「今時の若者は」…
柳田国男先生の『木綿以前の事』という書物の中に、
「先年日本にこられた英国のセイス老教授から自分は聞いた。
かつてエジプトの古跡発掘において、中期王朝の一書役の手録が出てきた。今からざっと四千年前とかのものである。
その一節を訳してみると、こんな意味のことが書いてあった。
いわく、このごろの若い者は才智にまかせて、軽佻の風を悦び、古人の質実剛健なる流儀を、ないがしろにするのは嘆かわしいことだ云々と、これと全然同じ事を四千年後の先輩もまだ言っているのである。」
と書かれています。
このことが本当かどうか、確かめることは私にはできないのですが、「今の若者はなっていない」というのは、昔からよく言われていることは確かでしょう。
我々の修行の世界でも、「この頃の修行僧は」というと、そのあとは必ずなっていない、たるんでいると言われます。
そして更にその後には、これまた必ず「わしらの頃にはなあ」というお説教となるのが定番であります。
こんな話を私なども何遍も何遍も聞いてきました。
聞いてきて何になったかというと、ほとんどなにもなりません。
ただ延々とお説教する人が満足するだけのことなのです。
わしらの頃はなあと言ったところで、その方の時代においても、戦前の方からみれば苦労が足りないと言われていたでしょうし、戦前の方であっても明治時代の方からみれば、苦労が足りないと言われることでしょう。
さかのぼっていくときりがありません。
ひょっとしたらエジプト時代にまでさかのぼるかもしれないと思います。
「今時の若者は」という言葉を禁句にしなければならないと仰ったのが、行徳哲男先生でした。
先日対談でご一緒したときにも、行徳先生は、若者の素晴らしさを力説されていました。
今の若者は素晴らしいと、大学で話をするのが一番の楽しみだと仰せになっていたのでした。
そんな行徳先生だから、その時の会にも十代の学生さんや、二十代の青年が何人もお見えになっていました。
また行徳先生は、そんな若者たちにも発言を求めておられました。
そのお心遣いにも感服しました。
「今時の若者は」などとお説教するよりも、若者には大いに期待する方が一層よいことだと思いました。
先日花園大学の講義に行く日の朝、毎日新聞の朝刊「みんなの広場」に、元保育園園長の九十二歳の方が投稿されていました。
題が「「今時の若者」に大きな期待」であります。
パソコンを修理に出そうとして電車に乗ろうと駅に行った時の話です。
「駅の階段をゆっくり上っていたのを見かねた若者が「持ちましょう」と声をかけてくれ、反対ホームまで運んでくれました」というのです。
「涙が出るほどうれしく思いました」と書かれています。
更に
「駅のホームのベンチから立ち上がろうとすると、隣に座っていた若者がそっと手を貸してくれたり、体を支えてくれたりすることは、しばしば経験しています。
バスから降りる時もそうです。」
とあれこれと思いつかれることを書いておられます。
そして最後に、
「「今時の若者は……」と批判しがちな時代ですが、私はそうは思っていません。彼らを信じ、彼らがつくる時代に期待しています。」
と書いているのであります。
今時の若者大いに期待しないといけないなと思って大学に行ったのでした。
今年度禅とこころの講義の第1回目です。
若い学生さんたちも熱心に聞いてくれていました。
講義の前に、文学部日本史学科の鈴木康子先生が、総長室に訪ねてきてくださいました。
最近上梓された『転換期の長崎と寛政改革』という大著をもって来られました。
長年の研究をまとめた大作であります。
これだけの業績をまとめることができたのも、この花園大学のおかげだと語ってくれました。
研究できる環境も素晴らしいし、この大学の学生さんたちも素晴らしいのだと力説されていました。
今いる場所が素晴らしい、そして若者が素晴らしい、そう熱意を込めて語る先生のお顔は輝いていました。
逆にももしも今いるところはよくない、若者は駄目だと言っているようでは、益々暗くなるだけでしょう。
ただいま大学はどこも同じだと思いますが、少子化の影響で深刻な状況が続いています。
私も大学に行くと、必ず学長、学園長、事務局からいろいろな報告を受けます。
花園大学の総長は、完全な名誉職なので、なんの実務権限を持たないのですから、報告を受けるだけです。
定員割れというのは、ここ数年来の課題であります。
昨年よりは、多少か増えたようなのですが、まだ定員には満たないのです。
そのほかの報告にしてもよい話は少ないものです。
やはり人間は、長い間危機の中に身を置いてきた歴史がありますので、よいことよりもよくないことに敏感になっていると思います。
運営に携わっていると、自ずとよくない点を意識しないと改善してゆかないのは道理なのです。
そこで困ったなと思う話が多くなるものです。
そんな中で明るい鈴木先生のお話を聞いて、こちらもうれしくなりました。
鈴木先生から、禅宗のお坊さんは自ら語らない方が多いけれども、素晴らしさや良さというのは、やはり語らないと伝わらないと言われました。
たしかにそういう一面はあるもので、考えさせられました。
かくして、なにも悲観ばかりせずに、今の若者の未来には大いに期待してゆきたいものであります。
横田南嶺