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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.06.19
今日の言葉

舍利のはなし

先日麟祥院に於ける小川隆先生のご講義は、宗門武庫にある真浄克文禅師の舎利のお話でした。

これは、本文もそれほど長くないし、内容も特別難しいものではありません。

小川隆先生の現代語訳を引用させてもらいます。

「諸方の高僧がたが遷化され、荼毘の後に舎利が得られたという事蹟は、たいそう多い。

そうした中でも、とりわけ真浄克文禅師は、その舎利が豆の如く大きく、さまざまな色にキラキラと輝いて、しかも強固で堅牢だった。

真浄の高弟だった谷山の希祖禅師は、それをたくさん拾い集めて瑠璃の甁に収め、肌身離さず、常に供養していた。

わしも谷山を訪れ、その舎利を試してみたことがある。

鉄床(かなとこ)の上に置き、槌を思い切りふり上げて撃ったのである。

すると、鉄床も槌もへこみ、かたや舎利のほうには傷ひとつ無かった。

ひごろの行いが清らかで、よほど道を深く見ていたのでなかったら、どうしてこんなふうになり得よう!」

というこれだけの話であります。

この内容について、語句の意味からそれに関連する事柄をひいて二時間ほど縦横無尽にご講義くださいました。

舍利というと、『広辞苑』には、

「(梵語śarīra 遺骨の意)

①仏陀または聖者の遺骨。塔に納めて供養し、広く信仰の対象とされた。仏舎利。
②死骸を火葬にした後に残った骨。

③俗に、米つぶ。また、米飯。」

という意味が書かれています。

岩波書店の『仏教辞典』には、

「一般に、骨組・構成要素・身体を意味する。

これが複数形となると、遺骨(いこつ)、特に仏・聖者の<遺骨>の意味で用いられることがある。

その意味での舎利を崇拝・供養することが、舎利塔を建立するなどの形で、古来アジア諸国で広く行われているが、実際は、舎利を象徴する水晶など他のもので代用されることが多い。

中国でも、舎利供養の功徳が重視され、祈願すると五色に輝く舎利が得られたのでこれを祀ったといった記述が六朝初期から見られるほか、高僧を荼毘(だび)に付したところ舎利が得られたので塔を立てて祀ったとする例や、生前の高僧の目から舎利がこぼれ落ちたなどとする話が多い。

特に得道の禅師を仏と同一視する禅宗では、舎利に関する奇蹟が歓迎された。」

と解説されています。

今回特に重要なのは、最後の「得道の禅師を仏と同一視する禅宗では、舎利に関する奇蹟が歓迎された」ということなのです。

舎利というと、なんといっても円覚寺には仏舎利をお祀りする舎利殿がございます。

これは、円覚寺に伝わる舎利講式によると、もともと帝釈天がお釈迦様と生前に約束をしていて、お釈迦様の滅後に舍利をいただいて天に祀っていました。

これを魔王が奪い、毘沙門がこれを捕らえて返しました。

帝釈天が、これを褒めて右上の歯の舍利を授けました。

そして太子張瓊がこれを守っていました。かくして仏舎利は天に祀られることになったのです。

中国において、終南山道宣律師は戒徳高明であることが知られ、毎夜庭間に行道しお経を唱えていました。

ある晩転びそうになりました。

それを助けたのが太子張瓊でした。

律師は、舍利のことを尋ねました。

今は天に祀られていることをしると、是非拝みたいと切望されて、その仏舎利を頂戴したのでした。

律師は夜間仏舎利を捧げて行道し、昼は穴を掘って蔵していました。

杭州に能仁寺を創建し、舍利を納めました。

かくして仏舎利は中国にお祀りされました。

源の実朝公がある晩夢に宋の国の能仁寺に行き道宣律師のお説法を拝聴していました。

そこで道宣律師は、生まれ変わって日本の実朝公となっていると知りました。

寿福寺の栄西禅師も雪の下の良眞僧都もまた同じ夜に同じ夢を見たのでした。

三人が出合ってその夢のことを語り合いました。

そこで実朝公は武将十二人の使節を使わして、仏舎利をいただいて帰らせてきたのでした。

そして鎌倉の大慈寺にお祀りしていました。

北条貞時公は、その舎利を国家の鎮護として円覚寺にお祀りして、舎利殿を建てました。

かくして円覚寺にはお釈迦様の上頷右牙の舎利がお祀りされているのです。

毎年十月十五日には舎利殿にお祀りしている仏舎利をご開帳して大方丈で法要を営んでいます。

その時舎利講式で唱える言葉に、このような舎利の因縁が説かれています。

そして「三界無比の大法宝を円覚妙場に瞻礼することは肉親の如来を鷲嶺に拝するに同じ」と讃えています。

この世に比べるものがないほど尊い仏舎利を円覚寺で拝むことは、霊鷲山で生きたお釈迦様を拝むのと同じ功徳があるというのです。

「仏を現在に供養すると舍利を滅後に供養すると二人の功徳正等なり」というのです。

大慧禅師が、真浄禅師の舎利を鉄床(かなとこ)の上に置き、槌を思い切りふり上げて撃ったが、鉄床も槌もへこみ、かたや舎利のほうには傷ひとつ無かったという話は、康僧会の話がもとになっています。

円覚寺の舎利講式にもこの話は載っているのです。

舎利がどれほど尊いものか、孫権が康僧会に試させました。

佛舎利を鉄の金床の上において、鎚で思いっきり打っても金床も鎚もくぼんでしましましたが、舎利はなんとも無かったという話です。

舎利信仰は、仏舎利をお祀りしてその功徳に預かるというものでしたが、更に禅宗では、禅の修行をした高僧をお釈迦様と同じ悟りを得たものとして尊崇して、高僧の舎利も尊ぶようになったのでした。

時代が下がるにつれて、高僧の舎利に関する話が増えてくるのだそうで、禅宗が栄えて、禅僧が増えていったことに起因するというのが小川先生のご解説でありました。

単に仏舎利をあがめることから、悟りを開いた高僧の舎利も尊ぶようになったということを学んだのでした。

それは自らも同じように悟りを目指して修行しようという強い願いにもつながるものだと思いました。

 
横田南嶺

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