一歩一歩が道場 – 歩歩是れ道場 –
修行僧達と例年登るようにしています。
今回は、若い修行僧達がほとんどでありましたので、ケーブルカーを使わずに麓からずっと山頂まで歩いて登りました。
大山は、神奈川県の伊勢原市、秦野市、そして厚木市にまたがる標高1,252 mの山であります。
千メートルを超える登山であります。
修行僧の中に、体力に自信の無い者がいたりすると、途中までケーブルカーで登ってから山頂を目指したりしていました。
登る前に山を下から仰ぐと、とても高く感じられます。
こんな山を登るのかと思うものです。
しかし、山に入ったら、一歩一歩大地を踏みしめて登るしかありません。
私も今や若いとは言い難い年齢でありますが、若い人たちと一緒に登るとつられて登れるものであります。
途中の下社と言われる大山阿夫利神社までは、三十分ほどで登りました。
男坂と女坂とがありますが、私は男坂を登りました。
その阿夫利神社でまずお参りしました。
大山は山上によく雲や霧が生じて雨を降らすことが多いとされたことから、「あめふり山」とも呼ばれていたそうです。
雨乞いも行われていたというのです。
阿夫利神社にお参りしていよいよ本格的な登山となります。
はじめに長い石段がございます。
一緒に登ろうとしたご年配の方が、この石段を見上げて、早くも悲鳴をあげていました。
たしかに下から仰ぎ見ると、こんなに石段を登るのかと思いますが、上を見ずに足元だけをみて、一歩一歩と登っていくと自然と上まで登れるのであります。
石段を登ると山道になります。
山道といっても登山道としてかなり整備されています。
私も毎年登るたびに整備してくれていることを感じます。
ここは危ないなと思っていたところは、ほとんど整備されているので、今は安心して登れるようになっています。
コロナも一段落したこともあってか、多くの方が登山を楽しんでいました。
かなりご年配のご夫婦がお互いを労りながら登る姿もみられました。
こういうお姿は微笑ましく、そして何か尊いものを感じるのであります。
またお若い方がまるでマラソンのように駆け上り、駆け下りる姿も見られました。
登山の重装備をして登る方もあり、軽装で登る方もございます。
また不思議なことに、山道ではお互いに挨拶を交わすものであります。
都会にいては、よほどの知人にでも会わない限り挨拶はしません。
円覚寺の境内ですと、すれ違うと挨拶をしますが、答えてくれない方もいらっしゃいます。
ところが山道となると、皆お互いに挨拶をするのです。
なんというのか、お互いにこの山のふところに抱かれている一体感があるからなのでしょうか、こういうところも山の有り難いところです。
山頂を目指す途中にも、夫婦杉や、天狗の鼻突き岩という見所があります。
夫婦杉というのは、案内板には「左右同形の杉で樹齢五、六百年を経ている、縁起のよい大木である」と書かれています。
天狗の鼻突き岩というのは、岩にこぶしが入るくらいの丸い穴が開いているのですが、これは天狗の鼻を突いてできた穴と言われているのだそうです。
山頂に登って、大山阿夫利神社の奥の院にお参りして、皆でおにぎりをいただくのであります。
山を登るまでは晴れていたのですが、さすがあめふりやまともいうだけあって、山頂は曇っていてあまり見晴らしはよくなかったのでした。
それでも、二時間近くかけて登ってきていただくおにぎりは格別であります。
山頂は標高も高いので、零度くらいの気温でした。
汗ばんでいた体も、あまりゆっくりしていると今度は冷えてきますので、おにぎりをいただくと早々に下山を始めました。
かつては、修行僧達の先頭を駆け下りていたのですが、この頃は膝を痛めるといけないので、ゆっくりと気をつけながら降りています。
下社まで降りて、茶店で一休みして大山寺にお参りしました。
この大山寺は、天平勝宝四年(西暦七五二年)、良弁によって建立された古いお寺です。
本尊として不動明王が祀られています。
長らく神仏習合が続いていたのでした。
明治時代になると神仏分離令が出されて、それを機に廃仏毀釈が巻き起こり、大山寺もその影響を大きく受けたのでした。
今の阿夫利神社の場所にあったのが、ただいまの女坂の途中に移されたのでした。
関東三不動尊というといろんな場合があるのですが、成田不動尊と東京の高幡不動尊とこの大山不動尊をいう場合があります。
山を登るときには、一歩一歩が道場であると感じることができます。
道場というのは、なにも特別なところでじっとしていることではないのです。
一歩一歩の歩みが道場なのです。
大応国師の語録には、「步步是れ道場。處處皆淨邦」という言葉があります。
一歩一歩が道場であり、どの場であってもそこが浄土だというのです。
また雪竇禅師の語録には、
「維摩老云く、歩歩是道場」とあり、維摩居士の言葉として使われています。
お互いの修行においても勉学においても仕事においても、高い目標を掲げることは当然大切であります。
しかし頭で頂上ばかりを見ていては、姿勢が崩れ足もとが疎かになってしまいます。
大事なのは、一歩一歩の歩みであります。
一歩前へ、一歩前へと着実に歩を進めていれば、たとえどんな高い山でも登ることができるのです。
足の裏でしっかりと大地を踏みしめていることを感じて、一歩一歩歩んでいきたいものです。
その一歩一歩の歩みこそが、お互いを鍛えてくれる人生の道場なのであります。
横田南嶺