戒こそ人を自由にしてくれる – 佐々木閑先生と対談 –
思えば昨年は創立百五十年で盛大な儀式を行ったのでした。
そこで、花園大学の卒業生である、ソフトバンク社長の宮川潤一さんと公開対談をさせてもらいました。
今年は、仏教学の佐々木閑先生が、この度花園大学特別教授にご就任なされましたので、その就任記念で対談をさせてもらいました。
本来なら、佐々木先生の特別講演をお願いすればいいところですが、大学側が私との対談を企画してくださったのでした。
創立記念日には大学で花まつりを行います。
私が導師を務めさせてもらってお経をあげ、お釈迦様に灌仏をして短い法話をさせてもらいました。
大学にとって百五十年を終えて、今年が百五十一年新たな一歩を進める時であり、世の中をみてもコロナ禍という長い三年を経てまた新たな一歩を進める時であるので、これからブッダの教えを胸に刻んで行きましょうと話をしたのでした。
その後創立記念の行事を行って、広い教室で佐々木先生と対談をしたのでした。
それが二百名を収容できる教室なのですが、一杯になってしまい、別の会場でも映像を視聴してもらうというほどの大盛況だったのです。
会場となった教室のある校舎は、百五十年を記念して建て替えた新しい場所でした。
できあがったのはコロナ禍の最中でしたので、この教室が満席になるのは初めてだとのことでした。
それだけ多くの方が集まってくださっただけでも感動でした。
改めて佐々木先生の人気の高さを思いました。
対談といいましても佐々木先生の特別教授就任記念なので、私が専ら聞き手となっていろいろとお話をうかがったのでした。
まず特別教授ご就任のお気持ちからうかがいました。
佐々木先生は、三十三歳で花園大学にお勤めくださるようになって三十三年教鞭を執られ六六歳になるまで花園大学にお世話になってきたと仰いました。
とても有り難いと仰せになっていましたが、有り難いのは大学の方であります。
よくぞこの小さな大学にお勤めくださったと感謝するばかりなのです。
コロナ禍のことをうかがいますと、どうしても先生の動画配信の話題となりました。
私も佐々木先生の動画はすべて拝聴して勉強させてもらっています。
コロナ禍というのはたいへんなこともありましたが、良いこともありました。
佐々木先生の講義を毎日のように受けることが出来たのは私も感謝しているのです。
佐々木先生は、この動画を作ることによって、自分が一番勉強になったのだと仰っていました。
まず毎朝起きて何を伝えるのかを考えて、資料を探して整理して、数枚のフリップにまとめて録画されるとのことです。
私は、あの短いフリップにまとめるのが実にたいへんな作業だと思いますというと、佐々木先生はブッダの教えはとても理路整然としているので、長い経典でもそのコアとなるところは何かと考えてゆくとまとめることができるのだと仰っていました。
これがなかなか出来ることではありません。
私などは、コアとなるところがみつからずにいつも周辺ばかりをうろついています。
佐々木先生から、私の方こそ毎日の配信でたいへんだろうと仰ってくださったのですが、佐々木先生の理路整然としたご講義と違って、私の毎日のきままな思いを綴っているだけなので、比べものにはなりませんと申し上げました。
そんな私のつまらない配信でも、多くの方から毎日聞いていますとお声をいただきます。
つまらない話でも毎日聞くということがよい習慣になっていることに気がつきました。
長いコロナ禍であまり外出できない、人とも会えないという中で、毎日聞くという習慣が生きる支えとなっていることが分りました。
人はよい習慣をつけることによって毎日生きられるのです。
そこからよき習慣とは、戒に他ならないとして、戒の話へとつなげました。
戒という言葉の意味から佐々木先生にご講義いただきました。
戒というのは、梵語のシーラであり、習慣のことだと説明してくださいました。
習慣だからよいものもあれば悪いものもあるのです。
悪いシーラもあればよいシーラもあるのです。
戒というものなんか無い方が人は自由になれると思いがちですが、佐々木先生はシーラ即ち戒がないと人は不自由になるのであり、戒こそ人を自由にしてくれるものだと仰せになりました。
具体的に譬え話で、信号を守るという決まり習慣があるから安心して道を歩けるというのです。
確かに信号がないと、或いは信号があっても誰も守るという習慣がないと、安心して道を歩けません。
戒を守ることは窮屈なことではなく、私たちは毎日戒によって、よい習慣によって守られているのだとお話くださいました。
しかし私たちを悪い方向へと導く習慣もあります。
このことに気をつけないといけません。
現代において一番気をつけないとならない、私たちを悪い方向へと導くものは所有欲だと仰せになりました。
ものを持つと幸せになる、ものともっと欲しいと思う所有欲こそが、現代の私たちを悪い方向へと導くものだというのです。
この所有欲が経済活動を支えてきた一面もあります。
会場には一般の方々がたくさん見えていましたので、次々と新しい商品を開発して宣伝して買ってもらうように努力されてきた方もいらっしゃると思いました。
しかし所有欲は苦しみをもたらします。
満足するのはほんの一瞬でまたもっと欲しくなるのです。
私は、現代の人に悪い影響を与えるのは、やはりスマートフォンやインターネットの情報ではないかと申し上げると、佐々木先生は、それは情報を所有したいという所有欲だと教えて下さいました。
所有欲はものだけではないのです。
次から次へと情報を欲しがるという欲望が人を不幸にしているというのはなるほどと頷けます。
所有は苦しみをもたらすと智慧をもって観察して欲しがらない自分を目指して生きるのが仏教の道であります。
そのためによい習慣をつけるのが戒の根本精神なのです。
しかしながら、戒というとそんなもの守るのは無理だとよく言われます。
たった五つの五戒ですら保ちがたいのがお互いなのです。
戒は守ることも大事ですが戒を意識することによって、戒を守れていない自分を反省することができるのです。
この反省する心を慚愧といいます。
慚愧の心こそ、私たちをよい方向へと誘うものなのです。
慚愧の心を持つことが大切だというところで時間になりましたので、本日はこのような場所で佐々木先生と対談させてもらいながら、十分な聞き手になれず慚愧に堪えませんと言って対談を終えたのでした。
一時間の対談のあと、更に休憩を挟んで、二人で話をさせてもらいました。
これは佐々木先生の提案で時間のある方には残ってもらって懇談をしようという予定でした。
私がその司会をしましょうと打ち合わせていたのです。
ところが会場一杯の皆様が残ってくださってあまりにも大勢となって、懇談ということは難しくなりました。
それで再び佐々木先生と私で自由に話をさせてもらいました。
かくして二時間近くにわたって佐々木先生からたくさんのお話を拝聴出来たのでした。
横田南嶺