久しぶりの施餓鬼法話
大学に入学して、上京して松原泰道先生を訪ねて、これからどこで坐禅をしたらいいのかをうかがいました
松原先生とは中学生の時にお目にかかっていて、それまでにも何度かお話を伺っていました。
松原先生は、大学入学の保証人にもなっていただきいろいろご相談もさせてもらっていました。
どこで坐禅をしたらいいのかを聞くと、松原先生は、即座に「坐禅するなら、小池さんのところがいいでしょう」と仰いました。
小池さんというのは、当時白山道場師家、龍雲院住職であった小池心叟老師のことであります。
そうして初めて龍雲院の坐禅会に参加したのでした。
当時はインターネットも何もない頃でしたので、どのようにしてお寺に行くのか、電話で尋ねました。
電話すると、小池老師が電話に出られて驚きました。
また初めてお寺を訪ねても、老師ご自身が出て見えて驚きました。
老師は、お一人でいらっしゃいましたので、電話に出るにも、玄関に出るにも、坐禅の説明をなさるのもすべてお一人でなさっていたのでした。
その頃は坐禅会といってもそれほど多くの人が集まるものではありませんでした。
それで新しい人が見えると老師が坐禅の説明をなさり、坐禅会の直日という役も老師がなさり、お経の係も老師がなさり、その上で独参も受けられ提唱もなさっていたのでした。
小柄な老師で茶色の法衣をお召しになって颯爽と歩いていらっしゃったのが印象的でした。
なんとも爽やかな老師でありました。
まだ六十代でいらっしゃいました。
老師にどこかで坐禅をしたことがあるかと聞かれたので、私が和歌山県由良町の興国寺の目黒絶海老師のところで参禅していましたと答えました。
すると老師は、目黒絶海老師のことをよくご存じで、「そうか、絶海さんのところで坐っていたのか」と仰せになり、独参もしていたことを告げると、すぐさま「それならもう今日から独参をしなさい」と言ってくださったのでした。
かくして十八歳の私は、小池心叟老師に参禅することになったのでした。
このことがご縁で、老師のもとで出家して僧侶になりました。
このお寺が円覚寺派のお寺だったので、円覚寺に修行にゆくことにもなったのでした。
大学にもこのお寺から通ったものでした。
大学を出たあとは、小池老師が京都の建仁寺で修行なされた方でありましたので、建仁寺に修行に行きました。
そのあと、更に円覚寺で修行したのでした。
そののち、円覚寺の修行道場で修行僧を指導する役目を仰せつかるようになったのでした。
そうこうするうちに、小池老師は九十歳近くなってだんだんと衰えてこられました。
いつも颯爽と歩いておられて、そのあとをついてゆくのがたいへんだったくらいだったのですが、お体がご不自由になられてゆきました。
お寺の一番大きな行事であるお施餓鬼の法要の支度などもすべてお一人でなさっていたのですが、それが困難となってきました。
施餓鬼にたくさんの卒塔婆を書くのですが、鎌倉から通ってはお手伝いをしていました。
はじめのころは老師が書くのを手伝っていたのが、だんだんと私が書く方が多くなり、とうとう私が鎌倉から通ってはすべて書くようになってゆきました。
お寺の後継をどうするかいろんな方と相談を重ねた結果、私が鎌倉の円覚寺にいながら兼務住職を務めるようになったのでした。
思い返せば十八年前に兼務住職となり、明くる年の施餓鬼会には、老師の手を引いて施餓鬼に出たのでした。
老師ははじめのご焼香のみで、あとは私が導師を務めたのでした。
その年の暮れに老師はお亡くなりになりました。
以来鎌倉から通いながらお寺の兼務住職を務めてきました。
管長に就任してからは、副住職に任せることが多くなってきましたが、昨年の秋に兼務住職を退いて副住職を住職に就任させたのでした。
そうしてこの度はじめての施餓鬼会となりました。
最近は私が法話を務めていましたので、今回も法話を務めました。
実に感慨深いものでした。
なにせ四年ぶりの行事であります。
前回行ったのは、令和元年の五月でありました。
新しい天皇陛下が御即位遊ばされて、その数日の後に行ったのでした。
まだまだお祝いの雰囲気が残っていました。
ところが明くる年からこのような行事が出来なくなりました。
令和二年はオリンピックの年でしたが、四月に緊急事態宣言となって施餓鬼会もなにも出来なくなりました。
来年にはできるだろうと思っていたのですが、それも無理となり、とうとう三年お休みとなったのでした。
法話も四年ぶりなのです。
まだまだこのお寺のお檀家の方には旧知の方も多く、懐かしくご挨拶をさせてもらいました。
中には私が学生時代からご存じの方もいらっしゃいます。
その日には私の『パンダはどこにいる?』の本を皆さんに施本して、いつものパンダの話をして、人は誰しも仏であることをお話したのでした。
仏とは、慈しみ、思いやりの心を持った人のことを言います。
施餓鬼会には白隠禅師の坐禅和讃も読みますので、最後には白隠禅師も仰せになっているとおり、「衆生本来仏なり」であり、みんなもともと仏であること、そして「此の身即ち仏なり」このからだがそのまま仏さまですとお話ししたのでした。
今回有り難いと思ったのは、多くの方が久しぶりなのですが、毎日YouTubeで話を聞いていますと言って下さったことでした。
多くの方が聞いていてくれるのだと改めて思いました。
中には重い病にかかって苦しい闘病生活をしながら、毎日の話を楽しみにしていると言ってくださった方がいました。
私の話など、病の苦しみをどうこうすることもできないのですが、毎日の習慣となって心の支えになっているというのです。
千回を是非目指してくださいと励まされたりしました。
その前の日の一休フォーラムの会場でもとあるご年配の和尚様からも毎日のYouTube法話のお礼をいただきました。
このようなご立派な和尚様も聞いてくださっているかと思うと一層有り難く感謝したのでした。
毎日の習慣が生きる支えとなり、生きる力ともなることを改めて学びました。
やはりよい習慣というのが心の支えになるものです。
お寺の行事などもよい習慣のひとつとなるものだと思いました。
有り難いことであります。
横田南嶺