ふるさと講演
北鎌倉駅を始発電車で出かけて、新幹線に乗り、名古屋で乗り換えて、南紀一号という列車に乗って新宮市まで行きました。
この頃は飛行機を使うことも多かったのですが、今回久しぶりに在来線で帰省をさせてもらいました。
鉄道の旅というのは、また趣があって実にいいものであります。
名古屋までの新幹線はいつも利用していますので、特別の感慨もなく、慌ただしい都会の趣であります。
ところが名古屋から関西線に乗り換えると、いっぺんに景色が変わります。
時間の流れが変わります。
この変化がなんともいえないものです。
ゆったりとした時間が流れるのであります。
もちろんのこと、特急なのですが、新幹線の速さに比べると、実にゆったりとしていると感じるのであります。
それだけに窓から眺める景色もじっくり味わうことができます。
新幹線の窓からも景色を見ることはできますが、谷川俊太郎さんが
こんなに急いでいいのだろうか
田植えする人々の上を
時速二百キロで通り過ぎ
私には彼らの手が見えない
心を思いやる暇がない
と詠ったように速すぎるのです。
それに比べると、車窓からは景色も人もよく見えるのであります。
それだけに名古屋から三時間半かかります。
この時間がかかるからこそ、熊野川にかかる鉄橋を渡るとふるさとに帰ったという実感があるものです。
今回は、まず速玉大社に正式参拝をさせてもらいました。
春の沖縄に出かけた時から、速玉大社の宮司さまとご縁をいただいていましたので、お願いして正式に参拝をさせてもらったのでした。
いつもは、外からお賽銭をあげてお参りするだけですが、今回は中に入れていただいて、祝詞をあげてもらい、更には神楽も奉納していただきました。
宮司さまもいらっしゃって、控え室で楽しく会話させてもらいました。
また権宮司であるご子息にもご挨拶させてもらうことができました。
宮司さまからうかがった話で驚いたのは、あと五年で速玉大社は、今の場所にできて一千九百年になるのだそうです。
そんな歴史が神社には残っているというのです。
もともと神倉山に降臨された神さまが、速玉大社に見えたのです。
そこで新宮というのです。
新しい宮といっても一千九百年の歴史があるのです。
参拝を終えたあと丹鶴ホールで講演をさせてもらいました。
このたびは関西商工会議所ということで、京都や大阪、兵庫からも大勢のご婦人がお集まりくださっていました。
控え室にはいろんな方が挨拶に来てくれていました。
この頃は有り難いことに、月刊『致知』を読んでいるとか、毎日YouTubeを楽しみに聞いているとか、いろんなところでご縁の広がりを感じています。
講演は六十分、「二度とない人生だから今日一日笑顔でいよう」という題で話しました。
話のはじめに、種田山頭火の「雨ふるふるさとははだしで歩く」という句を紹介しようと思っていました。
梅雨の時期でもあり、天気予報では雨だったのでした。
ところが、どういうわけかその日だけは実によい天気に恵まれたのでした。
有り難いことでした。
講演した丹鶴ホールというのは、もともと私が通っていた小学校の跡地に建てられたものです。
一昨年には、この丹鶴ホールで、記念講演をさせてもらっています。
懐かしい感じがするものです。
また母校のあったところで話ができるというのも感慨深いものです。
商工会議所の会だからといっても私に経済の話や商売の話ができるわけではありません。
仏教の勉強しかしてきませんでしたので、仏教の話をするだけなのです。
はじめに、松居桃楼さんの
「一粒でも播くまい、ほほえめなくなる種は
どんなに小さくても、大事に育てよう、ほほえみの芽は
この二つさえ、絶え間なく実行してゆくならば、
人間が生まれながらに持っている、
いつでも、どこでも、なにものにも、ほほえむ心が輝きだす
人生で、一ばん大切なことのすべてが、この言葉の中に含まれている」
という言葉を紹介しました。
いつでも、どこでも、なにものにも、ほほ笑む、今日一日笑顔でいようと言っても今の御時勢、なかなか笑顔でいられないのも実情です。
いろんな物騒な事件もありますし、地震も心配です。
値上げもたいへんであります。
私たちが笑顔になれないものには憎しみがありますと話をしました。
そこでお釈迦様の言葉を紹介しました。
『法句経』の第三番
「かれはわれを罵った。かれはわれを害した。かれはわれにうち勝った。かれはわれから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息むことがない。(中村元訳 以下同じ)
同じく第四番
「かれはわれを罵った。かれはわれを害した。かれはわれにうち勝った。かれはわれから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。
同じく第五番
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。」
そこから速玉大社のご縁で、この春に沖縄に行った話につなげて怨親平等の話をしました。
円覚寺開創の根本精神であります。
あとは、セイロンのジャヤワルダナ氏の話にもつなげて、怨みを乗り越えるのは慈愛であると話をひろげてゆきました。
明日はどうなるかわからないけれど
今日一日は笑顔でいよう。
つらいことは多いけれど
今日一日は明るい心でいよう。
いやなこともあるけれど
今日一日は優しい言葉をかけていこう。
明るい顔が まわりを明るくし
暗い顔が まわりを暗くする
いつもほほえみを失わない
そんな明るい顔をもち続けたい
という言葉を紹介して、先行きの不安な時ですけれども、そういう時だからこそ笑顔で生きましょうと話をしたのでした。
そのあと、お世話になった清閑院の後藤牧宗和尚さまのお墓参りをさせてもらったのでした。
有り難いふるさと講演でした。
横田南嶺