息を数える
「坐禅をしようと思うなら、まず厚く座布団を敷いて、その上に結跏趺坐して、衣服や帯をゆったりとさせて、背骨を立てて体をきちんと整えることだ、そうして数息観をしなさい。
数限りない心の集中方法があるが、この息を数えるのが最上である。
気を丹田に充たして、それから一則の公案をとりあげて、自我意識を断ち切ってしまうのだ」
というのがあります。
古来精神の集中には様々な方法が説かれてきていますが、息を数えるのがもっともよいというのです。
この息を数えるというのは簡単なようで奥深いものです。
曹洞宗の瑩山禅師も『坐禅用心記』に
「心若し散乱する時は心を鼻端丹田に安じて出入の息を数へよ」と説かれています。
岩波書店の『仏教辞典』にも「数息観」が詳しく説かれています。
まずは「出入の息を数える観法。出入の息を数えることによって、心の散乱を収め、心を静め統一する方法」とあります。
「ヨーガの行法(ぎょうぼう)としてインドで古くから行われていたのが仏教にも取り入れられたもの。」とも説かれいてます。
同じく『仏教辞典』には「調息」の項に、
「<数息観(すそくかん)><随息観(ずいそくかん)>など、天台宗でも禅宗でも、調息のためのさまざまな工夫が伝えられている。
なお中国においても早くから、呼吸を調えることは健康法・長生術の一つとして重視され、「吐故納新(とこのうしん)」〔荘子刻意〕や「胎息」〔抱朴子〕などの呼吸法が説かれ、道教においても行気法(こうきほう)の実修はきわめて重んじられた。」
と説かれていますので、中国においては、このインド古来の行法と道教の行気法が相合わさったものと考えられます。
安世高(あんせいこう)訳の安般守意経というのが伝わっていますので、安世高は西暦140年代に西域から渡来した訳経僧ですので、とても古いものです。
ひとくちに数を数えるといってもいろんな数え方があります。
「出息を数える」、「入息を数える」、「出入息を別々に数える」、「出入息を一つとして数える」、「一息で複数数える」等があります。
世間でよく眠れないと羊を数えるといいと言われていますが、入眠時に,数息観を用いると入眠困難に対して有効な方法であることが報告されているそうです。
心を落ち着けるには効果があるのです。
また人前でスピーチするときに緊張したりすると、この数を数えるということが心を落ち着けるのによいというのです。
『天台小止観』には、まず呼吸を調える方法が説かれています。
山喜房仏書林の『天台小止観の訳注研究』から現代語訳を引用します。
「口を開いて、胸の中にある汚れ澱んだ空気を吐き出しなさい。 息を吐く方法は、口を開いて出る息を解き放ち、精一杯吐き出しなさい。全身の鬱血したところも緩めて解き放てば、出る息と一緒に鬱血したものも外へ出るものと、心に思い浮かべなさい。吐き尽くしたら、口を閉じ、鼻から清々しい新しい空気を吸い込みなさい。このように、三度出入息の方法を行いなさい。もし身体と呼吸が程よくととのうならば、一度の出入息でも十分である。」
というのです、
それから
「息がととのうのに、四つの有り様がある。一は風の有り様であり、二は喘の有り様であり、三は気の有り様であり、四は息の有り様である。
最初の「風・喘・気」の三つは、息がととのわない有り様であり、最後の一つの「息」は、息がととのう有り様である。
「風」の有り様は、どのようなことであるのか。それは、坐禅の最中、鼻から出入りする呼吸に、声が立つのを感知することである。
「喘」の有り様は、どのようなことであるのか。それは、坐禅の最中、呼吸に声は立たないが、出入息が詰まって滞るのが、喘の有り様である。
「気」の有り様は、どのようなことであるのか。それは、坐禅の最中、声も立たないし、息が滞ることもないが、 出入息が細やかでないのが、気の有り様であると呼んでいる。
「息」の有り様は、声も立たず、滞ることもなく、粗くもなく、出息も入息もあるのでもなく、ないのでもなく長く続き、身体を確り保ち、穏やかで、心に深い喜びを抱くことである。これが息の有り様である。
「風」の状態を続ければ心は乱れ、「喘」の状態を続ければ心は滞り、「気」の状態を続ければ心は疲れるが、「息」の状態を続ければ心は安定する。」
と説かれています。
椎名由紀先生は、『ZEN呼吸』の中で、
「ロウソクの呼吸」を説かれています。
「ロウソクを鼻の下に立てるようなイメージで、人指し指を鼻の真下に立てます。
反対の手の親指はお臍、四本の指は揃えて下腹部にふわりと添えます。」と準備します。
第一段階は、鼻息でロウソクの炎を勢いよく吹き消すように息を吐きます。
お腹に置いている手が、勢いよくへこみ、それからふんわりとお腹回り全体がボール状に膨らむのを感じます。
それから第二段階は、鼻から吐く息でロウソクの炎が軽く倒れるように息を吐いてみます。
吐く息で倒れた炎は、 吸う息で戻ってくるようにイメージします。
第三段階は、ロウソクの炎は、風では動いていますが、自分の鼻息では動かないように、静かに、細く長く息を吐きます。
吐く息は蜘蛛の糸が一本、鼻から紡がれて出てくるような、それほど細く長い呼吸を意識するのです。」
この方が分かりやすいかと思います。
そうして更に『天台小止観』には、
「もし心をととのえようと願うならば、三つの方法によらなければならない。
一は、心を下に置いて安定することである。
二は、身体をゆったりとすることである。
三は、大気が毛穴に満ちわたり、毛穴を出入りして通い、妨げることがないと思うことである。」
というのです。
こうしてゆったり呼吸を調えて、息を数えるのです。
やはり吐く息を数えるのが、心を調えるには効果的です。
一から十までを繰り返します。
数える数を忘れてしまった場合や、数える数を間違えてしまった場合、十を超えて数えてしまった場合は、一から数え直します。
単純な方法ですが、奥深いのです。
理想は、良寛さんが手まりをつきながら、数を数えたように無心に行うことです。
つきてみよ 一二三四五六七八(ひふみよいむなや) 九(ここ)の十(とを)
十とおさめて またはじまるを (良寛)
という和歌のようにです。
横田南嶺