今日は降誕会
円覚寺では、午前十時から仏殿で法要をお勤めします。
ではいつお生まれになったのかというと、これが難しいのです。
中村元先生の『ゴータマ・ブッダ上』(春秋社)には、
「仏滅年代論については、異説がきわめて多く、百種以上ある。
シナ人は老子がインドに行って釈尊となったという伝説をさえも生み出した。」
と書かれています。
実にたくさんあるのです。
また
「スリランカ、インド、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジアなど南方アジアの諸国では、一九五六年から一九五七年にかけて釈尊の二千五百年の記念式典を盛大に行なったが、それは南方仏教の伝説に従ったのである。
すなわち釈尊の入滅は西紀前五四四ー五四三年であると考えているので、西紀前五四四ー五四三年を仏滅後の第一年とすると、仏滅は五四四年ヴァイシャーカ月のこととなる。
そうして一九五六年から一九五七年がちょうど釈尊入滅後二五〇〇年目に相当するというのである。
釈尊が八十歳まで生存していたというもろもろの一致した伝説を採用するならば、釈尊の誕生は西紀前六二四年であったということになる。」
と書かれています。
この説にもとづいて仏暦というのがございます。
今年は仏暦でいうと二五六六年になるのです。
西暦というのは、ご存じの通り、イエスキリストの生まれた年から数えているのです。
ただし中村先生は
「世界中の仏教徒がひとつの約束として、この年代を採用することは一向にさしつかえないが、学問的には、大いに疑問の余地がある。」
と疑問を呈しています。
更に
「一般に学者はゴータマ・ブッダの入滅年代をだいたい西紀前四八〇年ころとしている。
そのうちもっとも有力な説は、ブッダの生涯を、西紀前五六三ー四八三年とする説であり、フリート、ガイガー、リス・デヴィッズなどの諸学者が採用している。
これは南方スリランカの伝説にもとづくのである。」
と説かれています。
これは「アショーカ王の即位灌頂元年を西紀前二六六年と推定し、その年と仏滅の年とのあいだを南方の伝説によって二一八年とし、それによって仏滅年代を前四八三年と定めるのである。」
ということなのです。
しかし、「 仏滅からアショーカ王の即位灌頂まで二一八年あったというのは長すぎる。釈尊からアショーカの時代までに異世の五師が戒律を伝えたというが、五人で二一八年をたもつのは困難である。一人の師が自分より四十数年若い弟子にのみ戒律を伝えたということはあり得ないであろう。」というのです。
それからもうひとつ「衆聖点記(しゅしょうてんき)」の説があります。
これは「ゴータマ・ブッダがなくなったのちに、律蔵を伝えた聖者たちが、毎年の安居が終わるごとに一つの点を記して、経過した年数を示したもの」です。
サンガバドラという僧が「永明七年(四八九年)に安居が終わってから、『香華を以て律歳を供養しおわり、すなわち一点を下す。その年に当り計りて九百七十五点を得たり。〔一つの〕点は是れ一年なり』(『歴代三宝紀』)。」
というのですから、
「それにもとづいて逆算すると、西紀前四八六年が釈尊のなくなった年になる。したがって釈尊の誕生は西紀前五六六年になる。」
ということになります。
しかしながら、パーリ文の仏典が書写されたのは西暦前一世紀のことなので、それ以前は暗誦されていたわけですから、この伝承は確かとは言いがたいのです。
スリランカの伝説にもとづくと仏滅からアショーカ王までを二百年としていますが、インド本土に伝わった諸伝説は、仏滅からアショーカ王までを全部百余年としているということです。
そこでそれにもとづいて仏滅年代を計算すると、三六八年(または三七〇年)三七〇年(または三八〇年、三八八年)三八六年などの説があるのです。
宇井伯寿先生の説は更に詳しいのです。
「アショーカ王の即位灌頂は前二七一年である」とします。
「ところで 『十八部論』(『部執異論』)によると、仏滅一一六年後にアショーカ王が閻浮提(インド)で王となったという。
ゆえに仏滅は西紀前三八六年となる。
釈尊が八十歳でなくなったという伝説によると、ゴータマ・ブッダの生涯は、前四六六ー三八六年」
ということになります。
更に中村先生は
「宇井博士の年代論の基準となったアショーカ王の即位灌頂の年は、同時代のギリシアの諸王の統治年代に関する西洋人諸学者の説によるのであるが、その後の新しいギリシア研究によってこの年代は修正されねばならなくなった。」として、
「修正を施すと、アショーカ王の即位は前二六八年であり、ゴータマ・ブッダは、前四六三ー三八三年の人と」
なるのであります。
かくして、中村元先生の説に従いますと、お釈迦様がお生まれになったのは、紀元前四六三年ということになるのです。
佐々木閑先生の『ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか』には、
「碑文は二千年以上前の古い文字で書かれていたので、長く誰も読むことができなかったのですが、一八三七年にジェームズ・プリンセプというイギリスの考古学者が解読しました。これによってそれまで知られていなかった重要な事実がたくさん浮かび上がってきました。」
というのであります。
一九世紀になってようやく分かってきたことなのです。
「お釈迦様とアショーカ王の間は百年か、長くても二百年と推定されています。」と書かれていますと、百年も差があるなんて、ずいぶんいい加減のように思いますものの、
中村先生は、
「学者によって約百年の差違があるわけであるが、しかしインドの古代についてわずかに百年の差しかないということは、年代の不明な古代インドとしては驚くべきことである。」
と仰せになっているので、そのようなものなのでしょう。
ですから佐々木先生は同書で
「まず、お生まれになったのはヒマラヤ山脈のふもとです。ここに釈迦族が治めているカピラヴァットゥという国がありました。お父さんはスッドーダナさんという名の王様で、お母さんはマーヤー夫人といいます。
生年月日は不明です。いまからおよそ二千五百年前ごろの何月何日かです。ずいぶん漠然としていますが、約二千五百年前という数字がわかるだけでもたいしたものです。」
という通りなのでしょう。
「この情報の出どころはアショーカ王碑文です。アショーカ王碑文がなかったら、それすらもわかりませんでした。 「いまから数千年前です」としか言えなかったと思います。
ですからアショーカ王に大いに感謝です。」
ということなのであります。
「お釈迦様のお誕生のときの有名なエピソードがあります。 生まれ落ちるとすぐに七歩歩き、天と地を指さして何かすごいことを言ったという伝説です。」
「「天上天下唯我独尊」とおっしゃったのです。
意味は、おわかりですか? 「この世の中で私だけが立派」。
その通りです。「皆、私だけを頼りにせよ」という意味です。赤ちゃんのくせにずいぶん偉そうですね。」
と説かれています。
今では、よくこの言葉は「自分だけが尊い」という意味ではなく、「人間は一人一人最高に尊い存在である」ということだとして、人間の尊厳を意味する言葉と説かれていることが多いのです。
山田無文老師も『碧巌録』の提唱で、
「天上天下唯我独尊だ。これは釈尊誕生の時の言葉であるが、これは決して釈尊が、「自分だけは偉くて皆はつまらん」と言われたわけではない。
人間性の原点を悟るならば、人間性の原点がゼロだと分かるならば 、誰でも天上天下唯我独尊だ。」
と説かれているのです。
中村先生の『ゴータマ・ブッダ上』には、もともとはお釈迦様ご自身が言ったのではなく、神々が讃えた言葉として説かれています。
それが、やがてブッダ自身が宣言したように説かれるようになったのだそうです。
いろいろな説がありますものの、およそ二千五百年ほど前に、お釈迦様という素晴らしい方がお生まれになった、その日を寿ぐのであります。
横田南嶺