいました。
それから椎名先生は、二十四節気七十二候の話をなされました。
「二十四節気」とは、『広辞苑』によると、
「太陽年を太陽の黄経に従って二四等分して、季節を示すのに用いる語。中国伝来の語で、その等分点を立春・雨水などと名づける。」
というものです。
「七十二候」というのは、
「旧暦で、1年を七二に分けた五日または六日間を一候とし、その時候の変化を示したもの。旧暦のもつ太陽暦の要素である」
というものです。
二十四節気は多少意識していますが、七十二候となると、私もあまり意識していないものです。
そこで七十二候の「腐草為螢」くされたるくさほたるとなるという言葉を教えてくださいました。
これは、七十二候の一つで、二十四節気の芒種の次候にあたるものをいうのだそうです。
蛍の幼虫は、水の中にいますが、それが土の中にいるようになって、梅雨の頃に土がやわらかくなって出てきて、それから羽化するのだそうです。
腐ってしまう草も蛍には必要なのだと仰っていました。
梅雨について、もとは黴雨、黴の雨と書いたそうです。
またつゆについては、つぶれるからつゆになったという説や、露から来ているなど諸説あるそうです。
霖雨という言葉もあります。
これは『広辞苑』によると、「幾日も降りつづく雨。ながあめ」です。
五月雨という言葉もあります。
人間の体も六十%は水と言われています。
あまり水分は多すぎても体が停滞してしまいます。
大事なのは呼気、吐く息だと教えてくださいました。
尿や汗で水分を出しているように思っていましたが、圧倒的に水分を出しているのは吐く息、呼気なのだそうです。
夜にトイレに起きるのは、吐く息が弱いからだと仰っていました。
呼吸は一生続きます。
最期の日まで続くのです。
呼吸の一番の不思議は、自分でしていないことです。
何でも自分でコントロールできると思いがちですがそうではないのです。
もっとも呼吸は多少コントロールできますが、ずっと意識し続けることは不可能なのです。
忘れていてもちゃんと息をしています。
自然で穏やかで、呼吸がリラックス出来ているのが良いのです。
緊張してしまうと、呼吸も不十分になってしまいます。
そんな話をなさってから、呼吸法の実習に入りました。
今回印象に残ったのは、呼吸を波のイメージで行うことでした。
ザブンと波がやってきて、サーとひいてゆきます。
ザブンと来るのが吸う息です。
サーとひいてゆくのが、吐く息なのです。
私も子どもの頃を思い出しました。
よく海辺にいって波と息を合わせて坐禅をしていたのでした。
これは実に心地よいものでした。
人間の呼吸もこの海の波と同じようなリズムだと思ったものでした。
ゆったりとした呼吸に身を任せていると、自然と心も穏やかになってきます。
乗る竹を用いて体の凝りもほぐして行いましたので、深くリラックスできました。
山あれば山を観る
雨の日は雨を聴く
春夏秋冬
あしたもよろし
ゆふべもよろし
とは種田山頭火の言葉ですが、雨もまたよろしと感じる一日でした。
横田南嶺