ふだらくや
「(梵語Potalakaの音写。
光明山・海島山・小花樹山と訳す)
観世音菩薩が住む山。南海上にあるという。
日本では和歌山県那智山などに擬する。
補陀落山(ふだらくせん)。補陀落浄土。」
と解説されています。
「補陀落渡海」という言葉も載っています。
「補陀落を目指して小舟で単身海を渡ろうとすること。
中世、熊野灘や足摺岬から試みられた。」
と書かれています。
先日沖縄に行って、久しぶりに、この補陀落渡海という言葉を耳にしたのでした。
沖縄には、琉球八社と呼ばれる神社がありますが、そのほとんどは熊野速玉大社の分社であります。
そこから熊野と琉球とのご縁も知ることができました。
更に、熊野から補陀落渡海をして、琉球に流れ着いた僧もいたのだそうです。
補陀落をもう少し詳しく学んでみましょう。
岩波書店の『仏教辞典』で調べると、
「補陀落」は「サンスクリット語Potalakaに相当する音写語。
観世音菩薩が住む(あるいは降り立つ)と伝えられる山の名。
伝説上の山と考えられるが、玄奘の『大唐西域記』にはインド半島の南端近くに実在するかのように記され、また、実際にその地を特定しようとする試みもいくつかなされている。」
と書かれていて、昔の人は補陀落浄土が実際にあると思っていたようなのです。
更に『仏教辞典』には、
「観音信仰の隆盛とともに、<補陀落>の名は観音の霊地として、インド以外でも広く用いられるようになった。
中国浙江省の舟山群島にある普陀山(ふださん)は著名な観音霊場であり、またチベットでは、代々のダライ・ラマは観音の化身とされるが、その住いであったラサのポタラ宮はPotalakaにその名を由来する。
日本でも、那智山を補陀落(あるいはそこに至る東門)に見立てたり、また<日光>の地名もこれに由来する(補陀落→二荒(ふたら)→二荒(にこう)→日光(にっこう))という説もある。」
のだそうです。
あの日光も補陀落から来ているという説もあるというのです。
更に「平安中期以降熊野を中心に行われた補陀落渡海も、「補陀落山こそ、此の世間の内にて、此の身ながらも詣でぬべき所なれ」〔発心集3-5〕といった信仰を背景に、観音浄土への往生を目指して船出したものであった。」
と書かれています。
貞観十年(868)に慶竜(けいりゅう)上人が渡海したのが最も古いとされているそうです。
那智の浜からは25人の観音の信者が補陀落を目指して船出したと伝えられているそうです。
貞観十年の慶龍上人から江戸中期の亨保七年(1722)の宥照(ゆうしょう)上人まで二十五人になるというのです。
『仏教辞典』には
「観音浄土の補陀落山(ふだらくさん)へ渡ることをめざす補陀落渡海(=入水往生にあたる)もまた、捨身行の一つである。」とありますように、死に向かう旅なのであります。
補陀落渡海をして琉球にたどり着いたのは、日秀という僧です。
文亀三年(1503年)に生まれ、天正五年九月二十四日にお亡くなりになっています。
室町時代の真言宗の僧です。
十九歳の時、高野山で修行し、紀伊国の那智から補陀落渡海を行ったのでした。
このたび取り寄せた『補陀落渡海僧 日秀上人』という本には、補陀洛山寺に残された二十五名の僧の中に名前はないそうなのです。
琉球王国の北側金武間切並里(きんまぎりなみさと)村の海岸に漂着しました。
現地の住人に保護されて、そこで布教活動を行ったのでした。
そこで金武観音寺を創建したのです。
日秀上人は琉球において真言宗と熊野信仰を広めました。
琉球八社のうち安里(あさと)八幡宮以外の七社が熊野権現をお祀りしているのも日秀上人の功績によるものとも言われているのです。
熊野と琉球とのまた新たなご縁も学ぶ事ができました。
ふだらくというと、なんといっても私などは、あの和歌を思い出します。
「ふだらくや 岸うつ波は みくまのの 那智のお山に ひびくたきつせ」という那智山青岸渡寺(せいがんとじ)の御詠歌です。
この御詠歌について、松原泰道先生は、
「西国のご詠歌というと、誰しもの口にのぼるのが、ここ第一番の奉詠歌です。
それほど昔から人に親しまれていますが、深い深い意味が歌いこまれていることはあまり知られていないようです。
まず「ふだらく」は補陀落山(ふだらくせん)で、南インドにあると信じられている観音霊場で、熊野の海は遙か南方のこの霊場に通ずる水路であると信じられていました。
したがって海上に出て船で拝する滝の容姿は実に崇高であります。
海に出て見える滝はあまり例がないようです。
はるか遠い南インドの観音さまの霊地ポータラカの岸をうつ波の音が、そのまま三熊野(前記の新宮・本宮・那智)にある那智の滝の音に外ならないというのが歌表の意味です。」と『新釈・西国巡礼歌』に書かれています。
そして最後に、
「那智の滝の音を補陀落山の波の音と聞かせていただきたいー他者と自己との一如の世界、彼我との対立のない一点、身びいき身勝手を去りたいとの誓願をこめたお歌です
滝の音を聞く耳によって仏縁に結ばれたい、との心からなる願いであります。」
と解説されています。
観音浄土に岸うつ波の音は、この観音霊場の滝の音とひとつ、観音浄土と毎日の暮らしとはひとつなのであります。
横田南嶺